蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

2020-01-01から1年間の記事一覧

№407 自己の絶対的基盤

「そしてつねに私は、一切の生類に対して平等な絶対者である。一切に遍満し、不壊であり、吉祥でもあり、中断することなく、分割されず、行為しない最高ブラフマンである。それゆえに、お前の努力から起きるいかなる結果も、私には属さない。」 ウパデーシャ…

№406 昨日の自分ではなく

「幻影からなる活動を捨て、非存在を求める努力を止めて、つねに安らぎに到れ。私はつねに最高ブラフマンであり、解脱したもののように、不生にして唯一者であり、二元を欠いているから。」 ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 8-2 自分というものを感じる時、その…

№405 解放をめざしている

「アートマンは変化することなく、不浄性もなく、物質的なものでもない。そしてすべての統覚機能の目撃者である、から統覚機能の認識とは異なって、その認識は限定されたものである。」 ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 8-3 先週、ある方に、8カ月ぶりにお目に…

№404 そのままで

「統覚機能にのぼった一切のものは、すべての場合に、つねに私によってみられる。それゆえに、私は最高ブラフマンである。私は全知者であり、一切に遍在している。」 ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 7-1 昨日に引き続き内観の話を。 内観療法とは、母をはじめ…

№403 見つめていなければ

「『これ』の部分が限定であるかぎりは、そのアートマンはアートマン自体とは異なっている。限定が滅したとき、認識主体はそれとは独立して確立している。斑の牛の所有者は牛とは独立して確立しているように。」ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 7-5 今日は少し…

№402 魂の冴えるまで

「この一切万物は、美しい装飾品のように、無明のためにアートマンに付託された限定である。それゆえにアートマンが知られたときには、一切万物は非存在となるであろう。」 ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 6-3 暑さのせいか考え過ぎのせいか、図らずも断食修行…

№401 環境と内面と

「アートマンは時間をもたず、場所をもたず、方角をもたず、原因をもたないから、つねにアートマンを瞑想するものは、決して時間にたよることはない。」ウパデーシャ・サーハスリーⅠ14-39 連日のうだるような暑さで、まったく食欲が無い。 アーユルヴェーダ…

№400 たすけをかりて

「それ故に一切の限定は、非アートマンであるから、捨てられてしまった手と同じである。したがって認識主体(アートマン)は一切の限定から自由である。」 ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 7-2 先日、岡山県出向き、土壌や水中の常在菌を活性化させる触媒につい…

№399 夢、そして目を閉じて聴くこと

「貪欲と嫌悪が滅していなければ、かならず行為が欠点から生ずる。それゆえに至福のために、この知識のみが述べられているのである。」ウパデーシャ・サーハスリーⅠ1-7 毎晩、夢を見ているだろうか? 見た夢を覚えているだろうか? 自分が夢を見ていることに…

№398 ふるまいの理由

「知識のみが無智を滅することが出来る。行為は無智と矛盾しないから、無智を滅することができない。無知を滅しなければ、貪欲と嫌悪を滅することは出来ないであろう。」 ウパデーシャ・サーハスリーⅠ1-6 人間は何によって生きているのか、自分なりの仮説を…

№397 私をまもるための教え

「業は、身体との結合をもたらす。身体と結合すれば、好ましいことと好ましくないことが必ず起きる。好ましいことと好ましくないことから貪欲と嫌悪が起こり、貪欲と嫌悪から諸行為が起きる。」ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 1-3 前回、4大ヨーガについてお話…

№396 道はひとつではない

「一切に遍在し、一切万有であり、一切の存在物の心臓のうちに宿り、一切の認識の対象を超越している、この一切を知る純粋精神(アートマン)に敬礼する。」ウパデーシャ・サーハスリーⅠ第1章-1 ヨーガ究極の目的は moksha である。 これは捉われからの解放…

№395 信念を疑ってみる

「二二 アートマンを、未だ果たしあっていない義務をもたず、行為そのものをもたず、行為の結果をもたず、「私のもの」とか「私は」という観念をもたない、と見るその人は〔心理を〕見る。」 ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 14章 ヨーガでは「五蔵説」という見…

№394 ほんものに触れる

「九 私は常に見を本性とし、常住であるから、私が見たり見なかったりすることが、どうしてありえようか。それゆえに、それとは異なる理解は認められない。」 ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 第12章 数日間の上京を終え、昨日帰宅した。 品川駅を久々に利用し…

№393 行く道を照らしてくれるひと

「二 それゆえに一切の限定は、非アートマンであるから、捨てられてしまった手と同じである。したがって認識主体(=アートマン)は一切の限定から自由である。」 ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 6章 人間存在には必ず影が生まれる。 陰影は人や物事に深みを与…

№392 嫌だ!と思う能力

「虚空が一切のもののなかにあるように、私は、実に、その虚空の中にすら存在している。私は不変であり、不動であり、清浄である。不老であり、解脱しており、つねに不二である。」 ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 13章19 昨晩、理学療法士O先生との打ち合わせ…

№391 生きるための行

「アートマンは変化することなく、不浄性もなく、物質的なものでもない。そしてすべての統覚機能の目撃者であるから、統覚機能の認識とは異なって、その認識は限定されたものではない。」 ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 7章の三 アマンダ・リプリー著「生き残…

№390 配線替え

「万生の内に等しきものを見る者は、この世界にあっても生死の輪廻を克服している。というのも、絶対者ブラーフマンは汚れがなく、(万生に)等しきものであるが故に、斯くなる者は絶対者ブラーフマンのうちに安住しているからである。」 バガヴァッド・ギー…

№389 目に見えない部分

「万処にある風(वायु Vāyu)が空間(आकाश Ākāśa)に永遠にあり続けるように、万物もまた我の内にあると知れ。」バガヴァッド・ギーターⅨ-6 先日、アメリカでレイキ・マスターの資格を取得したMさんと一緒にワークショップを開催した。参加者の皆さんには“目…

388 観る者でいるために

「すべてのものに対し自己中心の愛着がなく、種々の善悪に出合うとも喜びも憎しみもない者、その人物の智慧は不動のものとなっているのだ。」バガヴァッド・ギーターⅡ-57 数日更新をサボっていた。 理由は、今読んでいる本の内容を咀嚼するのにエネルギーを…

№386 避難場所を探す

「万処偏在なるお方は、誰の罪も功徳も受け取らないのだ。だが人の内なる智慧は無智さによって覆われており、そのために人は混乱しているのだ」 バガヴァットギーターⅤ-15 さっきまで何を考えていましたか? 途方もない哀しみと悼み、被害者意識、苦悩、罪悪…

№385 もってないひとはいない

「我は究極目標であり維持者であり、主なる存在であり観照者であり、住処であり避難所であり、共であり本源であり、維持であり帰滅であり、倉庫であり不滅の種子である。」 バガヴァットギーターⅨ-18 「もってる」という表現を生徒さんから聞くことがある。 …

№384 どちらかなんてない

「万処に遍在する空間が微細である故に汚されないように、体中の万処に存在する真我(アートマン)もまた汚されることはないのだ。」 バガヴァッド・ギーターⅩⅢ-32 現代では健康を目的にヨーガを始めることが多いが、不調という片方の極から、健康というもう…

№383 無駄に考えないほうがよさそう

「アルジュナよ。我を超えるものはないのだ。宝珠の列が糸に繋がれているように、この全宇宙は我に繋がれているのだ。」 バガヴァッド・ギーターⅦ-7 身体的な実践を行っている人は多いと思うが、その活動が心を制御する目的と共に行われているだろうか。 自…

№382 私がそうだと思うことのちから

「不滅と言われるその未顕現は究極の境地と呼ばれる。そこが我が居所であり、そこに達した者たちは再生することがないのだ。」バガヴァッド・ギーターⅧ-21 皆さんは、自分の健康を決めているのは何だとお考えだろうか? ヨーガの道に入るきっかけとなったの…

№381 からだを虐めない

「汝が自分中心の執着から生ずる迷妄を克服した時、汝はこれまで聞いたことと、これから聞くであろうこととを区別しない無執着の境地に達するのだ。」 バガヴァッド・ギーターⅡ-52 昨晩、子供の出稽古の付き添いをした。 稽古の前に1時間かけて「体幹トレー…

№380 楽な方の私にしようっと

「アルジュナよ。我は万物の心臓内に宿る真我(アートマン)である。我は万物の始まりであり、中間であり終末なのだ。」 バガヴァッド・ギーターⅩ―20 意識することで人は“自分というもの”に気付いていく。 気づいてしまうと、人はなかなか賢いのでなんとかで…

№379 あなただけの「良い姿勢」

「クリシュナ神が告げられました。 アルジュナよ、我の数百、数千という多種多様な姿を見よ。種々の色や形を持つ我が姿を見よ。」 バガヴァッド・ギーターⅩⅠ-5 姿勢を癒すのにてっとり早い解決法は、残念ながら、ない。 従来のプログラムでは、からだの外形…

№378 リラクゼーションが気持ちいいのは

「生まれたものに死は必定であり、死んだ者にも生は必定である。それ故に、不可避の事柄について汝は嘆くべきではない。」 バガヴァッド・ギーターⅡ-27 姿勢を確立する手段には二つある。 空間の中で自分のからだの位置を認識すること(定位)と、倒れずに動…

№377 姿勢には訳があるから

「結果と名誉と敬意とを期待する偽善的苦行は、不安定で移ろいやすく動性優位の苦行と呼ばれている。」 バガヴァッド・ギーターⅩⅦ-18 今のあなたの姿勢は、これまでどんなふうに振る舞うか決めてきたさまざまな経験に由来する。 目立たないように縮こまって…