蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№868  収縮期Now

 

久々の出張。
1−3月は出張をお休みにしてゆっくりしようと思っていたのですが、結局のところアメリカにまで行ってしまい、家にじっとしていることはできなかったのでした。

 

Blogもサボっているし、年明けの体調不良もあって私を案じてくださる方がおいでになるのですが、人間存在は拡張と収縮を繰り返すものなのであって、今は収縮期に必要なことを粛々と行っています。もじもじする気持ちは確かにあり、これから芽が出る木の実を土から掘り起こしたくなって身悶えしますが、そんなことをしてしまっては元も子もないのでこりすの可愛いおててをギュッ!と握り締めて、なんくるないサーと嘯いて過ごしています。

 

こういう収縮機は数年おきに必ずやってきますが、仕事のやり方や方向性を改めて考え直す大事な時間になります。対外的には動いておらずしょぼくれているように見えるのかもしれませんが、この間の取り組みに必要な方と定期的に連絡をとりながら、今でなければ決して顕すことのできなかったものが生じてくる様を、じっと見つめています。こういうのももう何回目かなので多少慣れてきた感があり、これは成長かなあと感じます。

 

年明けの体調不良に関してY平先生から「修行が足らん!」とお叱りを受けましたが、B・ブレナンの著作を読んでいましたら、ヒーリングの過程で風邪のような体調不良に見舞われることはよく観察されることだそうで、何やらという名称が付与されていましたが失念してしまいました。復習しておきます。ま、言い訳っちゃ言い訳ですが、IHヒーリング合宿を経験したことのある方は「無理ないやろなあ」と思っておられると信じます。

 

鍼灸の主治医の先生によりますと「肝虚」の状態はめでたく完全に脱したとのことで、確かに内から力が湧くのを感じます。Yogaを行じる者として森羅万象はすべてわかちがたく結びつき(緻密で美しい織物のように)、なにかがなにかに絶えず影響を与え合いながらこの世界は顕現していることを薄々は感じていましたが、最近ようやくその感覚が明確になってきました。

あ、やっぱりそうやったんやな、という感じです。ここに至るにYogaはやってきたけれど、他のアプローチや体験も必要だったんだろうなあと思います。ま、もちろんもっと先がある訳ですが。

 

12月にアメリカで学んできたIHヒーリングを、他者や自分自身に対して可能な限り活用しているところですが、先日は突然哀しくなり涙が出て止まらず、友達に交換セッションをしてもらったり自らセルフセッションをしたりしました。映画を見ていてなにかにフックがかかったらしく、これという理由もないのに突然噴き出した感情でしたが、近頃はこうして感情は湧き上がるものであることを許し、湧き上がるものを押し止めお利口さんでいようとすることこそが人間の大きな病理であることを知り、リアルな感情を抱き留め味わい尽くすことが以前より段違いに上手になりました。そうすることで見出されるものの豊かさに、とても驚いています。

 

あ、そうだ!
今月とっても嬉しいことがあったのを思い出しました。


出張を減らしたおかげで、箏曲の稽古に復帰できたのです。
ご療養中の先生も順調にご回復を遂げておいでのことと伺い、もうホントに!!!嬉しいの一言に尽きます。この度、お姉さん弟子がお声をかけて下さったので、お言葉に甘えて代稽古をお願いしたのでした。

 

出張続きの時は何しろ楽器が手元にないわけですから(さすがにお箏を持って出張はできない)稽古する時間が激減してしまい、毎朝とにかく弾くということができていた頃と比べると技量が最低(自分比)になっていましたが、それでも何十年もかけて先生が仕込んでくださったことは体が確かに覚えており、このことが私をとても励ましてくれました。

 

職格を頂戴した以上「辞める」という日はないのでしょうから、またここから少しずつ前に進んでいきます。資格をとった直後に訪れた「暗黒の期間」のお蔭で生まれた「この先何があったとしてもこのまま諦めたくない」という気持ちこそが、ギフトだったのかもしれません。

ちなみに今は「都踊り」と「越後獅子」を稽古しています。歌ってるとほんっとに気持ちいい。頑張るぞ〜

 

 

 

№867 クセになる対談

よれよれになって生きているように見える私ですが、それは内的作業の話であって、一応人間としてなんとか社会活動を送るべく頑張っております。


とはいえ主治医ならぬ主治鍼灸師のお見立てによりますと、未だ「肝虚」の状態癒えきらずとのことで、無理せずのんびり養生すべしとのご指示を頂戴しております。ありがたきお言葉。

 

さて、今年は新たな活動をあれこれと準備しているところですが、そのうちの一つに2年ほど塩漬けで休眠状態だった、知る人ぞ知るYouTubeチャンネル「よくばりなYoga」を、も一度動かしたろやないか!というものがあります。

 

それもこれも昨年行わせて頂いたスペースまほろば・中野先生との対談が超!おもしろかったことと、さらにはサンディエゴに出張っていた時にIHプラクティショナーのマイさんとの対談もこれまた楽しかったが故に、自分で企画したろうと思ったわけです。

 

仕事中は大体ひとりで喋りまくっているわけですが、相手がいておしゃべりするってほんと楽しいねえ。

というわけで、お友達にお願いをしまして毎月対談をさせて頂くことにしまして、本日第2回目の収録を行いました。

 

1月の初回は株式会社グローセンパートナー代表・島森俊央氏、第2回は某企業所属(秘密にしとくけど調べたらすぐにわかっちゃうらしい)赤木孝一さん。3月に予定されている第3回目は、マイ靈氣マスターマリコのビジネスパートナー・8Senseの小林藍ちゃんです。

 

みなさん、いろんな場所、いろんなシーンで「人」に寄り添い、「人」について深く考えている方であり、自らの人生も真正面からがっぷり四つに組んで鮮やかに生きておいでの方達ですので、プライベートでお話しさせて頂くときも、このようなオフィシャルな場で対話させて頂くのもとても深く思いを巡らせつつ、同時に笑える楽しいものになります。

 

そういえば先日PCデータをいじっていた時に、2年前のお正月に都内某所である方と対談した動画が出てきて、感慨深く見返していました。あの頃はまだ収録にも慣れていなかったので、なんだか初々しい?我が様子も微笑ましかったなあ。 

 

それはその方のYouTubeチャンネルでアップされる予定だったのに、あまりにも話が盛り上がり、業界あるあるのぶっちゃけネタがエキサイトしまくったが故に、公開するとヤバいだろ!ということでお蔵入りになったものでした。その時の学びがありますので、今回の収録ではかなりおとなしめに対話をさせて頂いております。

 

しかし本日の収録では、いきなり対談相手のおやかたさま(私だけが使う赤木さんの愛称)「ぶっ!」と笑われてしまいました。人様の前に出るものだからとちゃんと顔を作って(塗って?)準備をしたわけですが、「化粧しとる〜」と言われたのです。えー、なんで?いつもどげなんかな私?とちょっとしょんぼりこりすでした。

 

ちなみに今回の対談ではシャドウネタの話が終わりそうもなくなってしまったので、「おやかたさまとの終わらないシャドウ対談」を別企画として立ち上げ、毎月語りまくってそれをアップしようということになりました。誰も見ないとしてもそれでいい。
これは、絶対者に対する仕事なんだと思うことにします。

 

 

youtu.be

 

№866 LAX証明書事件

旅慣れたみなさん、海外旅行においてみなさまが「イヤやなあ」と思う場面はどこですか?

私は旅慣れた人でないが故に、入国審査はやっぱり嫌いっす。
この度は連れがいたので、私より英会話が堪能なこの連れに入国審査対応をしてもらったのですが、厳しい表情の審査官に「セドナなんて岩しかないじゃないか、こんな砂漠に6日間ずっといるのか?いったいなにをするんだ?!」と、私じゃなくて連れが問い詰められて、何も言われてない私の方が震え上がらんばかりだったのですが、後から聴くと「顔が笑っとったやんか、あれギャクだで」と言われたのでした。マジか... 

Yogaの尊い教えに「おまえが思ったように世界は見える」という至極当たり前の定番原理があって、野原に転がっている大きな木の切り株は、泥棒にはおまわりさんに見えるし、ラブラブな恋人同士にはイチャイチャするのに最適なベンチに見えるというものがありますが、まさにそれでございます。入国審査こわーい!と思っている私には「砂漠でなにするんや〜笑」というおもしろおかしいツッコミも糾弾の言葉に聞こえる。しかも自分はやり取りしてねえのに、ってなもんです。やれやれやで。

 

さて、この度の事件はLAX(ロサンゼルス国際空港)第3ターミナルで起こりました。

日本のコロナ対策ナメてたね、私。
あと、アメリカって国をナメてたね。
更に言うと、海外旅行=慣れ親しんだ国以外のところに行くということを完全にナメ切ってたね。

ワケあってワクチン接種をしていない私。以前から統合医療学会絡みで知り合いの、島根県松江市FクリニックのF先生に「ワケあって打てません」証明を発行してもらって渡航してます。

 

アメリカでなんども”Booster”っていう言葉を聞いたのですが、これって日本でも使われてるの?何しろ自分が打ってないからワクチン関連用語に疎い。3回目以降のコロナワクチン接種のことをこう呼ぶらしいですね。

 

ちなみにアメリカに入国する(渡米する飛行機に搭乗する)ためにはワクチン関連証明書の提示のみでOK。でも日本に入るにはBoosterを打った証明書か、陰性証明書がいるんです。これってホントに日本だけなの? 世界中の国を調べたワケじゃないけど、F先生曰く「日本だけ実験国になっとる」とのことでした。3回打ってないと証明書出させるよという縛りをつけたら、みんな3回目(Booster)を素直に打つのか?っていう実験らしい。うーん、この先はNoコメント。

 

出国72時間前以降の陰性証明って、何かを予定して渡米している人からすると微妙にめんどい。こういう言い方が良くないのは十分わかってるけど、なんていうか?絶妙な嫌がらせ感がある。「ほら、イヤやろ?めんどいやろ?Booster打ったがええんちゃいますか?」的な。
あと日本という国が決めた検査方法とかフォーマットを満たす必要があって、このお役所仕事対応もめんどい。経験上、公務員の事務的マインドが理解できるだけに余計めんどく感じる。

それでね、もちろん陰性証明書をゲットするために検査を受けました。ドラッグストアのドライブスルーで120ドルくらいかけて。高くない?!高いよね!場所によってはタダでもできるのにさ〜。でもしょうがない。帰国する必要経費と必要なアクションです。

事件はこの後起きました。48時間以内には結果がSMSで届くとのことで、約1日で届いた。それはよかった、予想より早いやん! 

ところが結果にアクセスできない。
「サーバーにアクセスできません」と表示される。なんで?!

私のIT能力の低さを知っている皆さんは「ツボイ、アホやな〜」と思ったでしょうが、これが私一人じゃなかったワケです。一緒に帰ろうとしていた非Booster接種の3人が3人とも、結果を見ることができなかった。そして何が起こったでしょうか?

 

搭乗を拒否されました。

まさかここまでのこととは!!
(甘い)

私はLAXの人混みの中でマジ泣きした。こりすチックにうえ〜ん!!!って感じで。
もう一人の方(男性)は半日早い帰国便で深夜に同じ事態に遭い、自らの甘さに腹が立って男泣きに泣いたって言ってた。

 

ちなみに先月渡米した時には、米国での搭乗時手続き時に証明書の提示を求められなかった(乗り継ぎのカウンターでチラッとデータを見せただけ)。日本帰国時に”Visit Japan Web”というアプリを使って入国審査の準備をするんだけど、それ自体も何となく12月と違っている。入国審査の流れも違っている。こんなに日々変化してんの?!

 

LAXのDELTA航空カウンターで、日本人の女性スタッフが言ってくれた。
「簡単に諦めないで、そのドラッグストア(全米チェーンのアレ)に行って検査代金返金&ホテル代補償させろ!!!」とハッパかけてくれた。あの言葉はニホンジンの私には最大限の慰めでしたが、リアルにあれこれ助けてくれた友人たちから「かよちゃん諦めなさい」と言われて、諦めた。

 

諦めた結果、スーパーマーケットのそばにあるマリオット系列のホテルまで送ってもらって、その晩に約35000円くらいかけて30分で結果が出て紙媒体で証明書をくれるところで検査を受けた。3人揃って。その後ホテルに戻って、カリフォルニアロールと日本ではそんなのない超巨大な缶のコロナビールを飲んだ。連れのPCで映画(カジノロワイヤル)を見て、若いダニエル・クレイグに癒されつつ(素敵な大胸筋)、昂った神経を鎮めた。

 

思えば私、ウクライナキエフ)やフィンランドヘルシンキ)などにも行ったことあるんだけど、常に旅慣れた人が複数人一緒だった。だから今回こんな体験を初めてしました。コロナとかサーバーとか、そういうことじゃなくって心構えの問題だと思い、絶対者の与えてくれた経験に深く首を垂れて、最大限の学びを得ようとしているところであります。ただで起きるな!カヨコ!

 

でもすごくよかったことがあった。
トラブルがあると人が助けてくれる。人と人が仲良くなる。今回のことで感じた友達の愛情は決して吊り橋効果とかじゃないと思う。このことはものすごく嬉しかった。大変だったけどアメリカを嫌いにならないで、また来てねって言ってもらって、今も思い出すと涙が滲むよ。

ありがとう!みんなに心からの深い感謝を。
絶対また行くよ!

 

 

 

№865 Yoga Session in Sedona


アメリカに行っていたのです。

 

12月に帰ってきて、「また来るね〜」と新しく友達になったみんなに言って帰ってきて「またっていつやねん」と思っていたのですが、翌月にはまた片道約10時間の飛行機の座席に座っていました。

 

この度はマイ靈氣マスターマリコが主催したリトリートへ参加させて頂き、YogaやIHのセッションを提供させて頂きました。

 

しかしアレですね。海外経験が少ない私だからこそこんなことを思うわけですが、1週間足らずの海外旅行ってめちゃくちゃしんどいですね。

前回は約半月の滞在だったので、時差ボケ回復から次の時差ボケまであまり気にならなかったし、帰国時にはIHの先輩方に伝授された一見怪しい時差ボケ解消法が効いたのですが、今回は私的にストレスフルであったこともあってかなかなか時差ボケが治らず苦労しました。

 

リトリートは、セドナというパワースポット?で開催され、赤い岩にトレッキングしたり、宿泊場所で終日セッションを行ったりと盛りだくさんでした。すみません...私は昔からパワースポットいうものにあまり興味がないのです。それなのにみんながいろんなところに連れて行ってくださり、ありがたいことこの上ないです。

立派なキッチンがある場所でしたので、みんなで手分けして食事を作り一緒に美味しく頂いていたのですが、なにぶん日頃から食事の摂取量が少ない私(昼を食べたら夜は食べられない感じ。ほら一応Yogaの関係の人だから)。皆様と一緒に食事をしていたら3日目には舌にデキモノが出ていました。

 

約10年近く鍼灸治療にも通い、日常の出来事が体にどのように発現するかは熟知しています。K先生にはYoga教師のくせに風邪なんか引くなんてありえんと厳しいことを言われた私ですが、今回の風邪に酷似した症状だって自己存在的には深い理由がある一大イベントだったのです(イイワケ)。

 

そう、舌にデキモノ。これは私の場合「食べ過ぎ」。
消化力キャパオーバーでっせ!とチーム「脾」=消化担当から指令が届いているわけです。こうなるとチーム「脾」の言うことを聞くしかありません。なので皆が集うアットホームな朝食をパスし、昼時に朝ごはんを食べ、夕方になると昼夜兼用で少し何かを口に入れる。お腹が空いたら=消化力が戻った感じがあったら、その時には満足するまで食べる、という勝手気ままな食活動を行なって対応しました。みなさんすみません!

 

リトリートで行ったYogaセッションには非常に好意的なフィードバックを頂き、「セドナまで行った甲斐があった!」という感激で満たされました。体操のフルセッションを行うのは久々です。近頃の私は、理論的な部分やYogaを活用する方法について語り、みなさんのお悩みに対してYoga的にどのように考えるかを解説することばかりで、体操実習の部分はアシスタントティーチャーのあっこちゃんにお任せしています。

 

でも今回はここにあっこちゃんはいませんし、他のセッションもふんだんに行われているわけですから、Yogaの身体的な部分からの影響を存分に感じてもらおうと約90分の体操セッションを行いました。私のセッションでは(いや、Yogaだときっとみんなそうだと思うんだけど)変性意識状態に入ったように深いリラックスを味わえます。そういう風に技術的に行っているのであって、魔法でもなんでもありません。あそこを押せば脳波がこうなる、ここをこうすれば交感神経はこうなる、とわかってやってるだけです。誰にでもできます。自分でもできます。

 

今回セッションを受けてくださった男性経営者さん(40代)が、丁寧な感想をシェアしてくださったので、概要をここに書いておこうと思います。ありがたいお言葉でした。

 

・・・・・・・

このヨガセッションを受けられたこと、ラッキーだったと感謝。
ストレッチや筋トレ、リラックスを主体としたものと考えていたけれど、大きく違っていたこと、実習が終わった後の自分の「顔の違い」に驚いた。

呼吸がスムーズにできるようになったとき、リラックスしたことを感じ、
リラックスすることで、普段から苦しいこと、関心のあること、悩んでいること様々なことが雲のように流れてきました。

体の内面、指先、足先、脈、毛細血管がジンジンするところまで感じられる。吐く息を長くするように意識するところから、次第に慣れ自分の呼吸のリズムは体全体に空気を送るようになる。

瞑想中に愛を意識し地球の核に向かい、頭上から宇宙へ投げかける。その投げかけた愛が自分の呼吸を通じてポンプのように行ったり来たりする。

Yogaを通して瞑想しているような、心に浮かぶ日々の様々なことを流していくことができるヒーリングです。ぜひみなさんに数回自分がどんな感覚の違いを感じるところまで体験してもらいたいと思います。

・・・・・・・

これまでずっと行ってきた通常のYogaセッションですが、「ヒーリングだ」と評価されたのは初めてでした。 ”Love”の言葉と共に感想を言語化し、シェアしてくれたTさんに深い感謝を。私からも愛を送ります。

 

№864 まだ掃除中

またもや1ヶ月近く更新をサボってしまったので、そこここから「先生大丈夫なん?」という不安げな声が耳に届いてきました。

この世においでくださる私を案じてくれる皆様方、愛は受け取りました!!! 
ということでようやく重い腰を上げて、文章を書く気になったところであります。

 

文章を書いていなかったわけではなく、リフレクションノートに加え自分しか読めない非公開ブログを開設し、言語化の客観度を一段上げたつもりで書きまくっています。1日1万字近く書いたことがあって、この勢いで10万字書けるやん=本出せるやん!と思いましたね。

実際に客観度が上がって自分にとって役立っているのかどうかはよくわからないのですが、感情を味わい尽くすことが段違いで上手くなりました。リアルな何かが左胸にあり、これは悲しみやなあと感じながら、そうやねそうやね、生きてるとそういう思いは当然あるよね、という感じです。叡智は体の底から湧き上がってくるんやな、ということがようやく理解できまして、ここに至るまでにガイドしてくださった方々や数々の書籍に深い感謝を覚えます。

 


さて、何も内省作業をするためだけにブログをサボっていたわけではなく、あれこれ行動して打撃を受け、海外旅行に行って打撃を受け、とアグレッシブな毎日を送っていたのです。なのでただぼんやりとサボっていたわけではありませんので、どうかお許しください。

 

年明けの体調不良以来、打撃続きです。絶対者ブラフマンの限りない愛を感じます。

この体調不良ですが、鍼灸では「肝虚」との見立てを頂きました。このこともう書いたっけ? 心労の結果、血が汗の形となって体外に流れ出てヨレヨレの状態だったそうです。どうりでガリガリになったはずだよ。そのことを伺った時、とにかく自分だけは自分を褒めてやりたいという気持ちになり、「グッジョブ!」と心の中で叫びましたね。

 

ぶっ倒れる前日に行った第2回Yoga聖典勉強会の評判がとても良く、まさかのスペシャルゲストを迎えて、想定外の3回目を1ヶ月以内にやるということになりました。このスペシャルゲストが、このブログでもよく登場なさるK先生です。人間の成長発達の分野における日本の第一人者であり、私もずいぶん長いことお世話になってきました。

 

K先生に第2回勉強会の動画(非公開)を進呈しましたところ、自分も出たいと言ってくださったので急遽3回目を企画しました。しかしこの勉強の結果、どえらい心労に悩まされることになってしまったのです。要するに先生から、今の自分には受け容れがたいフィードバックをもらったのですが、その指摘ポイントが聖典でも勉強会でもなく、自分の個人的悩みのど真ん中に(実は)直結していたがために、めちゃくちゃ動揺したのです。

 

先生としては「え、なんでそんなに動揺してんの?」ということだったかもしれませんが、結果的に地雷を踏んでしまわれて私的には大爆発、大惨事になってしまったのでした。次なる学びポイントをバッチリ押さえられて、今それに真剣に取り組んでいるワケです。

そこからの内的作業がてんやわんやでした。
なので非公開ブログまで作って、言語化作業=自分の想念の掃除を行なっているわけです。そしてまだこの作業がコンプリートしたと思えないので、K先生のゼミもサボっているところです。

 

でもまあ学びは長い目で見るものなので、多少サボったくらいどうってことないですよ。なんくるないサーだよ(いいわけ)。それより自分が揺さぶられるこの瞬間の体験から逃げずに、それが人から見たらどうってことない馬鹿馬鹿しい悩みであったとしても、真正面から向き合うことの方が大事です。

 

私がよりよく生きるために何をしなければならないか?
それは今、目の前のこと(感情)から逃げないことです。ガッツリ悩み抜け!!


なので、私は「なにゆえこのことを私はこんなに苦しく感じるのであろうか?」という自分の内側に、真剣に対峙しています。やはり過去からの癖とかパターンとかありますね。Yogaでうんと掃除してきたつもりだったですが、どんどん上がってくるのですね。でもそれはきっといいことだと思います。いわばツボイクリーン化です。これを徹底的にやっていけば、人様にご迷惑をおかけすることは減るはずです。

 

この他にあった事件としては、アメリカのアリゾナセドナ)でのリトリートに呼んで頂きましたが、予定通り無事帰国できなかったというものがあります。これもまたスペシャルなドラマですので、これは次回書くことにしましょう。

 

ということで、あまりにも静かにしている私を案じてくださった皆様に、心からの感謝を送ります。ダイナミクスを大事に、しっかり生きてました。今日も頑張るぞー

 

 

 

 

 

 

 

№863 年末年始心身大掃除

12月半ばすぎに1ヶ月あけていた自宅に帰り、ようやくJK剣士との暮らしが再開しました。
約1年離ればなれだったので、また一緒に暮らし出すと賑やかになると同時に、自分からは決して触れなかった情報にアクセスさせられることが増えました。

 

JK剣士もこの1年間で、私の知らないことばかりを体験・学習してきたわけで、色々教えられることが多いです。こういうことは日本でこれまで通りのJKライフを送っていたら難しかったでしょう。どんなことを教えられたかについては、また改めて書くつもりです。

 

米子空港に到着したら初雪が積もり、1ヶ月放置していた車のバッテリーが上がっていました。渡米前から予約していた美容院にも行けず、ボサボサの頭のまま年越しする羽目に。冬至の日に、これまで3年間取り組んできたプロジェクトのお礼を手配し、関係各位に無事ご挨拶を済ませました。年末に神戸旅行&大阪出張、ここで新しいプロジェクトの可能性を探り、年末年始にはYoga聖典読書会という怪しい会を主催。ご参加の皆様からの厳しいご質問に必死で応えるべく頑張った翌日、高熱を出してぶっ倒れました。

 

IH合宿中や帰国直後の東京滞在中にもひどく寝汗が出て、内的な変化を三次元的に処理するプロセスが発動しているのだろうとは思っていましたが、その総仕上げが行われたようです。

 

これはインフルエンザか?と思うような関節の痛みと発熱、その後何日も大量の寝汗で気持ち悪くなって起きざるを得ないという状態が続きました。食事も少しは摂っていたのですが、これだけ寝汗をかくとどんどん消耗してガリガリになり、着替える時鏡に写った自分の姿を見て、あまりの弱々しさに泣けてしまいました。

 

フラフラなのですがこういう時こそ修正が必要なので、セルフセッションをやったり、プラクティショナーの友人にセッションをお願いしたわけです。そうすると、これまで自分が後生大事にホールドしてきたネガティブな信念や感情を、できるだけ捨ててしまおうと頑張っていることがわかりました。自己存在の大掃除です。

 

マスターマリコたちがよく使う表現に「ガビガビ」というものがあります。
自分の、エゴイスティックで、今をよりよく生きることにほとんど役には立っていない思い込みなどが、自分の中にはたくさんこびりついているわけです。そのこびりつきを象徴的に表現するのが「ガビガビ」という言葉になります。しかしさまざまなきっかけにより、これをリリースしようという欲求が、自分自身の中に確かに発動する瞬間があるわけです。

 

このガビガビは多層構造である人間存在のいろんなところに同時にこびりついているらしく、感情レベルの課題を処理するために体に反応が出たりします。というよりも、そもそも問題のように見えるものは違う次元に原因があるわけですから、「なんでこんなことが?」ということが「なぜこんなところに?」という形で起こるのは当たり前と言えば当たり前です。

 

IH合宿中に知ったのは、頭の中でウジウジ思考しているネガティブなことと、ハラの底で知っている安心感や確信が、私の場合は右の眉のあたりで喧嘩しているということでした。ふっと浮かんだ純粋な思いに対して「でも」「だって」と難癖をつけ抵抗する時、右眉の少し上にチリチリとした違和感を覚えるのです。

 

しかし、左右の脳の統合という修正を行ってもらうとこのチリチリ感が消える。合宿の後半から体調不良になるまで、何度もこの脳の統合という修正の指示が(私自身から)出たのですが、1週間寝込んで何が起こったかというと、まるで浮かんでこないのです、ネガティブなことが。なのでチリチリ感覚を感じることも、もうないのです。

 

人間は、自分自身の中で、自分と闘っている。
今、そのことについて考えています。

 

自分対自分の仁義なき戦いは、大概の場合周辺諸国に飛び火して、近くの関係者に迷惑をかけます。しかしそもそも周辺人物もまた、ほとんどの場合自分対自分で戦争をしており、その戦火も飛び火させています。大戦争です。

 

まずこの自国内の紛争を終わらせ和解することと、他国の紛争に巻き込まれないこと、さらには叶うならば隣国の紛争解決に寄与できることが大事です。シャドウに向き合い、これを取り扱うということは、まさにこういうことだと思うのです。

 

自分を許し、受け容れる。そして無条件に愛する。
その結果、人間としてこの世に生きることに安心することができます。

 

帰国後にさせて頂いたセッションで教えられたのは、多くの人は生きるのが怖いということです。本来の意味でYogaしていれば、生きることが怖いなどということはあり得ない話なのですが、それはとても難しいことなのです。だからYoga=自らの真の出自を明らかにして、そことのつながりを再確認して安心に至ることが必須の課題になります。ここで私はYogaを強く推していますが、当然ながらそれはただポーズを取ればいいという話ではありません。

 

これはとても重要な話なので、自分の中でじっくり考え抜きたいと思っていますが、ともあれ私の場合は、体調不良の間の大量の寝汗と共にガビガビしたものが体外に排出されたようなので、このことをとてもありがたく思っています。今回この浄化をもたらしてくれたのはここ数年にわたる経験であったと思い、今日ここに至るまでそこに関わってくれた人、そしてこれをデザインしてくれた何か大きなものに対し、深い感謝を捧げます。


№862 年明け、そして師匠

1ヶ月もサボっている間に、新しい年になってしまいました。
遅ればせながら、今年もよろしくお願い致します。

 

長らくお世話になってきた恩師が、年末にお倒れになられました。
なので個人的にはまったくめでたくないので、「明けまして云々」という枕詞は可能な限り使用せずに年が改まったご挨拶をしていました。

 

私をよく知る皆様は、この私がどれだけ「先生」という存在を大事にしてきたかをよくわかってくださると思いますが、N夫さんやK藤さんを「さん」付けで呼ぶなどけしからん!という姿勢を断固として貫いてきたことと同じように、今ご療養中であられる恩師を親以上に大事に思いお仕えしてきたという自負のなかで、その大切な方が医療機関のベッドの上においでになるという事実は、新年の何もめでたくなどないと思わせるに十分な理由です。

 

しかし同時に、このことを通じて私は学んだことがあります。
なぜそうまでして、「先生」たる方を崇め奉るようにしてきたのか?ということについてです。

これ、私という人間を私自身が理解するために、非常に重要なポイントでした。


実は私以外の人はみんなこの事に気づいていたフシがある(うんうん、と頷く顔がいくつも目に浮かびます)。でも私を傷つけないためか、もしくは成長というものに対してプロセスが有する価値を大事にしておられる故か、誰も何も言わないでくれた。それをいい事に私もまた、「先生って呼んで何が悪いんじゃい!」と嘯いてきました。

 

ところがどっこい、潮目が変わったのであります。


IHヒーリング合宿のために渡米しようとする前に、敬愛するあの方から言われたのです。「もういい加減おやめ」と。その時初めて自分は素直に「うん、やめよか」と思えたので、それ以来時々うっかり以前の口癖が出てしまうとはいえ、意識的である時には「◯◯さん」と呼ぶように進化・成長を遂げたのであります。ちなみにツッコミが入る前に言い訳しておきますが、K藤ゼミの投稿で「Y平先生」と呼びかけてるのは意識的行為ですからね。

 

ご療養中の恩師は、茶道・箏曲・生花における私の師であり、この文化的な取り組みにどれだけ私が真剣に向き合ってきたかを知っていて下さる方は、師匠がお倒れになられたことと、例の感染症に起因する諸々でお稽古がこれまで通りにできなくなったことで、私がどれほどショックを受けているかをご理解下さると思います。そろそろお稽古再開を、とご相談申し上げ、では年明けからね、楽しみだねとお言葉を頂いたのが、師匠と交わした最後の言葉でした。その翌週に、お倒れになられました。

 

生命の確固たる基盤に対する信頼を持って生きている私ですので、常に奇跡を信じます。肚の座った師匠でした。様々なことでビビる私に、幾度喝を入れて背を押してくださったかわかりません。そんな師匠ですから、また私たちの前に変わらぬお姿を見せて下さるかもしれません。普段、三次元にさほどの執着を持たない私ですが、お師匠様に関してはそういう執着を捨てきれません。

 

「先生」方という存在を大事にすることは、愛してほしいと涙ながらに世界に切望する、私の魂の叫びでした。そのことに私はつい昨日まで思い至らずにいました。全然わかっていなかった私に「先生」方はいろんなことを解りつつ、そっと寄り添ってくださったんだなと思います。

 

愛してないのは自分だったんだよ。自分が自分を、愛するに足る存在だと思えてなかったんだよ。

 

IH合宿と、その後の友人との度重なる交換セッション、またK藤ゼミ、そして体調不良や批判的実在論の学びなどを通じてようやく私は気づいたのです。私は私に愛してほしい。私が自分自身に価値を認めたい。それができないとき私は「なにか」を世界に投影してしまう。苦しくて、悲しいから。そして寂しいから。

 

いろんなことがあって、その体験を消化するのが大変なので、Blogも日記も書けませんと言い訳をしていたのですが、消化するのが大変なのではなく、書くことで認める事になってしまうのが嫌なことが、いっぱい押し寄せてきているということなのかもしれません。

 

いつまでも元気でいて欲しかった。何も変わらないで欲しかった。でもこんな瞬間にまで、大事なことを教えてくださった。このことに気づかずにこの先を生きるのはとてもつらかったと思う。これが師弟愛ってことなのか・・・この先に続く思いはもっとあるのですが、今はとても言葉にしてここに書くことができません。


学んで私の血肉になったあれこれは、決して奪われない。そして私はその学びを通じ、イマココに存在する自分の価値を認めてやりたいと思う。私の先生方は素晴らしい方ばかりで、その素晴らしい方々に師事し、大事に導かれてきた私もまた素晴らしい。そう確信を持って言い切れたとき世界がこれまでとはまるで違って見えることを、私は驚きの思いで感じているのです。そして私は今も変わらず自分の「先生」方が大好きなのですが、その愛情と自らに向ける愛情が同じ質、同じ量に近付いてきているのを感じます。これが学びの価値であり、救いだと感じています。