蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№377 姿勢には訳があるから

「結果と名誉と敬意とを期待する偽善的苦行は、不安定で移ろいやすく動性優位の苦行と呼ばれている。」 バガヴァッド・ギーターⅩⅦ-18

 

 

今のあなたの姿勢は、これまでどんなふうに振る舞うか決めてきたさまざまな経験に由来する。

目立たないように縮こまっていたかもしれないし、監獄に押し込められたような気持ちで勉強をしていたのかもしれない。自分の人生に怒りを感じているかもしれないし、道で転んでお尻を強打したことが関係しているかもしれない。

どんな理由があったにしろ、こうした緊張によってからだは歪み、成熟した大人になる頃には姿勢のせいで痛みを感じるようになっている。

姿勢は、周囲の世界と交流する中で作られる。
人生で起きる出来事に対し、どう自分を位置付けるか。
そうした出来事をからだでどう感じるか。
それに関わる人や物事にどう近付くか、または離れるか。
このようなことが姿勢を作り上げていく。
私たちそれぞれがしている“反応”が、立ち方、動き方をプログラミングしているのだ。

姿勢は個人の歴史の中だけで形作られるのではなく、文化的・宗教的基準、地理的特徴、天候や服装、魅力を左右するメディアイメージなどの影響を受ける。
さらに、根本的なのは重力との関係だ。

私たちのからだは本質的に不安定なもので、それは「動くために」設計されている。
可動する関節が何百もあり、組織はほぼ70%が水でできている。
これを深層筋が支えてくれている。

この不安定さのおかげで私たちのからだには”可塑性“が与えられ、呼吸や消化など体内で起こる変動や、その他の生命現象、動き回る時のさまざまな態勢に適応できる。
安定化はからだの内側で筋肉が動く活動で、ある部分を固めてからだを安定させて、他の部分を動かせるようにする。

姿勢と動作は分けて考えることはできないし、活動を安定とわけて考えることもできない。

ヨーガを人が求めるとき、からだを物のように見て、自分の都合の良いように働くよう作り変えたいという欲望を抱いていることがある。
でも今そこにある症状や痛みは、私という存在が統合していくためのサインをあたえてくれているものだから、まずその「世界の見方」から変えていく必要がある。

そこが痛むのは、別のところを自由に動かしたい!とあなたが思ったからなのだとしたら?

バガヴァッド・ギーターは、どちらかを選ばず、好き嫌いを言うなと教えている。
「もっとこんなだったらいいのに」という思いこそが病気である、というのがヨーガの病気観だ。

「からだが”こんな風に“なったら最高だ」と一方的に思うのではなく、「いったいあなた(肉体)は、私にどうして欲しいと思っているのか」と体に問うてみて欲しい。
これまで正しいと思ってきた基準や信念が変わることで、身体も変わっていく。
からだの言語は感覚なので、意思疎通のために、あなたは感覚を感じ取る能力を高める必要があるかもしれないが、そうすることで得られる恩恵はとても大きいだろう。