蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№412 根底に流れるもの

「無明がひとたび正しい知識根拠によって除去されてしまったならば、どうして再び生ずることができようか。なぜなら無明は無差別・絶対の内我(内在するアートマン)には存在しないからである。」ウパデーシャ・サーハスリーⅠ 1-8


昨晩から出張のため首都圏に来ている。
出発前にオンラインでのレッスンをやったのだが、終了後すぐに出発なので本日は音声のみでご指導しますといいながら、声をかけているうちに自分がまったりしてきてしまい、結局のところ後半一緒になって体操をしていた。
こういうとき、ヨーガ・アーサナは実に気持ちいいことということを改めて、そして強く感じる。

 

さて、先月から始まった動画等収録のため、過去のクラスで使用してきた資料を加筆修正していたのだが、ヨーガ以外のアプローチから改めて教えられることが多い。
特にフェルデンクライス・メソッドロルフィング、脳の可塑性の研究などから新しい視点を与えられ、繰り返しこれらの関連書籍に目を通しているところだ。

指導の際、なるべくマットに横たわったポーズを選択し、立って行うような動きをほとんど行ってこなかった。
当初意図していたのは、ヨーガ療法の教室に参加されるのは何らかの症状にお悩みの方が多く、痛みや苦痛のために動作が制限されているということ、また、股関節等の動きが悪いためバランスを崩しやすいから安全性を重視してだったのだが、ロルフィングの本によると、横たわった姿勢で動きや呼吸の練習を行うことで重力の影響をほとんど受けずに実習が行えるため、高い効果が得られるということだった。

ロルフィングというアプローチは、浅学ながら呼吸と感覚を重視した動きで自らの心身を調えるもののようだが、本来のヨーガは「ヨーガ・スートラ」にはっきりと明記してあるように、無智から煩悩が生じ、煩悩が心を乱し、心が乱れれば呼吸も乱れ、最終的にこころやからだに病気が生じるということを熟知した上で体操を行うものなので、当然ながらロルフィングで意図しているものを含むわけだが、現在のヨーガ業界の主要なアプローチはそのようになっていないことをとても残念に思う。

先日初めてお会いする方に、「あなたのやっているヨーガはどんなヨーガですか?」と訊ねられた。この方は、状況をよくわかっておいでの方だと思った。その後に「みんなで一緒に体操をするのですか?それとも心を重視していますか」と続いたからだ。

心と関係のない人間の活動などないし、心と切り離された体もない。
これから行っていく動画等の収録においても、オンライン配信という形態上、理論的な話と実技が“分かれて見える”わけだが、その根底に常に流れ失われることがない何かを、如何にお伝えできるかにかかっていると思っている。
なので本日から、スタッフの方の前でマントラを唱えてから始めようかと考えているところ。皆様にはドン引きされるかもしれないが、マントラを支える思想なくして私の仕事などないのだから。

いつどこでなにをしていても、絶対者ブラフマンと繋がっていることができ、そのことをもって人の役に立てますように(それこそがヨーガだから)。小さな個としての私を道具として、人のための大きな仕事がなされますように。