蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№639 時間の不思議

寒天の闇わたりきてすれ違うたましひの芯光り合うまで  竹山広

 

 

 

4月22日
アサイチで柔道整復のセンセイ(Raja Yogaの大先輩)のところへ伺う。月に数度のメンテナンスだが行けば何かしら見つかる。今回は首がヘンだったのでひさびさにグキっと直された。このままひと月置くのは不安なので、来週もういちど施術を受けてから上京することに。

東京を出てから1週間が経つが、心優しいというか豪気な女子二人がお声がけ下さったので、明日は朝晩それぞれ別の方とデートの予定。おひるまには門脇師匠のところへFさんをお連れする。初CAFFE VITAなので洗脳、もとい布教活動である。いや、どっちもヤバいか。夜はM社長とワイン×参鶏湯。土曜の朝にはぷりっぷりのお肌になっているはずなのだが、オンラインセッションでもしかしてもしかすると「あれ、センセイ?いつにもましておきれいですね?」みたいなことには…ならないだろうかね。


さてさて昨日のことについて。
昨日は米子のナンチャッテ高島屋に出向いてきた。富山にアトリエを構えておられる須山昇華先生の茶陶展が3年ぶりに開催され、初日の昨日は先生にご挨拶に上がってきた。
お変わりなくお健やかな姿を拝し安心した。昨年大切な方をお亡くしになったのは私とおなじなので、こころよりお悔やみを申し上げた。高島屋が先生の単独の展示会を企画した最初のときから、お茶の師匠をはじめとして社中の多くの方が須山先生の作品の虜になった。

女性作家さんらしい柔らかく美しい作品には、金やプラチナが素材としてふんだんに用いられた繊細な美しさ。初めての展示会以来、波をモチーフにした作品が私のお気に入りで、この度も「月」そして「波と光」と題されたお茶碗でこれまでとは違った風情の波の姿を描いて見せてくださった。「どうぞお手にとって」と寛大なお声掛けを賜ったので遠慮なく手にとらせて頂き、掌で茶碗を包み込んで対話をするような気持ちで拝見した。

3年前と違うのは、マスターマリコのお蔭様で「氣」を感じられるようになったことだよね。エラそうな表現かもしれないが、先生の作品と掌を通じてお話させて頂いたような気持ちになった。お茶碗はしっかり手に包み込んで用いるお道具。こうして掌に抱いてみなければわからないことがたくさんあるような気がする。先生直々のご説明も頂き、実に贅沢な時間を過ごさせて頂いた。

他にはこの季節に合わせてか、桜をモチーフにした作品が多く出品されていた。枝垂れ桜を描いた建水と棗、澄みわたる青空のような青い地に桜花の舞う香合など魅力的な作品ばかり。
感染症対策のため、先生は初日から2日間しかおいでになれないとのことだったが、今週末には愛するオタク(お茶仲間)と一緒にもういちどこれらの作品を愛でに上がろうと思っている。

いやー、今こんな感じでぜんぜんお稽古ができてないけど(私がたびたび上京しているから鳥取ではビョウゲンキンみたいな者なので)、お茶を勉強してきてほんとによかったな。狂うほど好きな道具をお作りになる若い先生と、同じ時代を生きられてしあわせだなあ。好みの道具に出会えてうれしい。好きなお道具で大好きなひとに、お茶を差し上げられたらいい。こんなご時世だけど、その”とき”を心待ちにしてる。



ところで先日某所である方に「腕時計しないの?」とのお尋ねがあった。その方に時間を伺った直後のこと。その際には「あー確かに。ほんまやなあ」と思ったので、私の愛用の腕時計は文字盤が真っ赤なので、その日着ていた青い服には合わないからと申し上げたのだが… あとからつらつら考えるに最近ぜんぜん腕時計をしてない。更に言うと目覚まし時計もまずもって使わない。なんでやろなーと思っていたら、昨晩の洋平センセイとの読書会で「時間の概念変わってくるよね」とのお話があり「それやー!」と思った。

私はなにも自分が第二層(*インテグラル理論用語)にあるんちゃうか、などという大それた話をしているわけではありません。ただここ数年、時間との向き合い方がすっかり変わってしまっている。

先程の腕時計問題に関して言うと、はめるのは岡山駅でやくもに乗りかえるときくらい。レッスンをしていても時計はほとんど見ない。「だいたい今これくらいやろ」と思うとだいたいそうだから。朝も勝手に目が覚めるし「お、もう出かけなあかんのやない?」と思ったらちょうどいい頃合いだったりするから。こういうのをハラ時計っていうのであろうか。

時間って伸び縮みするでしょ?
これは瞑想をやっている方には肚落ちする感覚よね?

大好きな方とご一緒する時間は永遠。ほんとに。
昨日も須山先生を貸切にして語った時間は永遠のように長かったけど、たぶん誰にも迷惑かけてないし、計測できる時間的にはそんなに経ってなかった。今この一瞬こそが永遠で、あなたとわたしは二人で永遠に生きられる。そこにたぶん時計は必要なくて、うっかり時間を過ごしてしまったとしてそれもまたも絶対者のいたずらで、きっと必要なことだったんだと思える。

そもそも時間ってないらしいじゃないですか。私たちが思い込んでる過去~現在~未来っていう一方向に向かって流れる時間なんてないらしいよ。それは妄想なんだ。
二年前に母がなくなったときそんな本を読んでいた。母が逝ったと聞いた瞬間、過去に遡ってなにかが間違いなく浄化された。そしてまだ出会って何年にもならない方との関係性にも、今だけでないなにかがあるような気がしたりする。

私は今ここでこうしていながら、すべての時間を生きている。でも私がしあわせになるのは今この瞬間しかない。そして今この瞬間、私はあなたのことを疑いなく愛していて、とてもしあわせだ。今この瞬間しあわせだということは、たぶん未来永劫私たちはしあわせだろう。なぜなら私がそうするとこころに決めているから。

なにがあっても、あなたのことを大事に慈しむと決めているから。
いつどこにいても、どんなときにも。

 

  

 

時間は存在しない

時間は存在しない

 

 

№638 ふたり一緒に

映すものの意味もわからずいつの日か蒸発してゆくすべての水たまり   井辻朱美

 

 

 

4月21日
早暁目が覚めて水を飲みに立つと、我が家の飼い猫ういろが窓外から「あけておくれ」とせがむ。寝室に戻るとあとをついてきたがなにやら様子がおかしい。なんとまあびしょ濡れである。いったいなにがあったかしれないが、ともあれ濡れた被毛を拭いてやった。
ういろはエアコンの風が当たるところに座って自分の毛並みをひとしきり舐めたあと、本を読んでいた私のもとへ寄ってきたので準備していたバスタオル(猫用)に包んで抱いてやった。そしてそのまま二人で二度寝してしまった。目覚めたときには濡れた感覚も和らいでいたのか、つい、と立ってふとんの足元で寝そべり直した。ハハウエありがとう存じました、とでも言えば可愛いものをねえ。


さて昨日TVドラマ「和宮様御留」1991年版(斉藤由貴バージョン)も発見してしまい、早速視聴。高校生の時に見て衝撃を受け、そのまま有吉佐和子作品を読みふけるきっかけとなった作品だが、当時はまだ原作も読んではいなかったのでこんなに作り変えられているとは思ってもみなかった。久しぶりに会った昔の恋人は、かつての自分のバカさ加減を証明するような人だった気分である。えー、こんなひとだったの、夢中になってた私っていったいなんだったの…。

この衝撃度大な作品が、男女の恋愛ものにされちゃってるところがまずもってなんだかなあ。フキは身よりもない孤児だからこそ身代わりに抜擢されたんであって、こんなラブラブな恋人いたらムリに決まってるっしょ。勧行院さんもそこまで愚か者じゃあらしゃりまへんで。

1881年大竹しのぶバージョンが「おお!」と感心するくらい原作に忠実であったので、尚更ガッカリ気分。しかもこの古いバージョンにおける御所コトバがすごい。見ていると言葉が乗り移ってきて、だれかとお話したとき「御すこやかにあらしゃってごきげんようおめでとう」とか言いたくなっちゃう。今日からハハのことは「おたあさま」とお呼びなされってJK剣士に言ったら、完全にムシされるだろうな。

今日はいくつか用を済ませに外出した。私も籠ってばかりではないのだよ。でもこのことについては明日ゆっくり書くことにしよう。
そして夜は久々に洋平先生にお目にかかった(Zoomで)。

このBlogは洋平センセイ(inフローニンゲン)への狼煙の役割があるので、忘れないうちに思ったことを書いておきたい。ほんとうは直接お聴きしたかったが、夢でお返事頂ければと思います。

1.Raja Yogaの世界において「不幸と病気は偉大なる教師である」という言葉があります。
このふたつを通じた成長のことをPTG(Posttraumatic Growth:心的外傷後成長)というのだと理解していますが、これは相当に過酷な学びであり成長であると思います。
「発達必ずしも善ならず」ということを先生方は常に言ってくださいますが、インテグラル理論が普及しつつあるなかでそのことへの理解は不足しているように感じます。私自身はしんどい目に遭うのは今も昔も避けて通りたいタイプですが、ただ自分が今体験していることをジャッジせず、すべてを恩寵として味わう強さを身に付けたいものです。

2.何年にもわたり、洋平先生の下で断続的に学びを続けさせて頂いていることに深く感謝申し上げます。最近の自分は「A Course in Miracles」と「正法眼蔵」とVeda聖典に記載されている異なった表現が、あたまのなかでは繋がって同じ意味を帯びて理解できるように思い、同時にそこで得られた気付きが自分自身をより開放に導いてくれているように感じます。このことはたぶん(きっと)、先生の下でさせて頂いてきた学びの恩恵なのであろうと思います。
エリオット・ジャックスの時間の概念は重要な示唆であり、資料を探して読んでみようと思います。


同行二人(真言宗の教えで、常にお大師様がご一緒して下さっていることを示すことば)。絶対者とともに歩む道は様々なことがあるけれども、小さなわたしの狭い視野で物事を決めつけないように、他者のなかに生きるわたしそのものを助け生かすために、この命を使えますように。

ひとりじゃなかった!と度々思い出しながら、道を歩むことができますように。
経験を回避するのではなく、乗り越える智慧と勇気をお与えください。

 

 


№637 意味を帯びる

たったいまきみがはずした腕時計その円周がぬくいうれしい  佐藤弓生

 

 

4月20日
みなさまこんにちは。フラフラしてますか?
東京に滞在していてもとっとりに帰ってきてもフラフラしている私は、本日一歩も外に出ず、片付けやら衣類をはじめとするモノの手入れをしていた。10日後にはまた旅のひととなるので、次の旅行準備も兼ねての作業である。

その合間で、昨晩ウッカリ見つけてしまった有吉佐和子原作「和宮様御留」のドラマ化・大竹しのぶバージョンを見た。このドラマの斉藤由貴バージョンを高校1年生のときに見て以来、原作の虜となった私。いったい何度読み返したかわかりません、という小説が本棚には何冊もあるがこれはそのひとつである。

14代将軍家茂に降嫁なさった皇妹和宮様は実はニセモノ(替え玉)だったという説、皆様ご存知?なんとまあ歴代将軍の墓所の大規模調査の際に判明した衝撃の事実があり、真相は闇のなからしいよ…。そのことを下敷きに、歴史の波に翻弄される無力な若者の姿を描きたかったと有吉先生はあとがきに書いておられたような気がする。詳しく知りたいひとはわたしを飲みに誘ってください。でも語りだしたら止まんないからお覚悟のうえで。もうやめてー!って言ってもやめないから。

 

で、若き大竹しのぶ。うまい。見せる。このひとはホントにすごいと思ったのは貴志祐介の小説「黒い家」の映画化作品を見たとき。トラウマ映画です。原作を超える映像作品というのはなかなかないと思っているけれども、「和宮様御留」も「黒い家」も映像化作品の方がすごい。

私は京都出身ではないので(一目見れば“そりゃそうだろ”ってわかる)、作中でいちばん悲惨な目にあう登場人物・フキが祇園さんのお祭りのことを思い出しながら「コンコンチキチンコンチキチン」と歌う節回しみたいなものもサッパリわかんなくって、まつり=長崎くんち=モッテコーイ!みないなノリでしか想像できないものを、映像は「あ、こんな風情なのね」とぐうの音も出ないように理解させてくれるので有難い。

ちなみに「モッテコーイ!」というのは「アンコール」を意味する長崎くんち語。あら、それ素敵ね、もう一回言って?というのを心の底では「モッテコーイ!」と言いたい気持ちでいっぱい。でも誰にも通じないんじゃアホみたいだから言わない。


身代わり少女・フキは身分は低いがバカではない。なのにまわりのやつらは彼女が身分が低いというだけでバカだと思って、彼女に一切何の説明もしないで都合のいいように扱う。

状況がわからないという恐怖はふつう耐えがたい。
実のところ生きていて状況がわかるなんて言うことは幻想にすぎないと思うのだけれども、通常「こうなるだろな」ということが「ほら、やっぱりこうなった」ということを何かの保証のように生きてしまうので、それが思うように進まなかったときに人はパニックに陥る。

まあこういう視点はVeda聖典を読んでYogaをしていてもなかなか身に付くものではないので(私のように)、フキはぜんぜん悪くない。そして彼女が精神を病んでいくのもまったく不思議じゃない。彼女の人生も悲惨だが、若くして隠遁生活に入る宮さん(小説のなかの話です)も、新たな身代わりになった娘もそのいいなづけも、誰もかれもが大きな歯車のなかに呑み込まれていき、ものごとの大きな流れに人は抵抗できないということを想う。私なんぞは森の子リス的人生を平々凡々と送ることが許されているが、今後何が起こるかは絶対者のお心ひとつなのである。たぶん。

 


さて、昨日書いた小説ネタについて触れずおくわけにはいくまい。

辻先生、このオトコ(主人公)ちょっとどうでしょうか。甚だ個人的な意見ではございますが、この東垣内豊はいけ好かないケ〇の穴のちっちゃいやつにしか思えません。グジグジと自分が棄てた女のことを想い続け、彼女から25年を経て受け取ったラブレターを銀行の貸金庫に入れて月1で読みに行くってなんなんでしょう?沓子も男運が悪かった。実に気の毒です。

彼女との出会いは尊い存在の導きによって起きた必然の出来事だったと返信に書いていますが、例え二度と会わなくてももっと紳士的なやり方はあったんじゃないでしょうか。ここで、尊いお方=絶対者のお名前を出すとはナニゴトであるか?!と不肖ワタクシは思ってしまいました。沓子は「あなたを誇りに思っている」と言いますが、うーんその判定は如何なものか?同意しかねる私がいます。


次回上京でサシのみした際、お相手に「こういう男どう思う?」という調査を展開し、そこで留飲を下げるかまた怒りが新たになるかわかりませんが、この読書体験はわたしをそこまでひっぱりそう。そういう意味では辻先生のお仕事は偉大であります。「冷静と情熱のあいだ」以来楽しませて頂きました。心より感謝申し上げます。


「こんなに悲しい別れをしなければならない自分のいい加減な性格を憎んだ」
ほんまやで。


「君に愛された時、私は意味を帯びる」
これはヒロイン沓子の言葉。いい言葉だと思う。
自分が自分であると思っている以上の意味を、他者は私に与えてくれる。他者と私は表裏だから、この意味は存在の奥底で私が求めたものなのかもしれない。

ということは、沓子が求めた恋愛がこれほどに苦しいものであったことも、訳があることだったのだろうか?

 

 

 

新装版 和宮様御留 (講談社文庫)

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サヨナライツカ (幻冬舎文庫)

サヨナライツカ (幻冬舎文庫)

  • 作者:辻 仁成
  • 発売日: 2002/07/05
  • メディア: 文庫
 

 

 

№636 アイシタヒト

かけがへのなき一日がかけかへるもののなきままかがやきてゐつ  小池純代

 


4月19日
ただいまー。
14時台の伯備線特急やくもに乗って米子に帰りついた。あんことういろ(うちのにゃんこ)も私の顔を見るなり駆け寄ってきて「ごはんおくれ」と鳴く。長い不在に完全ムシされるかと怖れていたが、空腹のまえにはすべての問題が水に流されるかのよう…。

いつもは家にいるひと誰彼かまわず「ごはんおくれよう」と要求しまくっているういろ。「え、さっきあげたよ」と聞かされて「またダマされた―!」と思うことの繰り返しだったが、そもそも「ごはんおくれ」とにゃあにゃあ呼びかけるヒト自体がいないのだから食の量が減ってしまったらしく、抱え上げると軽くなっていた。あんこも撫でると手を舐めてくる。なんだろう、このサービス精神の旺盛さ。JK剣士がいなくてさみしかったのか、あんこちゃんや。


さてこの二日間どこにいたかというと、名古屋にいた。ホントだったら今日午後は御影公会堂でレッスンをして、明日は神戸・二宮に鍼灸の先生と一緒に泊まっていたはずだったのだがすべてキャンセルとなって、2日前倒しで帰ってきた。名古屋ではいくつか予定していたことがあったのだが、これもコロナの影響で半分しかコンプリート出来ず。

名古屋では名駅に滞在、セントラルタワーズ近辺をうろうろしていたのだが入る店入る店どこも相当な人の入り。20日からは名古屋でも時短営業になるとかで、先日の駒込焼肉屋さん明翆園のごとく駆け込み飲食で満員御礼という感じだった。
去年のことを想うと、みな逞しいなと思う。もちろん私も逞しい。昨年は家に籠ってうだうだしていたが今年の春はこんな感じで家にすらほとんどない。次は30日から五反田に滞在となる。


さて、最近YouTubeでループ再生して延々聴き続けている曲がある。
20代のある日、飛騨のスキー場で大音量で流れるあの曲を聴いて以来の古内東子ファンの私。スキー場で流れていたのはあの曲。君には何でも話せるよと言ってくれるカレが誰より好きなのに、何でも話せるというその言葉には微妙なニュアンスが隠されているらしいあの曲である。今改めて歌詞を考えるに、なにゆえそんな中途半端なメンズに心奪われたものであろうかとちょっとイラっとする。私がすっかりお姉さんになってしまった証拠だろう。

しかし「恋愛の神様、教祖」と呼ばれたという彼女、アレコレいい曲がありますね。
で、今ハマってるのはホレた男と別れることになった女子の歌で、サヨナラと言いつつもあなたのすべてを忘れない、いつか他の誰かに愛を囁くときにもあなたのことを想って噓をつく悪い女になるでしょうという曲である。これまたお相手はどげな(=いったいどのような)いい男であったものであろうか。妄想が膨らむではないか…しかし膨らんだつもりがニコラス・ケイジとかニコラス・ケイジしか思い浮かばない。困ったものである。

で、この曲を聴いていたら、YouTubeで大変よく似た「サヨナカイツカ」というタイトルの映画がご紹介された。2010年に公開された映画だそうだが、その頃と言えば子育てと体調不良とで外界と切り離されていたからまったく知らない。原作小説があるというので探してみたら池袋の三省堂にあったのでゲット。本日、揺れる伯備線車中で読み始めた。


人は死ぬとき、愛されたことを思い出すのか、愛したことを思い出すのかという問いかけ。誰かとのかかわりのなかで、自分自身に生じる意味。そこで生じた意味は永久に失われないものもあるだろうし、時とともに意味をなさなくなっていくものもあるだろう。

小説は今晩読み終えることができるだろう。感想は明日書いてみようかな。

 


雨の匂いを空気に感じても
傘なんて持って出掛けない
先行きが不安な世の中でも
あなたがいればそれでよかったよ

眠れない夜も電話したら
あなたの声が薬になったよ
魔法みたいに

さよなら愛してた人、すべてを忘れない
いつか誰かに抱かれる夜も
あなたのこと考えてる 悪い女になるでしょう

 古内東子「サヨナラアイシテタヒト」

№635 まっすぐな柱

僕らお互い孤独を愛しあふれ出る喉のひかりは手で隠しあう 堂園昌彦

 




4月17日
今朝はずいぶん早く目が覚めた。どうも調子がイマイチなので長めに入浴してセルフケアをした。荷物の整理も片が付きチェックアウトまでゆっくりしているところ。

さて、昨晩は数か月前に日本橋蕎麦屋で日本酒を酌み交わした秘密の美女と再会。この度は京橋、南インド料理である。「苦手でなければ…」とのお心遣いであったが、インドとくれば守備範囲どまんなか!…と思っていたが、これまで頂いてきたインド料理はなんだったの?と思わされる品揃え。すごい。カレー以外の豊富なサイドディッシュ。そしてカレーも多彩。いつも食べているのは北インド料理だったってこと?インドに詳しい仙台のさなちゃんに聴いてみなくては。秘密の美女も、前から気になっていながら本日ようやく初来店とのこと。なんだかうれしい。

まあとりあえずビールでも…といって美女がチョイスしたのはサッポロ。インドビールは苦手なのか、それともおいしくないのか…と思って私も同じものをお願いしたら美女が言う。「私、サッポロ好きなんですよね」来た、酒呑み発言。すかさず私も言う。「赤星サイコーですよね」。他のお客さんはきっと「あの角の席に座っている二人の女性はじつに美しいな。いったいなんの話をしているんだろう」と思っていただろうが(妄想)、サッポロビールはうまい、瓶の手酌がまたいいというハナシをしていたんですの。ほほほ。

そういえば先週、秘密の場所の“社食”(勝手に呼ばれている定食屋さん)でリーダーたちと会食したとき、私はいきなり「サッポロ、瓶で」とオーダーし、つい本能で「生」と言ってしまったリーダー(たぶん席に座ると「生」って言葉が自動的に出ちゃうんだろう)を羨ましがらせちゃった。星のマークが目に入ったら米子H斗剣道部かサッポロビールよね。

実のところ今回の会食はマジメに打ち合わせだったのに、肝心なネタについて話し合うまえにサッポロ談義、そうこうしてるとビールがきて乾杯。グビッといったあと「これじゃいけない!」と理知鞘が叫んだ。まあ正直なハナシ、飲んでても飲んでなくても私はあんまり変わりないんだけどさ。それでも。

そして一応きちんと?大まかな、実に大まかな段取りをした。本日この件をリーダーにご報告したとき、アレコレご下問されてお答えできず「いったい京橋まで行ってなにしてきたの」と叱られちゃったらどうしよう。

私たちは今あることを企画していて、公に告知されるのは5月の連休明けの予定。
とてもおもしろいことになると思う。ああしてこうしてと南インド×サッポロを堪能しながら妄想は膨らんでいき、ふたご座だからとか、ウェディングケーキみたいな二段重ねがいいんじゃない?とか、出刃包丁にリボンつけてケーキ入刀しようとか。いったいなんのことかさっぱりわからないでしょ?やっぱりリーダーに「打ち合わせじゃなかったの?」とご指導受けそうだよ。ま、なんとかなるっしょ。なんくるないサー!


昨日、規夫師匠とのお話のなかで自分のなかの強い怒りに気付いた。
一つは金銭にまつわること、もう一つは結婚にまつわること。
国営企業で20代をまるまるぜんぶとその前後数年を過ごしたが、その保守的な文化のなかで、私が生きていて果たしたいと望んだあることを、私がこうであってほしいと望むかたちでやり抜くために活用しなければならない制度があった。抽象的な表現で申し訳ないですが、それぞれの方が「あ、あれね」と思うものだと思って読んで頂ければ。

そして私を縛ったその制度のことを、実のところ私は心の底から憎んでいる。ああそうだったかと思ったとき、目じりからスーッと涙が流れた。このあと京橋で美女と会うのに、私の方が化粧ハゲハゲだとみっともないから号泣は出来なかったが、つぎ師匠と会うときには号泣対応体勢で臨もうと思った。

自分のなかに怒りが見いだされたからといって、この体験を悪いものだと思っているわけじゃない。絶対者のお仕事はいつも申し上げるように緻密にして完璧であるからして、私のなかのこの怒りを「今」見いだすために「かつて」あの経験をする必要があったと思うし、今、怒りに気付いたことにその緻密なお仕事の妙があると思う。

人は、頭のなかで思っていることと、感情と、ハラの底で信じていることが一本のまっすぐな柱のようになれば、生きていて経験するさまざまな(時に過酷な)事々に立ち向かっていけると思う。
私は試されてなどいない、ジャッジもされていない。ただ、「今」そのことをあじわってごらんと言われている。

人に甘えてもいい、弱い自分がいてもいい、完璧を目指して生きなくていい。
ただ「今」ここにこうしてあることに絶対的な信頼をもって、どんな苦痛のうちにも至福のうちにも、ほんとうの自分は誰なのかを見出せる者になっていきたい。

 

 

 

№634 意に添うように

バイオリンを顎で押さへて弾く見れば演奏は濃き愛撫に似たり  高野公彦


4月16日
今日がこの宿で過ごす最後の夜。
ここは軽症者の施設に指定されちゃったとのことで、日に日に人がいなくなる。はじめのころ客室清掃のために廊下がしっちゃかめっちゃかだったのに、それがだんだんなくなり廊下の隅にこれから洗いに出されるのであろうバスタオルが数枚ぽつんと打ち捨てられてあったのを見たとき、なんというか…もののあはれを感じた。

ほんとのところ私も最後の二日ほど他の施設に行ってねと言われたのだが、長期滞在で荷物が多いのをようようJK剣士の腕力で運び込んだので、そのことを告げられたとき一瞬目の前が真っ暗になった(大袈裟)。なみだながらに「17日の朝までここにいさせて…」と懇願したところ、寛大なお心をもって特別に?「仕様があるまい」と言ってもらえた。余程悲しみに暮れた有様に見えたのだろう。

あのときのフロントの男性は、カウンター越しに向き合う打ちひしがれた私と、奥の事務所らしき部屋を汗をかきかき往復なさって板挟み感いっぱいだったが、ご対応が実に親切だったので「いいなあ東急」と思った。一度だけ1階のレストランも使用したがここも感じ良かった。おまけに来月の予約も振替しないといけなかったので、その対応をしてくれたちょっとエラいのであろうおじさまもかなりイケてた。いいねえ東急。

来月は青山か五反田か?!と超葛藤したが、結局天のお導きで五反田に戻ることになった。いったん決めたものごとを動かすのは基本的にはしない私(すごいめんどくさがり)。青山でお願い、と伝えたあと長女ぶーちーの「五反田にしてえ~」という声が聴こえてきてハハはこころほだされ、でも変更は申し訳ないなあと珍しくあたまを悩ませたらなんとまあ!翌朝部屋に電話がかかってきた。「青山は某日が全館停電でご宿泊が叶いません。大変申し訳ないのですがどうにかほかの施設にご変更を…」と仰るではないか。天の采配、来た、と思ったね。シンクロニシティっていってもいいんじゃない?


ということで明日いったん東京を出て、30日の夜に戻ってきます。なんだかんだで荷物が多かったので(コーヒーミル持参)その返送の準備などをしている。結局一番多かったのは書籍。しかもあとから買い足したために量が増えている。ヤレヤレとほほ。ちゃんと娯楽本も持ってくるべきだった。次回はもっと工夫せねば。


さてさて、いったん東京を後にする前日は、まずお昼に五反田でぶーちーに会った。ありがたいことに、食べきれなかった食品を譲り受けてくれた。その足で今度は秘境田端へ行き規夫師匠とお話してきた。師匠との対話はいつも実り多いが最近とみに気付きがある。前回も今回も自分の内側にながく押し込めてきたものを発見してしまって涙が出ちゃったよ。まあでも、自分で扱えるようになったからこそ浮上してきたんだともいえる。なんとか日々心素に降り積もる残存印象(アハンカーラ)を処理はできているんだろう。そうでないと昔っからのものなんて出てこないから。

師匠とは10年のお付き合いになるので、これまでの私のどろどろとした恨みつらみみたいなものはどれもこれも聴いてもらってきている。今回の気付きに関しても、年季の入ったものであることを理解して下さっていた。「え、知ってたの?」って感じである。

これは今年ふたつめの、そして私の人生にとってかなりおおきなシャドウワークになるだろう。これも前回と同じように専門家のお力を借りてしっかりと取り組もうと決めた。


自分の人生で起こることはひとつひとつ別個で、ほかの人の身の上に起きることとは関係ない切り離された事象のように思えるが、じつのところすべては関連しあっている。この世界はこの上なく美しい織物のようであり、絶対者ブラフマンのお仕事は緻密にして完璧である。昨年我が身に突然降りかかってきた、呪い(のような医者のことば)に腹を立てて取り組んできたことが、再会した方々の興味とゆるやかにつながっていることを知ったとき、やはりこの世に個人的なことなんてないと思った。

「愚者は不幸を嘆く」という名言を慧心師から与えられたが、自らの身に起きたことにレッテルを貼って個人的な事象として貶めてしまうからこそこんな思いに捕らわれるのだろう。ブラフマンの大きなお仕事のなかでの私の役割は、もしかすると私の希望したものではない可能性もあるけれども、それを同じくするよう我を排して天と我の意が添うように生きることがYoga、すなわちつながりをとりもどすということなのかもしれない。


今晩は京橋で南インド料理を頂きながら豊かな時間を過ごした。明日はそのことについて書いてみよう。

 

 

 

 

 


№633 自分をすきでいること

かゆいとこありまひぇんか、といひながら猫の頭を撫でてをりたり  小池光

 



4月16日
昨晩は山陰の方とのセッションが二件。
なんぶちょうのクラスの皆様とは体操中心。でもたとえおそばにいても、目を閉じて声を聴いて頂いて行うレッスンだからだいじょうぶ。距離とは関係のないなにかを感じながらご一緒にAsana(体操)をするのも貴重な体験。

その後は23時過ぎまで愛するオタクくん(千家の茶の湯なかま)とセッション、といいながら彼が来月予定している旅について大いに盛り上がった。Google Mapを見ながらルート確認。どこで泊まって何を見るか?日本海に添って北上して秋田まで行くんだって!しかもミッドシップ2シータ、すなわち軽トラで。実にクールじゃないの。

秋田って何があるんだろう?(きりたんぽ以外に)
と思ってセッション中に調べてみた。

なまはげ

秋田にはなまはげがいるんです!みなさん!ご存知でしたか?!もしかして常識?
なまはげの館っていうのがあるらしいから、そこに行って「わるいこはいねが~」って言われて来てよってお願いした。なまはげTシャツがあるよ?!と興奮して伝えると「いらねー」と即却下された。オタクの心をつかめないTシャツじゃダメよね。なまはげのみなさんは奮起してオタクの心を鷲摑みするなまはげグッズの開発に取り組んでほしいですね。


ちなみに私は20代の10年間、限りなく愛知に近い岐阜県の下の方に住んでいた。県境が川だった。木曽川のことで、対岸が愛知県。なかなか壮大な光景だった。しかも毎年夏に川で事故が起こっている。川って怖いんだなと思った。

それまで私が暮らしていた範囲(長崎市の西寄り)には中島川という小さな川しかなかったので、木曾・長良・揖斐の三川は大きいなあと感動したものだ。ちなみに長崎の中島川っていうのはかの有名な眼鏡橋が掛かっている川です。高校から坂道を下って行ったところで学生の足だとじゅうぶん徒歩圏内だった。

学生のとき一時期合唱に勤しんでいたので、團伊玖磨作曲「混声合唱組曲 筑後川 Ⅴ.河口」というのを歌ったことがある。このときはじめて「川っていうのはこんなに壮大なものなのか」とぼんやり考えた。

 

終曲(フィナーレ)を 終曲(フィナーレ)を
こんなにはっきり予想して
川は 川は おおきくなる
(中略)
筑後平野百万の生活の幸を
祈りながら川は下る
有明の海へ
筑後川 筑後川
その終曲 ああ

 

という歌詞で、大きな川の雄大さが華やかに歌い上げられている。
というのはいつも通り余談で、一つ前の余談に戻ると岐阜県に長く住んでた、というハナシね。

岐阜県は日本のへそだそうで、確かにどこに行くにもどまんなかで便利だった。なので色んなところに遊びに行った。特に気に入ったのは金沢、そして伊勢・鳥羽。福井には夏季野外訓練(海水浴?)に行ったし、永平寺にも行ったな。山中温泉でストリップ劇場に入って泣いた。まあ色々あってね…。かつてソフトボールチームの女子マネをしていたときには新潟の長岡まで行ったが、試合をしていた河川敷と捕手がケガして付き添っていった病院しか記憶がない。

ということで”日本海北上”というプランに私の心素が絡み合い、「永平寺行っとけ」とか「東尋坊は見とけ」とか「金沢には二泊しろ」という何様感いっぱいの口出しをしてみたのだった。



いったいなんのセッションしてんの?という感じになるのはいつものことだが、でもこんな展開でもセッションの最後にはスッと核心の話に収まっていく。
昨日は「自らを愛する」ことについて、そして「本来の自分は傷付けられることはない」ことについて話した。

ここから先はYogaネタパスの方はスルーしてくださいー。

 

ひとの幸も不幸もかたちのないもので、精妙な思いから生じる。精妙なものは当然怖いくらい力が強い。だから多くの心ある人が自らの思考には責任を持つようにと教えていて、瞑想のもっとも大事な点はここにあると私は信じてる。

ひとは毎日たくさんの思考を無意識に弄んでいて、はじめてYoga(伝統的な)に触れたときに、自分のなかのおしゃべりがものすごくうるさいことに気付いて驚愕した。でもずっとこうしてあたまのなかで四六時中、私ではない誰かのように思えるものが、私をジャッジし断罪し、時には罪深いから死ねと言ってくるのだった。

Yoga歴が進んでもときどきこの声はなにかのトリガーによって戻ってくることがあって、二カ月前五反田に初めて泊まったとき、なかなか宿にたどりつけない心細さと疲労と、そのとき心にかかっていたことが相俟って私の頭のなかで「お前は罪深いから死ね」と言った。

昨日愛するオタクくんに伝えたのは、こういう声が完全になくなるには相当な時間がかかるみたい、ということ。でも落ちたところから浮上するのは間違いなくうまくなっていく。じょうずにあるがまま生きることができれば、私たちは根っこではつながっているのだからちゃんと助けたり支えたり、励ましてくれるひとに出会える。

あのとき私のなかにまだほんのすこし残っている「自分を断罪する声」が私に「死ね」といったが、なんでそう思うことになったんだっけか?という肝心なネタの方はもう思い出せない。問題は問題でなかったことがわかったからだ。そしてそのときの滞在で出会ったひとたちに慰められて「やっぱりだいじょうぶ」と思い返すことができるようになっていった。


生きることは波のようで、上がったり下がったりするしそれでいい。逆に言うと上がったり下がったりしない海だと、船は前に進まずに遭難しちゃうかもしれない。

昨日の愛するオタクくんへの宿題は「自分を好きって言えるようになって欲しい」ということ。まず私があなたのことを好きで、あなたがどんなひどいことをしてもともだちでいるよ。だからあなたも自分のことを好きでいて。
なにがあっても自分だけは自分の味方でいるぞって、思えるようになってね。