蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№401 環境と内面と

アートマンは時間をもたず、場所をもたず、方角をもたず、原因をもたないから、つねにアートマンを瞑想するものは、決して時間にたよることはない。」ウパデーシャ・サーハスリーⅠ14-39


連日のうだるような暑さで、まったく食欲が無い。
アーユルヴェーダでは、季節ごとに、食欲にも体重にも多少の変化があると教えているので、これは当然のことともいえる。

人間の肉体は、体温を維持するために大変な労力を担っており、夏はその負担が減るため必要な栄養が減ると考えている。当然食欲は落ちるはずなのである。

夏の果物といえばスイカだが、これは水分補給に最高の食べ物である。召し上がられる時は岩塩と黒胡椒をかけて食べて欲しい。体が冷えすぎることを防いでくれる。

秋の声を聴くころから梨やイチジクなどの果物が出回り始めるが、これらの果物には緩下作用があり、夏の熱を体内から取り去り、秋に向けての身体づくりをしてくれる。
秋も深まると、芋や栗に代表される滋養溢れる食物が出回るが、これは冬の寒さ備えて脂肪を蓄えるため。


季節ごとに相応しいものをからだの状態に応じて食べることは、食養生の基本となる。

さて、本日は定期的に伺う鍼灸治療の日だったのだが、熱が体内に籠り脾が“虚して”(弱って)いるとのことだった。
漢方における「脾」の概念は西洋医学脾臓とは異なるもので、膵臓や胃の働きを示す。
即ち、食品という物を、自らの肉体の一部として変化させていくためのダイナミックな働きだ。この劇的な働きが、どれほどの大きなエネルギーを必要とするか考えたことがあるだろうか?

脾の働きが弱ってしまっているとき、多くの人は強い食欲を覚えることになる。
しかし体として消化や代謝の力が弱まっているときに食べ物を取り込んだら、消化ができないまま腸へ送られていくことになる。

アーユルヴェーダではこういった状態の食べ物を「未消化物」とよび、毒素(アーマ)の元となるとした。
未消化物は消化不良の状態で腸へ送られ、腐敗を引き起こし、痛みや腸内細菌叢の変化をもたらすものと思われる。かくいう私も、鍼灸の治療を求めた理由は原因不明の腹痛からだった。当時の私は、脾の異常から食欲が出ていることが感じ取れなかったのだ。

鍼灸治療を定期的に受けるようになって7年の月日が経ったが、ようやく脾が虚していることをそのまま「食べたくない」という感覚として受け取れるようになった。

ヨーガ・クラスに来る皆様には、鍼灸を勧めている。
施術して下さる先生に対する個人的な好みもあるだろうし、鍼を刺されることがどうしても苦手だという方もおいでになるが、ヨーガなどによって自分の力で微細なものを動かしていく感覚と、人の手をかりて初めて動き始める、自分のなかの微細な力の双方を体験しておくとよい

鍼灸治療で最も優れていると私が感じることは、定期的な施術を受けることで内的な要因が症状や感覚を生み出していることに自覚的になれる点だ。
とりわけ、心理面の変化が心身に強く影響を及ぼすことについて、理解が深まる。

脾は「思う」ことと対応している臓器である。
そう言われれば最近強い感情の動きを経験し、それにまつわることを色々と考え続けていたかも。
環境×内面が身体に現れて何かを教えてくれることを、いつも忘れないようにしたい。