蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№920 無関心領域からのRobert Nesta Marley

毎日フラフラしている私ですが、各種実践と言語化だけは弛みなく続けております。
当然か...

 

昨秋からこの春にかけては晩酌という悪い癖がついてしまい、「これはヤバい」と困惑していたのですが、これは自らの人生に対する焦りが噴出した末の一時的な行動であったらしく、この夏を迎えるまでにきれいさっぱり消え去ってしまいました。

ひとのこころの働きは、実に不可思議です。

 

「自分自分」でヒートアップするのはYogaでいうところの我執そのものであり、人間特有の贅沢な遊びと言えるかもしれませんが、本人としてはたまったもんではありません。肝臓もクタクタに疲れていました。

 

日々の実践は呼吸のように自然なものと化しているので、「やらないと気持ち悪い」からこそ苦もなく続くのですが、ここで気をつけなければいけないのは「やってるだけのやってるつもり」となってしまうことです。

 

これはどういうことかと申しますと、やってはいるがなんの変化も生み出さない取り組みのことです。

 

前回語ったように、これまでのロクでもない経験に対する評価が変容するような、そういう実践でなければわざわざやる意味ないよなってことです。これが私の信念。「もったいない」ことをしたくないだけ。

 

なので、時に人前に自分を晒して「もう詰んどるやんけ=人間として一時停止してますね」と言われる自分でないかどうか、点検し続けたいですね。

 

 

さて、毎日やっていることの一つに、最近は映画鑑賞があります。

 

相当観てます。観ては忘れます。

よほどのインパクトがあるものでなければ、すぐに忘れます。

 

あれおもしろかったよ!と人に話そうとして、タイトルも筋書きもあやふや、なんてことが結構あります。私のお友達には大変な映画好きの方がおいでになるのですが、その方の記憶力に圧倒される度に、自分という人間には「映画記憶機能」、もしくはそれに類似する神経が欠落していることを実感します。

 

しかし時々、忘れたくても忘れられない映画に出会います。

 

私は音に敏感でして、音の記憶が強烈な映画が二つほどあります。
自宅で配信を視聴するならさほどのことはありませんが、映画館はやはり音響もしっかりしているのでその場にいることすら苦痛な上、気分まで悪くなりました。

 

ひとつは、愛するニコラス・ケイジの「8mm」。


今、調べてみましたら、配信サービスでも見ることができないし、DVDの新品も売ってない。あれはマジで気持ち悪かったので、みんな嫌になっちゃったんですね。さすがニコですね。

 

ふたつめは最近の映画、「関心領域」です。

 

happinet-phantom.com

 

すでにご覧になった方はわかってくださると思いますが、エンドロールのあの音楽。


いやもうその場にいるのがほんとにつらくて、左右に人がいなければ、すぐにでも飛び出して太陽の光を浴びたかった。

 

この映画は高く評価されているだけあって、さまざまな点で実にすごかったです。


あらゆるホロコースト映画を観まくり、自分のキャパの許す限り書籍も手にとってきたつもりの私ですが、ホロコースト関連映画もとうとうこの域まできた、こんな表現が可能な時代が来たのか!という意味で、大変感動しました。

 

もちろん逆の懸念はありますよね。


「え、いったいなんなんコレ。誰、このおっさん。意味わからん」で済ませられちゃう危険性も含んでおり、教養やリテラシーというものが問われる作品であると思いました。

 

皆様ご存知のとおり、森のこりすのようにデリケートな私はひとりでこの映画を見にいく勇気がなく、我が家の剣士に懇願して一緒に行ってもらったのですが、そこで剣士が一つ条件を提示してきました。

 

「関心領域」鑑賞後、すぐに家に帰れるわけないやろ

 

との主張で、そのあと絶妙なタイミングで上映されるボブ・マーリーの伝記映画を見ようというのです。

 

えー、だるー レゲエ興味ないし、と思いました。正直なところ。

 

ところがこの選択が大当たり!

時間的にもアクセス的にも、何より気分的に、まさに神の采配。

 

ところで、私があまりにも「関心領域」を強くお勧めするので早速ご鑑賞くださったよっちゃん先生は、後でご気分がお悪くなられたとのことで(やっぱりね)、ボブもしくは他のお口直しナシでの鑑賞はお勧めしません。剣士は正しかった。

 

エンドロールの不穏な音楽からポーランドの怒りを総身に感じ、フラフラと映画館から出て、よろよろと近隣にある別の映画館に向かいました。

 

そして私はようやくわかったわけです。

 

自分が完全にレゲエを誤解していたことを。
ごめんよボブ。ごめんよレゲエ。

bobmarley-onelove.jp

 

インテグラルであるとは、政治的であるということ」とウィルバーが語っていますよね。

 

ボブ・マーリーインテグラルだったのです。

 

俺は音楽しかできないけど、今のこの国の政治についてはこう考えてて、こんなふうになるといいのになって強く願ってるんだ。俺はそれを音楽でやるぜって、そういうことだったのでした。

 

映画の冒頭にボブの語りがあるのですが、私はそこでもう完全にもっていかれました。胸に矢が刺さった女です。

 

正確な文言が思い出せないのでここには書かないけれど、国とか政府とか、そういうものに対する自分の考えを、自分の世界観のなかで明確にもっていることは大切だと、改めて思いましたね。

 

ウィルバーの四象限における右下象限が、私たちのリアルな生活にいかに大きな影響を与えているか、小手先のことをごちゃごちゃいってもなんともならない現状の恐ろしさに戦慄し、怒りを覚えるようになるには少々の時を要することはわかってはいますが、それでもいつかはしっかりここに開かれていきたい。

 

そして私が日々やっているような実践や内的なものへの取り組みも、目の前に展開するリアルな現世との関連において理解されなければならないと腹の底から思います。

 

まともでパワフルな実践は、現世を鏡として使う。
「至人は世界を鏡として用いる」というやつです。

 

なぜ私に見える世界はこのようであるのかと考える。そして時に失望しながら、今生自分に許された表現で、それに立ち向かっていく。

 

YogaしかできないからYogaやってるんだけど、Yogaだけやってりゃいいと思ってるわけじゃない。

 

現世の現れは、数学的正確さを持つと言われます。

 

無関心領域は見てみないフリしながら贅沢に生きて首括られる人と、神とつながって音楽を奏でながら病に倒れる人がいる。これが私の生きる世界。目を背けない。

 

わかんなくても考えてみる。ただぼんやり坐ったりしない。

 

なぜ世界がこのようであるのか、私は瞑想を施して、わからないなりにちゃんと考えてみる。

 

 

 

 

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