蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№397 私をまもるための教え

「業は、身体との結合をもたらす。身体と結合すれば、好ましいことと好ましくないことが必ず起きる。好ましいことと好ましくないことから貪欲と嫌悪が起こり、貪欲と嫌悪から諸行為が起きる。」ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 1-3

 

 

前回、4大ヨーガについてお話をした。
ヨーガ教師となるためにこの4つの道すべてを学んだが、我が師匠はラージャ・ヨーガのアチャルヤ(阿闍梨)なので、その門に入った私もラージャ・ヨーガの道を歩んでいるということになる。

 

王道のヨーガであるラージャ・ヨーガは、八支則と言われるステップを踏んで学ぶ。

インドで数字の8のことをアシュタンガと言うので、ラージャ・ヨーガのことをアシュタンガ・ヨーガとも呼ぶが、同じ名を冠した体操に熱心な一派が、欧米を中心に日本でも人気のようである。
インドにおけるアシュタンガ・ヨーガとは即ちラージャ・ヨーガであることを覚えていてほしい。

さてこの8つのステップは、まず自分自身が生きる上でのふるまいを意識するための二支則から始まる。

社会的規範であるヤマ(Yama)、個人的規範であるニヤマ(Niyama)は、その教えに従おうと意識することで、自らに揺さぶりをかけ、これまで全くの無意識であったものにあらためて光を当てようとする。

双方合わせて10になるこの教えは、自らの意思によっていかようにも生きられる人間の可能性と、1日のうちになんども迫られる意思決定をつつがなく行うための実践的な教えを説いている。

初心の頃はこの教えの偉大さが理解できず、なにやらうるさい規則を押し付けられているような気がしたものだ。
今になって分かることは、これらの規範を守ろうとすることは、自分自身を守ることにつながるということである。


10の規範は以下のとおり。
これらの教えは身口意にわたって行じられなければならない
肉体でも、言葉でも、心でも守ろうとするということ。
残念ながらヨーガの知識なしには、その意味するところが理解しにくいかもしれない。

Yama 社会的規範
サンスクリット語で「制限」を意味する。

1.非暴力  他のすべての教えの基礎となる。
       他者も、自分も傷つけてはならない。

2.不嘘   真の自分の表現を目指す。

3.不盗   自分の外に満足を求めない。

4.不過度  不摂生を避けて生きる。貞潔・禁欲と言われることが多いが、それはこの戒律のひとつの解釈に過ぎない。言葉通りには「神と歩く」という意味を持つ。

5.不貪   手放すこと。

Niyama 個人的規範
サンスクリット語で「観察」を意味する。

1.清浄   心身、態度、行動の浄化を目指す。

2.知足   いまという瞬間に感謝する。

3.自己鍛錬  情熱をもって、自らを高めるためのトレーニングを積むこと。

4.自我の探求 自分自身を知ること。聖典読誦とも言われる。長く継承されてきた智慧に触れ、常に自分自身をふりかえることはヨーガの重要な取り組みである。

5.降伏   “Ishvarapranidhana”というこの教えは、自在神への祈念と言われることが多い。ある偉大な力が私たちの生活を司っているという考えを前提とする。自らを上回る偉大な力が私たちをつねに気にかけているなかで、心をひらき、おそれを捨て、崇高な目的のためにこの人生を捧げつつ生きること。

 

これまでレッスンを受けてくださった方々は、私が申し上げてきた言葉の中にヤマ・ニヤマの教えが様々に含まれていたことに気付かれることと思う。

体操や調気法、瞑想を支える土台が、この10の教えである。
この教えに従うことなく、どんなに体操が上手くなっても、あなたは真の意味で楽になれないだろう。