蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№251 私の中のさざ波

昨夜1時近くまで「大逆事件」を読んでいたら、娘と二人で寝坊してしまった。
飛び起きたら、やはり夢は飛び去ってしまった。
夢を記憶しておくには、起床時の状態がとても大事だと思う。

ヨーガを(ちゃんとヨーガとして)やると、脳波にアルファ波が出る頻度が上がるときく。更にシータ波なども増ていくらしい。このせいで「これでいいのだ」「心臓に毛」状態になっていくのだろうな!

夢を見ている時はきっとシータ波が出ているから、ここからアルファ波へ上手に移行して、まだその余波が残っている間に記憶しておかないといけないのかなと思う。
布団のなかでウトウトとうとするのは気持ちがいいものだが、これは、アルファ波~シータ波を行き来しているからではないかな。

今朝のような場合は、時計を見た瞬間に、即座にベータ波にジャンプしてしまったので、シータ波の時の経験は、波と共に夢の中へ消えて行ったのだろう。

ヨーガ行者は、体内のあらゆる変化を自分で感じ取る。
「魂の科学」を読むと自分の意識化レベルなんて「全然ダメじゃーん!」と思うのだが、それでも(私くらいのレベルでも)心臓の鼓動、脈拍、血圧上昇、血糖値上昇などは気付くことができる。

ストレス下に置かれた時、色んな変化が同時に体に生じると「あー、コルチゾール出てる」と思ったりしてるのだが、体内に出ている物質に名前を付与してしまうことで、大事な何かが失われるような気がしないでもない。

脳波に関しても、脳波計を頭に装着されなければ、すべて私の主観でOKである。
ちなみに今は普通のベータ波が出ている(はずだ)。明日の研究総会では、演者の先生のお話が長くなったりしたら高ベータ波が出るかもしれないし、往復の電車の中ではシータ波が出てしまうかも。

私は科学的な人間ではないので、脳の中に波があるなんて素敵だな!と思うのだ。

米子は日本海と中海という海に囲まれているが、自分のなかにも日本海の荒波や瀬戸内のさざ波(宮城道雄先生の「春の海」のような)が生じたり消えたりしていると思うと、人の在りようの多彩さにジーンとくる。
もしかしたら中海のような状態の時に、誰かがヨットで私の脳の波のなかへ漕ぎ出しているかもしれない。

この波を見つめている「私」がいるということこそ、「観照者の視点」なんだろうな。

来春の演奏会に向けて稽古をしているが、曲に慣れないストレスフルな状態から、曲に慣れ親しんで一体化するような状態に移行して、ゾーン状態で演奏会を迎えられるようにしなくてはね。脳の中の波と共に。