蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№553 ゆくてをしめす星

ひとたびのひかりのなかでわたくしはいたみをわけるステーキナイフ   笹井宏之

 

 

 

 

1月26日

JK剣士が昨日から腹痛で休んでいる。心の腹痛かと思ったらほんとにお腹が痛いらしい。
しかしママの専門領域の世界の見方によると、純粋に肉体としての「おなか」はこの世のどこにも存在しないので、やはり何やら深い訳がありそうである。こういうときの腹痛の対処法はじっと待つ、そっと待つ。それしかない。

 

すると今朝「話がしたい」という引きがきた。そして東京と米子で、いつもは同じ屋根の下にいるにもかかわらず3時間も話した。剣士のまっすぐなの心のなかに、今色々と「詰まって」しまっていることがわかった。

 

 

剣士のママも現在内的な作業の真っ最中であるので、影響を与えてしまったなあとちょっと反省である。しかしものごとは起こるべくして起こるものであって、誰にも止めらんないのだからしてお互いおおらかな気持ちで諦めるほかない。残念でした、でも葛藤を処理するチャンスが来てよかったね。

 

この3時間の対話のなかでほんとに色んなことを語り合った。傍から聴いている人がいたら、JKとママの会話にはとてもじゃないけど聴こえないと思う。

「なぜ人は普遍的なものに従えないのか?」

という娘の問いに、母が全身全霊で答える。生半可な生き方してたら答えられないと思うよ。母は母で苦しみぬいてきたから、こんな問いにも自分なりの方便を持っている。これまでの来し方はちょっとしんどかったけれど、本当によかったと思えた。


JK剣士の命名はお姉ちゃんと同じくママが勝手にインスピレーションにより行った。他の家族の誰にも相談してないし、字画なんて数えたことすらない。こんな時にもママは勝手で強引である。ビビッとサインが降ってくるから他に選択肢はないのだ。
長女の名前は岐阜市のお寺の掲示板にあった禅語から、JK剣士の名前は天からのテレパシーによる。

それでどんな名前かと言うと、まあ意味から言うと「お星さま」ちゃんである。夜、道に迷った人が晴れていれば空を見上げて「あっちが北か!」と言える、そんな星。

今日話をしていて「ああ、この子は北極星だ」と思った。関西にあるオムライスのお店じゃなくて天にあるやつね。

ちなみにママの生まれ日(の干支)は、北斗七星の柄杓の先端に当たる。小難しいことはよくわからんがそういうことになっている。「へー」と思って聞いてもらえればよい。柄杓の「杓」の部分、水とかお湯を掬う部分の「深さ」に当たる距離×5倍で北極星に行き当たる。

 

昨日、昼間っから日本酒を飲みながらS田さんが教えてくれたのだが、私が20代の頃多大な影響を受けたユング派の分析家・河合隼雄先生は「この世はすべて共時性で回ってるやろ」と言う旨のことを仰ったらしい。ここ最近のものごとの展開を思うに、このことに「まったくそのとおり!」と完全に同意できる。

私はかねてから「名は体を表す」という言葉に深い意味を見、「名前とその意味するところ」のに感じ入っていた。これは自分が聖名を頂戴してから殊に思うようになったことだけれども、ほんとにほんとよ? そう思ってよく見て考えて頂きたいと思う。実に示唆深いから。


北極星はいつも真北で光っている。北斗七星などを目印にして探す。ぎらぎらとした輝きではないので、目指す的になるなんて思えない。別名Polaris「極の星」。また航海の目当てになることから「海の星 Stella Maris」とも。日本では「子の星」と呼ばれていた。


こっちだよ、と人に示す生き方は激烈なものになると思う。既存の道にみなで迷い込んでいけばそこがけもの道になって、いばらの道でも「こんなもんか」で済まされてしまう。そんなことが世の中にあふれてるように思えてならない。

こっちのほうがいいよ!と知らしめるのも、ほんとに向かうべき方向はこっちだよ!と伝えるのも大変なこと。でもその使命を授かった人はなんとかそこに生きて欲しい。

我が家のお星さまも葛藤の多い人生を歩みそうだが、この子が宿してきたものをママが感じ取ってつけた名前のとおりに生きて、人に道を示して欲しい。がんばれ。

 

 

今日、久々に専門家とのシャドウワークを行った。既に内的な作業が進んでいたのと、イメージを上手に用いることができたので、多くの気付きと安心を得られた。
私は7歳頃の時点で子供でいることを止めたようだ。それはとても哀しいことだったけれども、私をちゃんとこどもとして扱ってくれていた人と内面での再会を果たすことができた。その人は糖尿病から透析治療を経て亡くなった年上の従弟で、子供がなかった彼にどれくらい可愛がってもらったかわからない。無条件に「かよこ、かよこ」といって愛された。今、生きていれば60代後半くらいだろうか。彼の前で、私はいつまでも子供だと思える。

 

 

ワークの最後に、春に咲くあの美しい花が満開の霞となって自分の周囲を満たしているのを感じた。この数か月実に苦しかったけれども必要なプロセスであったと思うし、その過程をリアルに支え、私を見放さずしっかり手を握っていてくれた方に心からの感謝を申し上げたい。

 

ヨーガを始めとするいくつかの学びのなかで、自分をもっとも苦しめたこととはきちんと向き合って手放しが済んでいることも確信できた。


人生は棄てたものではない。今日は確かにそう思える。

 

 


№552 

一様に屈折をする声、言葉、ひかり わたしはゆめをみるみず  笹井宏之

 

 

 

1月25日

S田さんと会食。昼から日本酒。山形のお酒、魔斬。

「魔斬」とは、酒田に伝わる主に漁師などが使う切れ味の鋭い小刀のことらしい。魔を斬ることから、魔除けの縁起物とされているという。まずはこの名に魅かれて注文してみた。切れ味鋭い辛口のお酒で実に美味しかった。

 

 

昨日は愛知県岡崎市でK君に会った。O先生とのコラボセッション。ずっとオンラインでの指導をさせて頂いて、リアルは始めて。リアルでもやっぱり素敵なイケメン男子だった。どんな夢に向かうか、時と共に少しずつ変化していくだろう。それでいいと思う。あるがまま自ずから、何かの展開に身を委ねていければいいと思う。だれもみんなそうだよね。


仲良しのO先生に岡崎から浜松まで送って頂き、夕方の新幹線の時間までいろんなお話をした。
私たちはこどもの頃から、親密な人間関係のポジティブなモデルを持たない。そのことが今、私たちにこんな仕事を突き動かすようにさせていると思う。
自己存在のどこかにある悲哀、嘆き、慟哭、そして絶望のようなものを、これからも抱えて私たちは生きていくのだろうが、それはもしかしたらこの世界に顕れてくる前に私たちが自ら選んだものなのかもしれないし、ヨーガの世界観ではそれはまったくそのとおりなのだと言う。とても深いから、考えたりしてもまったくわからないから、感じながら生きていたい。

 
 

浜松に向かう途中、豊川稲荷さんに寄ってもらう。なんだか「来い」と言われているような気が、昨年からしていたのだ。奥の院、そして靈狐塚、うまく言えないが氣がビンビンに来る。「商売繁盛」という言葉で象徴されているものがいったいなんなのかわからないのだが、噂にたがわぬパワースポットだった。

 

ということで今日はこのあたりにしておこう。
予定がびっしり詰まっている1日。23時までセッション。充実。

 

 

№551 つなぎたいから

1月24日

特急やくも号に乗り込み、伯耆大山駅を通過したところ。列車はここから南に進路を変え、岡山へ向かっていく。
ちなみに始発。米子駅発5時32分。今朝は3時起き、寝たのが1時。そろそろ眠たくなってきた。

 

 

昨晩、YouTube対談でお世話になっているさとちゃんと、その息子さんRくんにオンラインでお箏の演奏を聴いてもらった。昨年夏にこれもオンラインで三絃を聴いてもらったのだが、このことをRくんは覚えていてくれて、学校で筝曲の授業を受けたときに私を思い出してくれたのだ。

 

大人の方はご存じないかもしれないが、今は義務教育のカリキュラムのなかに邦邦楽が入っている。だから私も毎年、小学校の出張授業でお手伝いをさせてもらう。実際に箏爪をつけて楽器に触れてもらい、三絃は繊細な楽器なので、見せるだけで、音を聴いてもらう。お正月の定番・名曲「春の海」について解説をして、尺八の先生とお姉さん弟子の生演奏を聴く。

 

Rくんは東海地方に住んでいるので、山田流の爪しか見たことがないという。関西(伊丹)にご宗家がおいでの私は生田流である。お箏にはこの二つの流儀があり、爪のかたちが違う。山田流は丸く、生田流は四角い。なので私の手元を見て「あ!角爪だ!」と言ってくれた。

先生から「角爪が見られた人はラッキー」と言われたそうなのだ。それはよかった!

 

Rくんはおかあさんに「かよちゃんは『六段の調』が弾けるかな?」と訊ねてくれたそうだ。授業では動画を視聴したのか、音源を聴いたのか。ともかくそれをさとちゃんが私に聞いてくれたので、「弾けるよ!」とお返事して今回のオンライン生演奏になった。

 

 

六段は基本中の基本で、筝曲を学ぶ者が折々に立ち返る曲。
そのときどんな曲を稽古していたとしても、常に六段の楽譜は持参している。もちろんこれも箏と三絃双方で弾け、合奏ができようにしている。
たまに師匠からお声掛けがあり稽古するが、そのたびに「六段は難しいね。これをひとりで弾こうとしたらどれほど大変なことか。」とのお言葉がある。この度はその大変なことをやらかしてしまった…。

どれだけ弾き込んできたかわからないのに、満足のいくように弾くことができない。いつも不満が残るし、昨日のようなシチュエーションではやはり緊張し何度かミスもした。

 

まあでもオンラインとは言え生の、しかも箏を弾く手元を見る機会なんてほとんどないと思うので、Rくんは色んなことに気付いてくれた。弦を押さえて半音や一音を上げ、何もしなければ生み出せない音を作りだしていることに気付いてくれた。糸を「弾く」ことは「押す」ことであって、とても力強い音が出せることも気付いてくれた。そしてこの段物の最高峰と言われる「六段の調」には、実に多くのテクニックが散りばめられていることにも気付いてくれた。

 

以前彼に聴いてもらったのは三絃の「越後獅子」で、新潟の名物などを歌詞に盛り込んだ楽しい歌が面白いからといって演奏を見てもらった。越後獅子は私の技量ではまだまだ胸を借りるような曲なのでドキドキしたが、「しらうさぎなることのはに」とか「おもしろがらしそうな」とかなんだか意味不明の言葉遊びはおもしろいなと思ってくれたかもしれない。

 

私は残念ながら音楽の才能がないので、筝曲を諦めずに続けていることは文化継承の意味合いが大きい。若い誰かに伝えていって、この技を途絶えさせることのないように励むのが私のような者の務めだと思う。


ちなみに三絃にはいくつか種類があって、ザックリいうと津軽が太棹、芸者さんが引かれるのが細棹、そして私たち筝曲のものが弾くのは中棹。それぞれ撥のかたちやサイズも異なる。
筝曲はお箏と三絃の双方を学ぶ。そして尺八と合奏をする。このことを「三曲演奏」という。

 

筝曲はぜったいに酒席では演奏しない。
って、去年の夏、オンライン飲み会のとき弾いちゃったけど、それはMっちが可哀相だったから「飲んでいいよ」と言っちゃっただけで、ほんとはダメ。


菊井松音は私共の宗家だが、私はこの方を心の底から尊敬している。
ご宗家が舞台に立たれると場の空気が一変する。命を筝曲に捧げていることが伝わってくる。今こうして言葉を連ねながら、ご宗家の佇まいや在りようを心に思い浮かべるだけで私の心身に変化が生まれる。

 

 

早く、演奏会が再開できるようになるといいな。人前で緊張感をもって芸を披露させて頂いたのは久しぶりだった。

Rくん、ありがとう。良い機会を与えてくれて。素晴らしい芸の刺激になりました。

 

 

 

 

 

 

№550 今のままですき

だしぬけに僕が抱いても雨が降りはじめたときの顔をしている  加藤治郎

 

 

 

1月23日

明日、愛知県岡崎市のイケメン男子と会う。癒し系のO先生とも会う。とっても楽しみ。でも今日は朝から予定が立て込んでいて準備がまだ完了していない。ヤバい。がんばらなくては(現在時刻21時12分)。


今年初の講座日。年初ということで今年の目標について皆さんのお話を伺い、そこから発展して様々な対話をさせて頂いた。
昨年春に、レキマスター・マリコの一時帰国をきっかけに気になりはじめていたエネルギーワークの世界に足を踏み入れたが、今日皆さんのお話を伺いながら、話題により自分の体感覚がまったく(そして激しく)違うことに、衝撃的に気付いた。これまであまり意識できていなかったのだ。なんだかこれが普通になってて。


特に、ある方がご自身の「推し」に関するお話を熱く語って下さったとき、その方から発せられる強くポジティブなエネルギーが部屋を明るくし、超強力な空気清浄機みたいに空気を総入れ替えし(たぶん空気清浄機よりもスゴイ)、同じ部屋に同席する人たちにまで影響を与える様子を、総身に鳥肌が立つような、背筋を蛇が駆け上がるような気持ちで聴いていた。

 

 

「推し」がいるひとってすごいよ

と、いうのが長女の言葉である。私のいちばんの「推し」である存在は子供たち曰く規夫師匠。「ママには規夫先生がいるからいいじゃないの」といって慰められている。うん、ほんとよね、ありがとう、規夫師匠!今年も一緒に駒込で焼き肉食べたい。

 

 

今日は朝も昼も、自分のなかに在る目に見えないエネルギー、精妙な力についてのお話ばかりしていた。

すごく大事な話なので聴いて欲しい。
あなたが、あなたの大好きな”なにか・だれか”とともにあるときの体感覚を、しっかり再現できるようにして生きて欲しい。体操や調気法、瞑想もそのための手法だと思う。

 

それってどんな感覚やねん?!
と思われる場合、誰かがあなたの手をガシっと握って、眼をじっと見つめながら、「今のままのあなたが、私は好きだ」と真剣に言ってくれているのを想像して欲しい。
リアルに想像できますか? できない人は私が、ZOOMで言ってあげるから(手は微細体で握れる)、連絡してください。

 

で、今晩寝る前に、自分で自分の手首を握って「今のままのおまえが、俺は好きだ!(女性版:今のままのあなたが、わたしは好き!)」と言ってあげて下さい。バッカみたい!と思っても、やってみると胸が温かくなるから。ほんとだよ。

 

まだ若い子供たちにはわかんないと思うけど、私の「推し」はなんといっても絶対者ブラフマンである。この存在に私は絶対に、間違いなく、疑いなく、愛されている。今この瞬間私が、バカだったとしても、鬱っぽかったりしても(水曜からやや低空飛行中)、明日からの出張の準備が全然できていなくても「そのままのお前を愛している」といつも言ってくれる。
でも、特急やくもに乗り遅れてO先生との待ち合わせに遅れても「愛してるよ」と言ってくれるから、自分でシャンとしなくてはならない。

 

このブラフマンの顕現みたいな人がいたら、すごく嬉しい。ハグしてもらおうっと。

 

 

 

№549 若さなんてなあ

夢の沖に鶴立ちまよふ ことばとはいのちを思ひ出ずるよすが   塚本邦雄

 

 

 

1月22日
20日夜から異様にテンション低め。「アンナ・カレーニナ」起因で心素のなかの塵が激しく舞い上がった。最近課題に取り組んでおり夜更かし中の長女によると、寝ているときに何かから逃げるように魘されていたらしいが、まったく記憶にない。

来週いよいよ新しいセラピストさんとのシャドウワーク。今大きく、自分のなかの若い頃の記憶が動いている。お力をお借りしてしっかり取り組んでいきたい。

 

 

さて、昨日ある方とお話をさせて頂いた中で、歌人川田順の話題になった。

川田順
明治15年生まれ。東京帝国大学で当初文学部に所属し、小泉八雲の薫陶を受けたが、八雲の退任を受け法学部に転科。「ヘルン先生のいない文科に学ぶことはない」と言ったそうだが、私は八雲も漱石もどちらも好きなのでなんとも切ない言葉である。

住友総本社で常任理事まで務めた実業家でもあった。
以下、Wikiさんに伺ったところによると…

会社では住友商人として主に経理畑を歩み、「住友に川田あり」の評判を得ていた。1930年に理事就任後、同年一足飛びで常務理事に就任。1936年住友の総帥たる総理事就任がほぼ確定していたが、自らの器に非ずとして自己都合で退職。その間、佐佐木信綱門下の歌人や「新古今集」の研究家としても活躍。1942年4月に第1回帝国芸術院賞受賞。1944年に朝日文化賞受賞。戦後は皇太子の作歌指導や歌会始選者をつとめた。

とまあ錚々たる方なのである。

この川田は66歳で門下生の女性(旧知の仲の京大教授の妻)と恋に落ち、悩んだ挙句自殺まで図る。「老いらくの恋」と書き立てられるが、これは川田自身の「四十代の恋は世の中に心配る、墓場に近い老いらくの恋は怖るるもの何ものなし」という詩から取られた言葉。

充分に成熟した大人であった川田の残した恋の歌は、実に瑞々しく私の心を打つ。
「はじめて彼女と同席したときに、互ひの心には何等意識しなかつたけれども、『宿命』が仲介の役をつとめて傍に坐つてゐたのだ」と言ってのけるその潔さったら!

いつよりか君に心を寄せけむとさかのぼり思ふ三年四年(みとせよとせ)を

わがこころ環の如くめぐりては君をおもひし初めにかへる

今の世のなかだと、この川田のような恋はどれほどの批判を浴びてしまうだろうか。
「君」である淑子夫人は27歳年下、川田が1966年に84歳で逝去するまで添い遂げた。

20代の頃から川田の歌のいくつかを愛誦してきた私としては、世のなかの人になんと言われようとも、激しく人を愛し、こんな歌を今の私たちに残してくれた川田をほんとうに素晴らしいと思う。絶対者ブラフマンの仕事からは、誰も逃れようがないのだから。

自殺まで図った川田だが、私が生まれるより前に亡くなった彼の歌に、今50も近くなってしみじみ感動する。20代の自分の感動と今日このときの思いは少し違っていて、時間というものが為してくれるものを有難く思う。どんな苦しみも、いつか必ず癒やすことができると信じていたい。

 


さて、今朝はいくつかバージョンを変えた「変容に対する抵抗感や戸惑い」を思わせる夢を見たので記録しておきたい。

 

1 有職紋様のような絵の描かれた画用紙を見て悦に入っていたら、ある方ががニコニコしながら、真っ白のページを示して「なんでもいいから好きに描いてごらん」と言うので困惑する。


2 山の尾根の地図にいくつかのポイントが示してあり、驚いて「こんなところに行くの?!」と聞くと、インストラクターの女性に「修学旅行みたいなもんだよ」と軽く返され何も言えない。

 

3 ブリキのバケツに自分が入っている。その底が抜けて、落ちたら宇宙だった(映画「ゼロ・グラヴィティ」的な)。ここではどんなことでもできると言われて、どうしたらいいかわからないが、苦しくはないことに驚く。

 

 

いったいなんに私は戸惑って、どのように変わっていこうとしているのか。
目の前に現れる事象はすべてきっかけに過ぎない。この事象を通して私はどう生き、なにを表すことを求められているのか、私も60代になった頃には「宿命」というものの存在を信じ、迷いなく歩を進めることができるようになっているといい。たとえ世界中を敵に回したとしても。

若さなんてバカなだけだと慧心師が吐き捨てるように言っておられた気がするが、今日初めてそれに完全に同意できる気がする。 

 

有職文様図鑑 (223) (コロナ・ブックス)

有職文様図鑑 (223) (コロナ・ブックス)

 

 

№548 アンナのせい

終止符を打ちましょう そう、ゆっくりとゆめのすべてを消さないように  笹井宏之

 

 

 

1月20日

結膜炎になった。三カ月ほど前にもやっちゃったので再発である。受診中に「あー、もしかしてあれかぁ」と思いついた原因がある。よいこにマネされると困るから書かない。
Ayurvaticな養生法に因を持つことなので、仙台のサナちゃんにだったら話してもいい。きっと「バカだなー」と言って笑ってくれる。でもサナちゃんは私と同じで細かいことに興味がない人だから聞いてくれないかも。

 

 

さて、みなさんは生きているのがめんどうになることはないだろうか?
正直なところ私はしょっちゅうある。そして今日はものすごくテンション下げ目。

先程「アンナ・カレーニナ」の光文社文庫版の新訳を求めに行ったのだが、無かった。鳥取県米子市とはこんなところ…すぐそこに鳥取大学医学部まであるっていうのに。良い医療者になるためにアンナやキティの苦悩に心を寄せることは必要ではないのか?!
じゃあ読んだことのない新潮文庫版でいいや、と思ったら上巻だけが無い。中巻を手に取ってパラパラめくっていたら、いきなり重苦しいシーンになったので救い難い思いで棚に戻した。ちなみにどんなシーンかというと… 
アンナが、恋人との仲を夫に全部話しちゃったことをヴロンスキーに伝えたが、想定外の顔色を読み取ってしまった、というところ。情熱的な恋に翳りが見え始める。

初めてアンナが登場するシーンと、ヴロンスキーがアンナを追いかけてきてしまい恋が確信に変わるシーンを、色んな訳で読んでみたいと思ったのに果たせず。


アンナの人生、酷いな。でも事実は小説よりも奇なり珍なりって言うでしょ?リアル・アンナみたいな人もきっとこの世にいるんだと思うわけ。
そうしたことを徒然ながら考えていたら、苦とは何ぞや、しあわせとは何ぞや、絶対者ブラフマンの仕事とは、人がこの世界に生きるとは…とか考えだし、

生きるのが面倒になってきた。
すぐれた文学作品の持つ力とは、こういうものなんだよ。

 

刻々と繰り返す波として、私は生きている、といったのは誰だったろうか?

YogaではDukka/苦を克服してSukka/楽に到ることを目指す。楽とは苦がないことを示す。誰にも、何にも奪われない確固たる幸福を、自分のなかに打ち立てなければならないと教える。

この幸福は、どこにでも持って行けるしあわせ。
例えば、私が意に添わない行為を強要されて、自分の肉体を傷めつけられたり、精神を蹂躙されるような目に遭ったとしても、この幸福を思えばかろうじてそこに留まり続けることができたり、死にたいくらい苦しくても耐えられる力を与えてくれるしあわせ。対外的な因を持たない絶対的なしあわせ。絶対的じゃなかったらそれはしあわせじゃない。

 

誰かが私に優しくしてくれるからとか、あの人に抱き締められればとか、あの場所に行けばとか、あの味を味わえれば、というしあわせではない。それは感覚器官が感じているしあわせであって、本当の私が感じているものではないから。

ほんとうの私には身体もない、こころもない、だから感覚もない。
そして寂しいと思うこともない。


だからアンナがもし悟った女だったら、あの小説はぜんっぜん面白くなくなるのか、それとも禅が教えるようにこの世に悟ってないものなどいないからこそ、アンナはそのときどきの最も強い情動に身を投じたのか。


死というものは生身の人間にとっては重大な意味を持つから、後に続く人のいろんなものの在りようをすっかり変えてしまう。きっとあの小説のなかで、遺された人々の人生はひっくり返ってしまったと思うし、私のご流儀の祖である利休さまも死をもって道を作ったひと。

だから私たちは絶対者の仕事をどこまでも信頼していなければならず、小さな自分の幸せを追求するという形の苦に身を投じてはならない。

ということは、ありのまま生きろっていうことなんだけれども…。
頭でそうは考えていても、肉体から嫌な感じが立ち上ってくることがある。
でもこの感覚に「嫌な」とレッテルを貼ってきたのは私の勝手なのだから、本当はただ静かにこの感覚を味わい続ければよいはず。なのだが…


今日はあれです。穴があったら入りたいんじゃなくって、山があったら籠りたい。寺があったら籠りたい。山も寺もあるけど寒いの嫌だから、ここで猫を抱きながらぶつくさ言ってる。

自分の生に対する理解ってほんとにまだらで嫌になっちゃうね。やれやれだよ。

 

 

 

 

 

 

№547 だれも逃れられない

ざらしで吹きっさらしの肺である戦って勝つために生まれた   服部真理子

 

 

 

1月19日

なぜかJK剣士が休みだった。予定表は届いているはずだがまったく把握していない。いったいなんで休みだったんだろう?
とにかく「部活に送って」と言われて朝のルーティンが崩壊した。

送れば迎えに行かねばならぬ。昼食を食べさせねばならぬ。JK剣士がいると長女も一緒にということに、当然なる。ということで昨日はたいへんだった。「オットセイとアシカはどうちがうか?」という議論で車内が喧々囂々の騒ぎ。アシカのマネまでしてさ、ほんと子育てって大変だね。それでどう違うの? 知っている人いたら、ほんとのこと教えて。母さんはJK剣士に騙されている気がするんだよね。

 


こんな夢を見た。
考えたことが数分後には具象化してしまう世界に生きている。
バラの花のことを考えたら、目の前にゆらゆらと黒い靄のようなものが立ち上がり次第に花の形を帯びる。しばらく後には目の前で私たちがバラだと合意しているところのものに落ち着いていく。こういう世界だと無駄なことは想起してはならないし(命の危険すらある)、現象の世界に不運や想定外の事象の因を求めることは許されない。

これは大変な怖ろしい世界だと思ったが、実のところこの世界の在りようもまさにこのようであると思う。自分というものを小さく限りあるものと見限っているために、肉の眼で見える世界をもってすべてのものごとの在りようを理解しようとしている。だからなにやら従うべきルールがあるかのような気がしてしまう。法則ってほんとにあるの?ないと思うよ。

 

 

と、やたら難しく語ってしまったが、ヨーガの先生になる課程でこのことを「ひつじライオンの教え」という説話で勉強する。

母ライオンが死んで、幼い仔がひとり残される。たまたま通りかかったひつじの群れが、その仔ライオンを連れていって育てる。このひつじたちの度量ったらすごいよね。そのなかでとうぜん仔ライオンはすくすくと成長して大人のライオンになるわけだが、たてがみフサフサの立派なライオンと行動を共にするひつじたちは、ラッキーなこともいっぱいあっただろう。ライオンが混じった群れを襲うのはやめようって、思った獣がいたはずだから。本人はまったくの無意識だが、守護神みたいになっていたはず。

この仔(もう子供じゃなくなっているが)は、自分のことをひつじだと思っている菜食主義獅子である。ひつじたちを親とも兄弟とも思いこころ安らかに生きている。皆と同じように他の獣全般をまっとうに恐れて生きている。
これはこれで平和に思えなくもない。が、しかし。ヨーガとは、眠ったように迷妄の平安の裡に生きることをぶっ壊してやろうという壮大な野望の火を何千年も絶やさず継承してきたご流儀だから、別に不幸でもないライフスタイルを貫いている“ひつじ=ライオン”にも容赦がない。

ある日、群れを若いライオンが襲う。もちろん食べるためである。
逃げ惑うひつじのなかに、ひつじと同じような行動をとるたてがみフサフサの立派なライオンがいるのをみて魂消てしまう。食事のことを忘れて“ひつじ=ライオン”を負ういわゆる普通のライオン。追いつかれた“ひつじ=ライオン”は「僕のことを食べないで!」と叫んだそうです。なんて切ないの…美味しくないし、食べられっこないのに。だってライオンだからね。

いわゆる普通のライオンは事情を知って、まるでセラピストのように川のほとりにひつじ=ライオンを連れていって自らの姿を見せてやった。しかし流れる川の水面に映る自分っていうのがそもそもぼんやりしているよね?それくらいのぼんやりさの自己認識で十分ってことかな。まあでもとにかく「おれはライオンだったのかぁぁぁ!」と覚醒し、それからはひつじも食べる立派なライオンとして生きました、めでたしめでたし、よかったねというお話。

 

ええと、このお話しの示すところってここで書いた方がいいのかな?
でもどういう受け取り方をするかは各人の生き方在り方、来し方によって自由であるから私の考えを述べるのはやめておく。先に書いた夢の話に集約されていると思うので推察してみて下さい。

 

 

昨日ふとYouTubeで「アンナ・カレーニナ」の予告編やダイジェスト映像を見ていたら、今朝も気分がアンナカレーニナモードである。初めてこの長編小説に手を出したのは村上春樹の傑作中編「ねむり」を読んでしまったせい。深夜、チョコレート、強いお酒、そしてアンナ・カレーニナ

余談になるが、…しかしこのブログのどこに余談でないところがあるというのだろうか。まあともかく、筋金入りの村上主義者(ハルキストっていうのは事情を知らない部外者が使う言葉)の私が推奨する春樹の傑作は、

・納屋を焼く
・カテドラル(翻訳)
・ねむり

の三作である。有名な長編しか読んでらっしゃらないお方はこの短編・中編を読んで出直して頂きたい。その上で、春樹についてサンドイッチをつまみにビールを飲みながらお話ししましょう。ここは絶対にビールです。譲れません。

 

 

アンナ・カレーニナ。今朝はDmitri Shostakovich“The Second Waltz”を聴きながらこれを書いているが、だんだん心が沈んでアンナな気分になってくる。ふらふら~と駅に出かけたくなっちゃうような。

この優れた小説は過去何度も映画化されていて、1997年のソフィー・マルソー版、2012年のキーラ・ナイトレイ版などは容易に手に入ると思う。個人的にはソフィー・マルソーが原作に近い、いい味を出していると思う。アンナはヴロンスキーに出会うまでは保守的な女だったのだから、キーラだと美しいけれど奔放すぎる感じがするのだ。
ちなみにヴロンスキーに関してはジュード・ロウがよい。これじゃアンナも抵抗できなかろうと思わせるアヤシイ色気がある。個人的にはショーン・ビーンの方が好み。あの目付きがたまらん。

 

アンナはつまんないけど平和で安定した家庭に暮していた。可愛い息子もいた。賢夫人として尊敬もされていた。「私を思うなら平穏を返して」というアンナに「平穏などない、苦痛か至上の幸福か」とヴロンスキーが応える。このやり取りは2012年版の予告編で見られるのでご興味ある方はどうぞ。

これもヴロンスキーが惚れたとかアンナが年上の夫にうんざりしてたとか、そういうことではなかろう。絶対者ブラフマンの仕事は各処に顕現し、起きてしまったが最後、ひとは誰もそれからのがれることはできないということなのだと思う。


それでね、若者よ(注意・20代までだよ)。これくらいの小説は読んでおくべきです。ほんとに。
私も20代の時に初めて読んだが、一生かけて読める小説というのがこの世にあるというのはまさに恩寵と思う。大人になってこの小説を読み返す至福を味わうために、若いときに読んでおかねばならないのです!!すぐに丸善もしくは今井書店に走って行きなさい。Amazonでも許す。


この魅力的なアンナも、そもそもレフ・トルストイの頭のなかにしか存在しなかったと思うと、今この世で、ご自身の内面にしかない何かを顕現させようと苦しんでおられるすべての方に深い尊敬を覚える。
なにがあっても負けない意気込みで、混沌たるものを世界に顕してください。ファイト!