蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№379 あなただけの「良い姿勢」

クリシュナ神が告げられました。
アルジュナよ、我の数百、数千という多種多様な姿を見よ。種々の色や形を持つ我が姿を見よ。」 バガヴァッド・ギーターⅩⅠ-5


姿勢を癒すのにてっとり早い解決法は、残念ながら、ない。

従来のプログラムでは、からだの外形を作り変えることを重視している。
からだを横から見たときに、耳~肩~股関節~足首がまっすぐになるようにとか?
それほんと?

この世界で、わたしがふわふわと浮かんでいかないようにしていてくれる力(お好みなら重力と呼んで頂いても構わない)や、この世界そのもの(環境)と、わたしが“これぞわたしだ”と思っているからだそのものとの関係を変化させることが、姿勢を変えることの意味なので、形だけをなんとかしようとしても、そんなことはできない。

わたしが世界を感じ取る感覚を変えるという行為こそが、姿勢に変化を起こすことができる。
そしてその変化した姿勢を持続的に保つのも、変化した感覚に気付き、維持していることを感じ続けることで行われる。
感じ続けることをこそ、訓練し続けるのだ。

誰にでも共通する健康的な姿勢という理想形があるわけではないし、理想のためにからだが何か違うことを「やる」必要があるわけでもない。
やることはただ一つ、あなたが“感じる”ことだ。

自分の内面から外に向かって姿勢の変化に取り組む「新しい姿勢のルール」を感じながら決めていくことで、身体は自然に世界と調和することになるだろう。

楽器を演奏しているひとならわかると思うが、演奏のためにからだが変形したりする。
ちなみに私は、指の第一関節(特に中指)がちょっと曲がっている。
「まだ若いのに…」と某治療院で言われたことがあるが、これは筝を弾くからだと思う。
また、筝は上体をわずかに右にねじって演奏するので、私のからだはそれに適合してすべてのバランスをとっているのに違いない(右にだけねじることに何の疑問もないし、どこも痛くなったりしない)。

断固として、あなたのライフスタイルに合わせたからだを創っていけばいいのである。
どこかの誰かが「正しい」とかいう姿勢なんて、単にその人の主張に過ぎないと思って放っておこう。

ただし、運動と姿勢が無関係と言っているわけではない。
強さとしなやかさが無ければ、重力との関係でつらい思いをすることになるかもしれない。

身体的にバランス感覚を欠いていると、それは人間関係にも現れるとヨーガでは言う。

しなやかなからだの動きを生み出すためには、流れるような緩やかさをもって様々な動きを行っていくのがよいだろう。だから私はヨーガ・アサナを選択する。

その動きに、筋トレやストレッチ、有酸素運動という区別は一切ない。それはただ、アサナである。
アサナを通じて私は生かされている至福感に満たされるので、それはすなわちヨーガそのものでもる。アサナをしていないときにも至福感は感じているので、ヨーガを行っていない時はないのだとも言える。


自動的に、無意識に、時間をかけて何をやっても、あなたの姿勢や症状は変わらないかもしれないが、一瞬一瞬の全身の感覚を感じ取ることにしっかりと集中できれば、「たかがそんなことで?」と思うようなシンプルなポーズで大きな気付きが得られるだろう。

あなたはあなた自身と結びついている必要がある。
そのことへ向かう取り組みが、「姿勢を良くしたい」という求めから生まれるのであれば、それは素晴らしいことだ。

がんばるべきは動作ではなく、頭のなかのおしゃべりを遠ざける集中、そして感じること

がんばりどころをけっして誤らないように。
自分を責めたりしないで。
生きていることの不思議や素晴らしさを、忘れないでいて。