蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№348 シータ波について

「また我は大地に入り、我の力によって一切を支え、霊草ソーマの液汁(甘露)となってすべての植物を育てているのだ。」 バガヴァッド・ギーターⅩⅤ-13

昨日のデルタ波に引き続き、今日も脳波のお話。

4~8㎐:シータ波
これは夢を見ているときや、瞑想をしているときに現れる波形。
瞑想で30分以上座らなければ出ない、ということではないようだ。

2011年、チェルノブイリ原発事故の被ばく者団体「ゼムリャキ」で行われているヨーガ指導に加わるためウクライナに出向いた。
年に二回しか伺えないので、会えない間はDVDによる実習を行って頂き、半年おきにその効果を測る実験に協力して頂いた。

指導は無償で行われ、指導者の交通費は手弁当。滞在費はヨーガ療法学会が負担。宿泊はゼムリャキのみなさんのご自宅に、それぞれホームステイさせて頂き、帰国時に抱き合って別れを惜しんだことは良い思い出である。

さて、DVD実習は20分の体操(アイソメトリック・ブリージング・エクササイズ中心)と10分の瞑想で構成されていた。これは、過去を振り返る瞑想であったと記憶している。

じっと、無心に座っていた訳ではない。無心と簡単に言ってしまうが、そんなに簡単にその境地には至れないので。

実習は、できれば朝晩2回やってくださいと指示、やったかやらなかったかを記録してもらう。実にシンプルだ。

結果的に、毎日これを淡々とやって下さっていた方たちはシータ波まで出ていたのだった(効果は実習頻度に相関した)。
昼間にやった計測で、シータ波が出ていたのです。目は醒めているのに。

シータ波というのは、ヒーラーに共通してみられる脳波だそうで、人種や信念に関わりはないという。
また、6.4㎐で人間の軟骨細胞が再生、一般的な老化の原因とされる遊離基を中和する酸化防止剤の活動を促す。
5~10㎐で腰痛改善のデータがある。

このシータ波も、昨日紹介したデルタ波と同じく、人間が「治る」ということに深くかかわっているようだ。

では、瞑想をしたらそれだけで良さそうに思えるが、架け橋となるアルファ波の存在を忘れないでほしい
単に、瞑想のために座ったり、ヨーガの体操をするだけでは楽になれませんよ、という訳はここにある。

アルファ波が出ていたら、あなたの気分は良くなっているはずだ。
実習後に心身が脱力して「気持ち良すぎて、もう起き上がりたくない…」という至福感を感じたことがある方は、この感覚がよくわかるだろう。

ヨーガなどの身体的実践がベースとしてあって、こういった(心身や健康に関する)知識が与えられた時に、実体験として肉体で理解できるというのはとても大事なことだ。

楽になりたいとき、まずあなたは自分の気分を良くする必要がある
実習技法はそのための儀式になる。
あなたは、自分自身を癒すための儀式をもっているだろうか?


次回はアルファ波について詳しくお話したい。

ウクライナでのヨーガ指導に関しては、一般社団法人ヨーガ療法学会発行「チェルノブイリ被ばく者事故被災者支援とヨーガ療法」を参照しました。私も寄稿しています。

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№347 治癒が起こる脳波

「高次の自己で低次の自己を制圧した者にとっては、自己は友である。しかし、低次の自己を制圧していない者にとっては、自己は常に敵の如くに振る舞うのだ」
 バガヴァッド・ギーターⅥ-6

昨日から引き続いて、脳波について。
今日はデルタ波についてお話したい。

「眠れません」というお悩みを抱えた方は、教室にも時々おいでになる。
明確に眠れない自覚がある場合はまだしも、睡眠の質があまり良くない場合でも、そのことに気付いていなかったり、「こんなもんか」と思ってあきらめている人が多いように感じる。

ぐっすり眠れている感覚を持たない人が非常に多いということを、最近になって実感した。
毎晩ぐっすり眠れている人には、そのつらい気持ちはまったくわからない。

眠りの改善にヨーガはかなり役に立つようで、長年服用していた睡眠導入剤を手放す結果になることが多い。
ヨーガ実習に伴って起こる心身の変化は実に自然なため、まるで“気のせい”のように思っておられる方が多いが、脳波などについて知ってみると、そのからくりが理解されるように思う。

デルタ波(0~4㎐)は深い眠りの時に発生する。
この時、心身に癒しや治癒が生じるという。

ヒト成長ホルモンも、デルタ波発生中に分泌される。
睡眠中に、デルタ波・シータ波が主の波形になると脳内のβアミロイドが消える
(*βアミロイド:アルツハイマー病患者の脳に見られるアミロイド斑の主成分として、アルツハイマー病に重大な関与を行うアミノ酸のペプチド)

0.19/0.37㎐、酵素テロメラーゼ生成に関する分子が共鳴。
(*テロメラーゼ:真核生物の染色体末端・テロメアの特異的反復配列を伸長させる酵素。癌や老化に関係していると言われる。)

0.5~3㎐、神経細胞の再生を刺激。
(*ストレスが生じ、ノルアドレナリンドーパミンなどの神経伝達物質濃度が前頭前野で高まると、神経細胞間の活動が弱まる。)

毎晩熟睡していると、自然に若返ったり元気になったりするわけだ。
では、毎朝眠り足りない気分で1日を始めていたらどうなるだろう。
数日ならともかく、そんな状態がずっと続いたら心身は疲弊してしまう。
症状や病気の多くは、そういう状態の結果として現れてくる、自分からの訴えではなかろうか。

このデルタ波を毎晩出したい。そして熟睡したい。
デルタ波に入るためには、夢見の状態のシータ波、そして目が覚めているときの意識(β波)と、シータ波・デルタ波の架け橋となるアルファ波を分泌させる必要がある

ヨーガ実習をすることで、このアルファ波がだんだん出やすくなっていくのだ。
この効果は1回の実習でも現れる。
鍵は、「思考が起きていない状態」を自分のなかに作り出すこと

頭のなかの声に捉われずに何かに集中して欲しい。
20分でいい。
ただそれを行うのはなかなか難しいので、動きを添えたり、呼吸を使ってみよう。

ただ、実習を継続しなければこの効果は持続しない。
長年の心身の反応パターンは、そう簡単に変わってくれないのだ。

救いと言えば、そう難しいことを行う必要はなく、呼吸を活用した簡単な実践で望ましい結果を手にすることができるということだろう。
押さえねばならない点を理解して、実習を行うことが大事である。

№346 なにが変わるのか

 

「この世を遍く満たすものは不滅であると知れ。この不滅なるものを滅ぼすことは、誰にもできないのだ。」 バガヴァッド・ギーターⅡ-17

この春から仏教学部で学ぶことになった長女。なんとサンスクリット語が必修だそうである。アーユルヴェーダの専門家教育を受けた際は、私もサンスクリットで名前が書けたなあ… 書き取り練習は筆ペンでやると上手に書けるよと提案したが、即却下された。

また、ブラフマンアートマンについて学んでいるようだが、このことを知的に理解するのはとても難しいだろうと思う。

私のヨーガの師匠は、京都大学大学院で宗教学を修めた後、教授から「でもさ、宗教って実地じゃないとわかんないんだよね」と言われ、「この数年間の勉強は何だったんだ!」と絶望したという。
その後、「なんだったんだ!」の思い惑い故にインドでマハラジに出会い、日本人として初めて入門を許されたそうなので、この師匠の葛藤の末にヒマラヤの伝統的ヨーガを日本で学ぶという私たちの現実があることに、深い感慨を覚える。
…………………

さて、ヨーガやって何が変わるのか(どんな得があるのか)ということに興味があることと思う。
「脳波」の側面からそのことをお話してみたい。

神経科学者であり、精神科医であるハンス・ベルガーは1924年に人間では初めてとなる脳波記録を行い、"Electroencephalogram“と名付け1929年に発表、後に国際的な評価を得る。しかし、ベルガーは公的、私的生活が二次大戦とナチズムによって妨げられたことにより、1941年6月1日に自殺。

現在、5つの脳波が確認されている。
(デルタ波、シータ波、アルファ波、ベータ波、ガンマ波)

DNAや細胞は、日々再生されている。
胃潰瘍はたった一晩でなる(穴が開く)と聞くが、胃粘膜の細胞などはたった二日で入れ替わるそうだ。資料を見ると「2-9days」となっている。

ということは、再生が2日でできてしまう人もいれば、9日かかる人もいるということ。
胃潰瘍の例のように、強いストレスがかかればたった一晩で細胞は変質する

生活していると、ふとしたことで怪我をしてしまったりする。ちょっとしたすり傷ややけどなどが「治る速度」を意識したことがあるだろうか?
このことと、細胞の再生速度は関連している。

なかなか傷が治らなかったり、痕が残ってしまう場合、「生きものとして、日々新しく細胞をつくりかえ、免疫を活性化してわるい菌などもお引き取り頂く」力が弱っているのかもしれない。

ではその真逆である「傷は早く美しく治る」状態が維持できている人は、その状態を外見からでも確認でき、実年齢よりも若く見える。
アンチエイジングは細胞再生力・免疫力向上でもあるのだから、そのためになにをすればいいのか。

ここでアーユルヴェーダの権威は「瞑想」と言う。
なんでアンチエイジングに瞑想?

この問いに答える鍵は、脳波の理解にある。
なぜ、ヨーガで心が穏やかになっていくのかもわかる。
が、長くなるので続きはまた明日。

№345 からだに宿る智慧

「愚者たちはヴェーダ聖典の言葉に学び、ヴェーダ聖典の目的とするもの以外になにもありはしないと主張する」 バガヴァッド・ギーターⅡ-42

インドに「パンチャタントラ」という書物がある。

何百年も前のこと、インドの南の国に三人の息子を持つ王がいた。
息子たちは馬鹿な上に大の勉強嫌い。どんな先生もこの三人に勉強を教えられなかったのだが、ヴィシュヌ・シャルマンという賢者が、鳥や獣も登場する短く楽しいお話を通じて、息子たちそれぞれに人生の智慧を悟らせた。

これが「パンチャタントラ」の成立した経緯だそうで、その教えは、幸せな人生を送るためには、用心深さ、幸運、挫けぬ勇気、友情、そして学ぶことが欠かせないよということ。

さて、このなかに「学問」について語っているお話がある。概略をご紹介したい。

…………………
パンチャタントラより 「学問は身を滅ぼす」

むかしむかし、あるところに4人のともだちがいました。とても仲良しでした。
4人のうち3人は学問が大好きな、俗にいう学者バカ。ちょっと常識に欠けているところがあります。
あとのひとりは学問には興味がない落ちこぼれですが、世間を渡っていく知恵は十分に身につけていました。

ある日4人は自分たちの将来について語りあい、旅に出ることにしました。色んなひとに会って教養を磨きたい。王様や貴族に目をかけられたり、お金もうけもできるかも…などと想像します。

でも、学問好きな3人はその学問を用いて旅を乗り切れるだろうが、落ちこぼれは足手まといになるかも…という意見が出ます。話し合いの末、やっぱり4人は昔からのともだちなんだし、一緒に出かけようということになりました。

さて、長い旅に出発してすぐのこと。
うっそうとした森に差しかかった4人は動物の骨を見つけました。学問好きの3人は自分たちが習った蘇生術を試してみたくなります。
落ちこぼれがおずおずと口をはさみ、「これはたぶんライオンの骨だよ、生き返られせないほうがいいよ…」というのですが、学問好きの3人は怒ります。落ちこぼれになにがわかる?!黙っておけ!というわけです。

3人の怒りに触れ、落ちこぼれはそれ以上なにも言えず、近くの高い木に登るまで少し待ってくれと頼みます。

…………………

ライオンは見事に蘇生した。
骨からライオンを生き返らせられるとは、3人は実に優秀だった!

オチは想像つくと思うが、蘇生したライオンに3人は食べられた。きっとものすごくお腹が空いていたんだよな。

すべてが終わった後に木から降りてきたひとりが、「学問ってやつは、身を滅ぼすんだねえ」とつぶやく。

どんな智慧も、「生きる」ということ、そして身体に根差していてほしいと思う。
今、トラウマやPTSDの治療は、身体からのアプローチによって進められる方が効果が出やすいということがわかってきている。

理性的に頭で考えたことだけで、人が変化や変容を手にしたりすることはなかなか難しい。
調子が良い時は「うまくいった」と思うのだが、身体に根差していない知識は強いストレスがかかると容易に消え去ってしまい、活用できなくなる。

だからこそ、からだの動きや呼吸の方法などを体得することを学び、からだのなかに確かな安心感という錨を落としていくのだ。

それは時間のかかる面倒な方法なのだが、一度体得すれば決して奪われない確かなものであり、あなたの財産となるだろう。

№344  がんばらないどころ

「執着することなく常になすべき行為をなせ。というのも、執着なしに行為を行えば人は究極存在に達するからである。」バガヴァット・ギーターⅢ-19


生きていれば状態は日々変化するし、数か月というスパンでも上下する。

いい時は喜んで、悪い時はがっかりして悲しむ、というものごとの受け止め方を、ヨーガでは推奨していない。
(バガヴァット・ギーターⅡ-38の有名な詩句 「苦楽、得失、勝敗を平等のものと見て、戦いの準備をせよ。そうすれば罪悪を免れるであろう。」)

私たちは、ほんとうは「見ている側」であることを思い出して、
「上がったり下がったりしているな。でも、それが生きるってことだもんね」
客観的に見ていることにしようと教えている。

そんなこと言ってもさ…、という声が聴こえてきそうである。
仰るとおり、簡単にはできない。
だから肉体も総動員して練習していくわけです。

そもそも激しく上がったり下がったりことに身を任せて、そのまま放置しておいたらどうなるだろう。

からだのことをもっと心配してあげたい。
ストレスというものがない人生はないから、受け止める自分の「反応」や「許容度」を変えていくことで、できればその悪影響を緩和したい。

ストレスがかかっているとき
こころのなかで強い葛藤が生じているとき
体内では実際に戦いが起こっている。

現代のストレスはほとんどが頭のなかで起こっているが、恐ろしいけものに襲われたような心身の状態は実際の脅威と変わりなく繰り返されている。
ストレスホルモンが分泌され、脳波は高β波を示す。消化活動は止まり、免疫力は下がる。肉体の老化は進む。

こんな状態に自分を放り込んだままで長期間過ごせば、大変なことになるではないですか!

でもこれが、無意識のうちに常態化している人がたくさんいるということ。
気付いてもいない。
いや、気付くことができないというのが正しいのかもしれない。
気付かないことがこの社会ではメリットになっているから。
でもそれは甚だしく調和を欠いたメリットだ。

だからこそ、思っても見なかった病気や症状が、ある日突然降って湧いたような気がする。でも、きっとずっと前から、心身は緊急事態だった。

心が上手く制御できないと思っている場合、からだの練習を行っていく必要がある。
からだがつらい場合は、こころの練習を行っていくことが助けになるだろう。

肉体や、「心の窓」である呼吸を活用して自分自身と向かい合うことで、今どんな状態なのかが感じ取れるようになる。
まず感じて、そののちに客観的に捉えられるようになる。

意識化→客観視という順序で、自己理解は進む。
からだを使った体操実習を疎かにしていたり、もしくは体操の際に集中して「意識化」していく練習を怠って気もそぞろにやっていると、なかなか“がんばらないどころ”に到達できない。

こころもからだも、今生のみお借りしている貴重な道具なので存分に活用して欲しい。
だまされたと思って、やってみればそのとおりになる。
4000年かけて人体実験してきたんだから。

№343 ヨーガの対話技法・ダルシャナ

先日、とある打ち合わせで、「ヨーガはカウンセリングみたいですね」と言われたのだが、まさにそのとおり。
ただし、カウンセリングという言葉は使わず、ダルシャナという。
サンスクリット語で、師と弟子の間で行われる1対1の対話のことを言う。

疑問や相談事があるとき、師と二人きりになって話を聴いてもらい、アドバイスや指示を受ける。ヒマラヤの伝統的な方法だと、師と二人で布を被って行うそうだ。完全に二人きりになるようなことはアシュラムでは難しいからだろうか。もっと深い意味もあるように思う。

この対話はヴェーダ智慧に則って行われる
そのため、ヨーガ教師はヨーガの智慧を学び続けることと、自分の経験から生じ続ける記憶を生涯かけて浄化し続けることが課されている。

アメリカ的なヨーガの先生たちは、ヴェーダ聖典を勉強するのだろうか? 
話に聞くところによると、1泊2日でインストラクターの資格をもらえたりするそうだが、2日ばかりでヴェーダ智慧を学び、自分の過去の経験を智慧に照らし合わせて再認識することはできないだろう。それじゃあどんな土台の上に指導を行っているのか、不安になっても仕様がないではないか。一部の指導者に対する私の懸念は、杞憂ではないはずだ。

インドには6つの哲学の学派(シャッドダルシャナ=インド六派哲学)がある。
ヨーガはそのうちの二つ、ヨーガ学派とサーンキヤ哲学を基礎としている(二つの違いについて話すと長くなるので割愛する)。


「ヨーガ・スートラ」「バガヴァット・ギーター」を始めとした教典を読んで勉強するのだが、ヨーガを実際にやっていないと(いや、やっていても)わからないことが多い。なので、師に講読して貰いながら読んでいく。

ヨーガには確固たる人間観がある。
病気や不幸をどう捉えるか、生や死についてどう考えるか、という人間の根本となる悩みについて考え抜いてきた結果として、体操を始めとする行法をお伝えできるのだと思う。

人の悩み苦しみや、肉体の病気がどのように生じるのかについて教典は教えているので、病因論や人間の構造論なども備えている。
また、ヨーガとアーユルヴェーダは車の両輪と言われて、指導者はその知識も持った上で指導に当たるのが望ましい。
なぜなら生徒さんの多くは、心身の不調を抱えて教室の門を叩くからだ。実際に今どこかが痛い人に、哲学的なことだけ話しても助けにならない。

日々の養生法や、心身の浄化法をアーユルヴェーダは教えてくれている。老化は病気だと捉えている医学なので若返りまでカバーしている(ラサ―ヤナ科という若返りの部門がある)。

ラサは体内を巡る精髄を、アヤナは特別な研究を意味し、健康で長く生きるための方法を教えているのだが、アーユルヴェーダの師 B・バット博士によると、瞑想が一番効くそうである(確かにバット博士は、初めてお会いした時からまったく変わらないように見える)。

頭のなかで思考をぐるぐる回すことは老化も促進し、当然ながら肉体に病気も生むということ。
ということでふりだしに戻る。

教典の教えと自分の実体験を持って、真に健やかな在り方を伝えて、そのように生きて欲しいと思っているのならば、じっくり話をするしかないのだ。
だからこそ、指導においてダルシャナは必須である。

№342 がんばるのは禁止

「そうした苦悩との関係の断ち切り方がヨーガと呼ばれるものであると知れ。」
バガヴァット・ギーター Ⅵ-23

 

東京・田端の透析専門クリニックが発行しているニューズレターに寄稿させて頂くことになった。初めての打ち合わせを可愛いお嬢さんとさせて頂いたのだが、やはり「ヨガ」に対する根強い固定的なイメージがあることがわかる。

はっきり認めよう。私たちはこの業界における少数民族である。
主流は間違いなく欧米経由でやってきたフィットネス・ヨーガ。
カッコよくポーズをキメるために素敵なウェアや、機能性が高いヨガ・マットが必要だ。鏡に映った自分に惚れ惚れできるようになるために、努力して自己改善に取り組んでほしい。

方や私たちはウェアも要らない。目を瞑ってひとりでこっそりできるようになるために一時的に練習は必要だが、基本的には誰も見ていないのだから布団の上でパジャマでやればよい。そこに市場は生まれず、誰も儲からない。

しかし少数民族にも主張はある。なのでこういう場で訴え続けることにする。


さて、冒頭の引用文から、インドから直輸入された伝統的なヨーガが何を目指しているのかがぼんやりと理解していただけるだろうか。

人生でこれまで採用してきた「生き方のパターン」がうまく機能しなくなっていることに気付いて、それを自分で変えていく、いや、むしろ変えていく力が自分自身の内奥に既に備わっていたことを思い出す。
意識的に、改めて自分の人生を生き直す必要があることを、ヨーガやそのほかの伝統的な実践法は教えているのだと思う。

これまで出会ってきた生徒さん方は、間違いなくまじめな方々だった。
自分になにか悪いところがあるなら改善しようという意志を持ち、人のために自らの許容量を超えて尽くしてしまう。尽くすことが喜びから生じているならまだしも、耐えて頑張り抜かなければ生きているのが許されないとでも思っているかのような強迫観念がある。

そんなことをしていると、心身は全体性を取り戻すために悲鳴を上げてくれる。
「おーい、ちょっと待って。もう無理だからやり方変えようよ」と教えてくれるのである。
それが体の不調となって現れることで、ようやく本来の自分のニーズに気付くことができるのだ。

だから症状や病気が悪いわけではない。不幸ですら、本来のあなた自身に立ち返らせてくれる偉大なる教師だと言われる。

では本来の自分というものに帰っていくために、さらなる努力が必要なのか?
今、既にこんなに苦しいのに?

そこに勘違いがある。
グッと握った掌を開いて、力を解放してやるだけでいい。
生きるために努力が必要だという刷り込みを捨てること。

今、息をしているでしょう?
次の息が吐かれまた吸い込まれるその時に、世界があなたに「ここにいてほしい」と語りかけている。

根深い刷り込みの影響を解くには、あたまで考えるだけでは無理なので、からだの反応を変えていく必要がある。だからポーズや調気法がある。
ヨガ歴が即ち、だんだん楽に生きられるようになった期間となるような実践だけ、やって欲しい。
がんばらないようにしてください。気持ちよさを基準にして下さい。