蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№382 私がそうだと思うことのちから

「不滅と言われるその未顕現は究極の境地と呼ばれる。そこが我が居所であり、そこに達した者たちは再生することがないのだ。」バガヴァッド・ギーターⅧ-21

 

 

皆さんは、自分の健康を決めているのは何だとお考えだろうか?

ヨーガの道に入るきっかけとなったのは、原因不明の症状だった。
とにかく自分としては苦しい。しかし検査をしても何事もない。
なんにも見つからないから嘲笑の如く“ストレス”という言葉を出される。
そこでは、ストレスという言葉は「気のせい」や「考えすぎ」と同様の意味を持つように感じた。

今になって当時を振り返るに、「気のせい」「考えすぎ」ということについてはまったくの外れではなかったな~、と思っている。
ヨーガを学ぶなかで心というものの恐ろしいばかりの力を思い知らされたからで、その思いは日々更新されつつ今に至る。
心をほったらかしにしていてはいけない。

数年前までは日に数コマのレッスンを行い、月延べ100人もの方に指導をしていたことがあった。それを他の先生に譲ってしまったのにはいくつかの理由があるが、「クラスが毎週あることで、普段の生活の中で行う自助努力の邪魔をしているのではないか」と悩んだからだった。

人を変容させるのは自らの意識の力である。
と、信じている。
毎週クラスに参加して声を掛けられながら体操をし、それだけで何かをやった気になってしまう上、普段の生活における意識化の支援が十分に行えていないような気がした。

 

確かに、体操を目的にされてしまうと、そこから先へは向かいにくい。
しかし、毎週通ってもらうことで、これまで保持してきた信念の改変には繋がっていたと思う。年齢を言い訳に使わないことや、加齢とともに心が豊かになり得ることは理解して貰えた。

今の自分なら「それができとればええやないの」と思える。
当時はそうは考えられず思い詰めていた。今より若く、そしてアホだった。

ここのところ、からだのことについて書いてきたけれども、
次は「一番すごいもの = 一番怖いもの」について書いていきたい。
それは人が自分を定義する考え、ヨーガでいうところのアハンカーラ(ahaṃkāra 我執。我慢とも訳される)のこと。


まずは、インストラクター養成講座の時に聞いた事例について紹介しよう。
良く知られた実話なので、ご存知の方もおられるかもしれない。
…………………
心理学者ブルーノ・クロッファーが治療していたライトという患者は、かなり進行したリンパ球のがんに侵されていた。首、脇、胸、胸部、腿の付け根のすべてにオレンジ大の腫瘍ができ、脾臓・肝臓は肥大、胸部から毎日2ℓの液体を吸い出さねばならなかった。

しかし死にたくなかったライトは、クレビオゼンという新薬のことを聞きつけ、自分に試して欲しいと懇願する。当時この薬は寿命が最低三カ月は残されている人たちだけに試験的に投与されていたものだったので、医師はこれを拒む。だがライトが決して譲らず懇願し続けたため、医師はついにこれを聞き入れた。金曜に注射したが、医師はライトが週末を越せるとは思えないまま帰宅する。

ところがあくる月曜、医師が病院に行くと、ライトはベッドから出て歩き回っている。腫瘍は消え去っていた。最も強いX線治療で達成できるよりもはるかに速い配宿のスピードである。投与から十日後、彼は退院した。入院した時には酸素マスクが必要だったのに、退院後は自家用飛行機を自分で操縦して4000メートルの高度まで上昇しても何ともなかった。

ライトは二カ月ほど健康状態を保ったが、その頃から、クレビオゼンは実はリンパ球のがんに対しては効果が無いのだと主張する記事が現れだした。論理的で科学的な考え方の持ち主だったライトは酷く落ち込み、がんは再発、再び入院することになった。

担当医師は、クレビオゼンには当初思われていた通りの薬効があるが、最初に納入されたものは、流通の過程で品質が劣化していたのだと告げ、新製品を投与できると話した。実のところ新クレビオゼンなど存在せず、ただの水を注射するつもりでいた。それらしい雰囲気を出すために、わざわざややこしい手順を踏んで注射した。

またしても結果は劇的なものとなった。腫瘍のかたまりは解け去り、胸部の液体も消え、ライトは元気を取り戻し、その後二カ月なんの症状もなく過ごした。
しかし、アメリカ医学協会が、アメリカ全土で行われた研究の結果、クレビオゼンは癌の治療に効果は無いと判明したと発表したことでライトの信念は打ち砕かれ、再発の二日後、彼はこの世を去った。
…………………
この話をどう読むか。
まずそこに、私たちの我執が関わってくるだろう。