蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№368 自分と調和する

アルジュナよ。常に我を思念するヨーガ行者にとっては、我が境地に達することは容易なのである。」 バガヴァッド・ギーターⅧ-14

 

 

ストレスによる心身摩耗の影響は大きい。
いつでもどこにいても常時つながっている今の時代は、絶え間ない危機感を人工的に生み出している。

 

哺乳動物が絶えず危機にさらされると、アドレナリンが放出され「闘うか・逃げるか」の闘争・逃走反応が起きる。(そして結果的に、血圧が上がったり、血糖値が上がったりする。)

この反応はトラに追われた時には役立つが、メール等に返信することは命に関わる緊急事態ではない。

 

注意力断片化の問題に関する科学的研究が進み、最小限の効果しかないとわかっているのに、人は相変わらず無理をして一度に多くのことをやろうとする。
(そして「時間が無いからヨーガはできない」と思ったりする)

「常時オン」の状態は解決策ではないし、優れた人ほど休息の重要性を十分認識し、積極的に“休むこと・やめること・減らすこと・厳選すること”を実行している。

よく考えると、クラスでアサナを行う時も、半分は休んでいる
ある姿勢を取りそこで数呼吸過ごしたあと、必ず休めのポーズを取る。
初心の方に自宅実習を勧めないのは、ポーズを取ることがヨーガだと誤解しているからだ。

長年頑張ってきた私たちは、何もしないことの効能をほとんど知らない。
ヨーガで「休めの姿勢」を排除し、ポーズを取っている時間のほうが上回ってしまったら、健康に対する有用な効果のほとんどは失われてしまうだろう。

ヨーガでは呼吸を疎かにしない。
呼吸はそのまま、あなた自身の生命のリズムなのだから、呼吸と調和して活動できるように練習をしてあげて欲しい。

体操を行うとき心はそぞろになり、ここぞとばかりに「この後やらなければならないこと」や「自分ができていないダメな点」などについて考えだす。
それに気付いたら、呼吸に、必死になって集中すると決めて欲しい。
そしてそっと意識を呼吸に向ける。そのことを何度も繰り返すだけでいい。

なんの練習も無しに、日常生活の中で“集中の達人”になるのは至難の業だと思う。
ヨーガは毎日の実践を「タパス」と呼ぶ。情熱のことだ。
ヨーガを実践することを大事にしている人たちは、肉体面の効能だけで続けている訳ではない。
精神面の効能のことを理解できるようになると、身体的な効能はおまけに過ぎないし、放っておいても自然についてくるものだと気づくだろう。

静かな場所で瞑想するのは確かに気持ちよいが、条件が整わないと心身を調えられないのでは片手落ちだ。
アサナをやってみると、からだは自分の思うようにならないこと、呼吸も難しいものであることに気付く。
だからこそ、自分のからだを使うアサナは有用な実践となる。

思うようにならないもの(=自分自身)と共同作業を行うなかで、努力だけでは何ともならないものがあることに気付くし、結果や効率に対するこだわりを捨てて、その時々の調和を求めていくことが大事なのだと腹の底で感じるだろう。

“呼吸と調和し、ゆっくり動く”
この練習は、あなたに計り知れない恩恵をもたらすはずだ。