蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№390 配線替え

「万生の内に等しきものを見る者は、この世界にあっても生死の輪廻を克服している。というのも、絶対者ブラーフマンは汚れがなく、(万生に)等しきものであるが故に、斯くなる者は絶対者ブラーフマンのうちに安住しているからである。」 バガヴァッド・ギーターⅤ-19


初めてクラスに参加した人に、先輩方は「先生の前にどうぞ」と言って下さる。
それを喜ぶ方にあまり出会ったことがない。
正しいことをできなくて注意されたらどうしようと、お考えになるようだ。

フェルデンクライス・メソッドロルフィングを体感したことのある方は、変化をもたらすためには自分自身の微細な感覚を感じることが大切だとご存知かもしれないが、ヨーガも本来そういった要素を含んでいるものであって、そのことが忘れ去られているように思われ、とても寂しい。

冒頭の「注意されるかもしれないと恐れる初心の方」に対して先輩方が「前にどうぞ」と言って下さるのは、指導時の声が聴こえにくいと困るからであって、私の姿が見えにくいからではない。

自分のからだを動かし、それをしっかりと感じ取ることを通じてしか気付きは生まれない。
そしてその気付きは、肉体以外にも大いに影響を与えることができる。
先生や鏡を見ても、自分自身の気付きや学習にはならない。

教室や先生を儲けさせるためにヨーガをやっている訳ではないのだから、徹底的に自分に意識を向けて欲しいと思う。

ヨーガの体操・アーサナには、日本語で「坐法」という訳語が当たっている。
この坐法とは即ち、長時間結跏趺坐等で座り続けられる準備をするためのものであって、外から見える自分をなんとかするためのものではない。

長時間座り続けるということは、要するに自分の姿勢を常に感じ、意識し、自分にとって安定し快適な状態を維持できるということに他ならない。

ヨーガをしているからといって別に長時間瞑想して頂かなくてもいいのだが、何気なく、何事かをしているとき、またはその後に、どこかが痛くなっていたりしないということこそ坐法のキモであり、ヨーガをして得られる効果であって欲しいと思う。

猫背になると必ずどこかに負担が生まれ、呼吸も浅くなる。
呼吸が浅くなれば、体内のすべての働きが不調和を来す。その悪影響は計り知れない。
姿勢と呼吸に、いつも十分に気を払って欲しい。

骨盤の上に頭を持ってくるように、背筋を伸ばして座る。
座り方によっては、お尻の下になにかを入れて工夫してみよう。
腰が反り過ぎないように気を付けて、脇を締め、胸を開く。

米軍特殊部隊では、「サバイバル呼吸」と称してヨーガの調気法を教えるそうだ。
調気法とは、息を吐くこと、そして止めることである。
ちなみにサバイバル呼吸は「4つ(数えるあいだ)吐いて、4つ止めて、4つで吸って、4つ止める」という方法だそうである。これを強い緊張下でも行えるように、徹底的に訓練するという。

息を止めることを”クンバカ“という。
依存症の改善などに著効があるとされると同時に、現病歴や既往歴によっては危険が伴う上、止息時にバンダと言われる動作(肛門や下腹部を締める)を行わないと心身の障害に繋がると言われているので、自己流で行うことはやめて欲しい。
(効果が高いものほど危険性が高いのは、瞑想も同じ。諸刃の剣である。)

それでは、安全に行える調気法についてご紹介しておこう。

息を吸うときに数を数え、その倍の数で吐く。(吸うときに5だったら、10で吐く)
吐き切ってしばらくは苦しくないはずなので、「吸いたい」という衝動を意識してから、意識して吸う。
吸いきったあとも苦しくない時間が少しあるはずなのでその感覚を味わい、少しでも苦しさを感じたら、意識して吐く。

5~20分この呼吸を続けて頂いて、終えた後は心身にどのような変化が生じたかを改めて意識し、心のなかで言語化して欲しい。
これを1~3か月継続すると体温が上昇することが、複数の生徒さんから報告されている。

注意して欲しいのは「無理をしたら利益が失われる」ということ。
無理に何かをしているときに学習は生じない。
無理な努力は無分別で自動的な動作を生み、やがてそれが習慣化して、状況への柔軟な反応が失われることにつながる。

ヨーガを行うということは、ヨーガという一手法を用いて脳の再配線を行っているということであり、この配線替えをヨーガ以外のものに活用するということである。
結果的に「楽に生きられるようになった」という境地に至れるように使って頂けなければ、解脱を求める人々によって継承されてきたこの伝統的な手法が泣くだろう。