蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№385 もってないひとはいない

「我は究極目標であり維持者であり、主なる存在であり観照者であり、住処であり避難所であり、共であり本源であり、維持であり帰滅であり、倉庫であり不滅の種子である。」  バガヴァットギーターⅨ-18


「もってる」という表現を生徒さんから聞くことがある。
この意味が私にはよくわからない。
私以外にもわからない人がいると思われるので、デジタル大辞泉から引用してみる。

《「持っている」の音変化》
特別な何か をもっている。ふつう、強運をもっていることにいう。
[補説]2000年代初めごろから、 スポーツ選手などが使い始めて広まった。

特別な何か?

では聞きたい。
この世に、特別な何かを持っていないひとはいるのか?
さらにもう一つ聞きたい。
ひとりだけ特別な何かを持って存在している人がいるのか?

人の悩み苦しみは、そもそも自分に欠けているところがあるという考えから始まっている。
欠けている、不足している、改善せねばならない悪いところがある…
そして、自分以外のものから、欠けている何かを補ったり、悪いところを直すための何かしらをせねばならないという考えは間違っていると思う。

声の大きな誰かが言う。
あなたの苦しみは、〇〇という能力や知識が欠けているから起きているのですよ。
だからこの理論・真理・学びを行うと、あなたは楽になることができますよ。

あたかもそれが本当のように聞こえてくるのは、いつも自分に何かが足りないというマントラを頭のなかで唱え続けているからだろう。

不安になるようなことを考えてしまうならば、思考停止する方法を学ぼう。
瞑想も、まずはそのために役に立つ。

17世紀オランダの科学者クリスチャン・ホイヘンスは、隣り合わせに掛けた時計の振り子が、自然に、まったく同じリズムで触れるようになることに気付く。
これが「同調」と呼ばれる現象である。
私たちの生理機能は、自分自身の声であれ周囲にある物体や楽器であれ、それが発する音波の影響で変わる可能性がある。

グレゴリオ聖歌は素晴らしいエネルギーフードだと言われるが、これを歌うことの訓練は現代人にはなかなか難しいだろう(最低でも4年間それに専念して訓練する必要があるらしい)。

それでは代わりにbija(ビジャ)マントラはどうだろう。
サンスクリットの1音節の単語7つで構成され、7つのチャクラに対応している。

LAM(ラム) 根底(会陰部)

VAM(ヴァム)丹田(おへそと恥骨のあいだ)

RAM(ラム) 太陽神経叢(みぞおち)

YAM(ヤ―ム)心臓

HAM(ハム) 喉
OM(オーム) 眉間(第三の目)

すべての音(自然界にあるすべての音の周波数) 頭頂

こういった音を用いることで、患者たちが数回のセッションでものの見方を変えられるようになったと、統合腫瘍学のミッチェル・ゲイナー博士は語っている。
マントラ以外には、音叉やクリスタルボウルなども活用されているようだ。

これらの音が種子のマントラと呼ばれるのは、それによって私たちがより高い意識やエッセンスに移ることができる音の種だからだという。

種子のマントラで最も神聖なOM(オーム、日本語でいう阿吽のこと)の音は、所属する宗教に関わらず多くの人によって、現在でも用いられている。
神社の狛犬さんも、左右に立ってOMと唱えつつ、参拝するものを迎えてくれているではないか。

この音は、宇宙原初の音と言われ、そのため、唱えることで宇宙を形成している無限の波動の流れとつながると言われている。

ウパニシャッドでも「言葉と音のエッセンスはOMである」と書かれている。
仏教経典では「最も力のある言葉。その言葉の力だけで悟りに達することができる」とあるそうだ。

具体的には、アとウの中間のような音(オに近い)を伸ばし、最後は口を閉じて「ンー」とハミングのような音になる。音が消えた後も音の余韻に耳を澄ます。

しっかりとこの音を唱えると、同じ部屋にいる飼い猫がハッとした表情で立ち上がり周囲をキョロキョロと見回すので、驚かせないように離れたところで唱えるようにしている。
もちろん目を閉じて、その振動を全存在で感じ取ってほしい。

これは私たちを癒す音のクスリである。
自分が言っているという思いを捨てて、生命を支える偉大な何かが、私を通じてこの音を発してくれているのだと思うとよい。

この世に存在する者は、みな心臓内にアートマンを抱き、そこを通じて絶対者ブラフマンと繋がっている。
持っていない人もいないし、持っていないときなど一瞬たりともない。
まだ確信が持てていないならば、あれこれ考えない方がいい。

全細胞は常に思考に耳を澄ませているから、「持ってないかも」などと考えたら身体に悪い。