蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№696 カギはじぶんだ

指からめあふとき風の峪は見ゆ 膝のちからを抜いてごらんよ  大辻隆弘

 

 

 

6月19日
皆様ごきげんよう。いつもふらふらしている私はセンター北駅から聖地大崎のスタバ、じゃなくてエクセルシオールに移動しておとなしく座っております。

致しの体験ハウスというところに2泊してみた。サウナ(熱くないやつ)のなかに数時間転がって大汗をかいたので、たぶん体内に蓄積されたあれやこれやの毒素がすっかり抜けて、これでまた安心してサバとかサーモンとかどしどし食べられるはず。
何の作用かわからないが、体験ハウスのベッドの上に座っているとだーんだん眠たくなってくる…遠赤外線が発されているあたたかいベッドだから?ということでいつもふらふらしているのに、この二日はうとうとして過ごした。

昨日泊まったお部屋は三階にあって、屋根裏部屋みたいな感じ。斜めになった壁(屋根)に天窓がついていて、森の子りすからアルプスの少女ハイジになった気分。昨夜は雨が降り出したので、天窓を洗う雨の音がここちよかった。

ところが、である。夜半ふと目が覚めて、1階下にあるお手洗いに向かおうとしたとき事件は起こった。無垢材の床は滑りやすいので気をつけて、靴下とか履かない方がいいよと注意喚起されていてもちろん素足だったのだが、屋根裏部屋?から降りる急な階段で滑って落ちた…
左のお尻を階段にぶつけて、左踵を床に強打。今、左の踵に体重を預けられない状態で、脚を引き摺りながら歩いている。もしかして左のお尻に青あざができてるんじゃないの…?もしそんなのができてたらまたJK剣士に「大人のクセに恥ずかしい!!」と叱られるから、今朝シャワーを浴びたときも見て見ないフリをしておいた。明日帰って確認してもらって、場合によっては叱られることに。

昨年3月の自発ぎっくり腰事件を思い出す。自分で体操しているのにぎっくり腰を引き起こした例のアレ。今もO先生にSOSを発信するか否か激しく悩んでいる。去年も相当恥ずかしかったが、今回もかなり恥ずかしい。お誕生日は28歳で打ち止めしているとはいえ、私も立派なオトナである。階段でスベッてとか申し上げたら、ウケ狙いかそれとも老化か?とお悩みになるに違いない。老化じゃないです(きっと)、ウケも狙ってません、スベッただけです。月曜にC治療院予約しなくっちゃ。そしたらそこでも先生にきっと「Yoga教師のクセに意識化が足りないからこんなことになる。センセイ失格。」って呆れられちゃうな、とほほ。

 

 

足をひきずりながら大崎まで大冒険だ~、と思っていたら天から救いがやってきた。なんと!車でJR大崎駅まで送ってくださる方が現れたのである!そして無事エクセルシオールへ。いや、ほんとにありがたい。このご恩は来月必ず、親子丼と幻のビールでお返しさせて下さい。

 

 

さてさて、ぬくぬくしたベッドでごろごろしながらずっと本を読んでいた。読みながらウトウトしてしまうのでろくに読み進められていないのだが、咀嚼するのに時間が必要な情報である。

Yogaは体操じゃないのよ、智慧なのよ!とふだんから騒いでいる私。
でもYogaの智慧って、読み解いて理解して体得するのが結構難しい。私がアホだからか?いや、そんなことないと思うよ?だってC治療院のマッサージ師・M先生も同じくYoga仲間だけど、いつもふたりで「ヨーガ・スートラ(By パタンジャリ)って読んでるとけむに巻かれるよね~」とこぼしあってるから。これをもっと現代的に、説明できる部分は明確に説明して、Yogaの恩恵をみんなが受けられるようにしなきゃ!!と思うワケですよ。

 

今読んでる本は、そのヒントになる情報が含まれていて助けられる。Yogaはあまり肉体に興味がない。粗雑体はパワーが小さいから、もっと人間存在内奥のパワフルな部分に働きかけようとしている。でもなぜ、トラウマ記憶にいつまでも人は苦しめられるのか、ぐるぐる思考が止まないとなぜいけないのかを、Vedaやスートラ、バガヴァッド・ギーターから理解するのは前述のとおり至難の業。
そういう観点で、この本めっちゃわかりやすーい!

で、今これを読んでいるあなたに超ザックリ説明します。
すでに同じような本を読んでいたり、元々知識をお持ちの方で「なんか違う…」と思う方、勘弁してください、先に謝っておきます。付け焼刃でごめんね!


Yogaは人生を自動操縦で生きることを拒否する。
今ここでのすべての体験における主人(独尊位・カイヴァルヤ)たることを求めて人はYogaを行じる。ポーズを決めることも、その象徴的行為にならなきゃ意味がないのよ!

ところが人間、生まれたときに付与された肉体的環境(条件?)が脆弱すぎる。ピュアすぎるといってもいいか。新生児は1日のほとんどをデルタ波で過ごし、2歳くらいまでそんな感じ。どうりで2歳になったころ「なんかちがう!」という気にさせられるはずだ。1歳くらで次第にシータ波が出てきてこれが6歳くらいまで。そのあとはアルファ波域が加わり12歳くらいまで続く。その後はほとんどをベータ波で過ごすっていうから、「元服」の時期って脳波がオトナモードになるときってことなのね。

人は誰もがみんな、よろしいですか?みんなが、6歳までにトラウマを負うってコーク博士が言ってた。私たち皆がトラウマサバイバー。人をケアしたり指導するひとは、そのことを決して忘れちゃダメ。

なぜ6歳までに?その理由が脳波にある。
6歳までの脳波、シータ波・アルファ波というのは、大人でいうところのウトウトまどろみ、まったりリラックスしているときの脳波。この脳波域は非常に暗示にかかりやすい。幼児期の子供は当然ながら理解力・分析力が未発達なため、経験したことがそのままどんどん無意識に刷り込まれていく(被暗示性が高い)。そしてなんらかの経験から感情が動くとき、その感情の原因となったヒトやモノとその感情を条件付け、連想記憶を形成する。高い被暗示性がある=親の言ったテキトーなことが信念になってしまう、と言われると合点がいくだろうし、怖い。でもわたしたちみんながそうだった。

この、幼いころ無意識に刷り込まれ形成された記憶を再検証して、そこにまつわる感情・思考的意味付けを再評価・再認識するのがYogaの根幹となる取り組みである。これを瞑想(ただ座るだけが瞑想じゃないよ!聴聞、熟考、対話を含みます。)で行い、過去の浄化を行って深い悟りに到りたいのだ。

感情が動き、それに伴って思考が湧き上がる。思考や感情が湧き上がる時には対応する神経の反応があり、内分泌等の変化がある。いっつもイライラしているひとはコルチゾールのようなストレスホルモンやそれ対応の神経の働きに体が慣れきっていて、「いつもの状態が安心」だからこそつい容易にイライラモードに入っちゃうのかもしれない。「いつもの状態」が自分をハッピーにしていないなら、変えていかなければ。

あー、もう今日はずいぶん長くなったからこれでやめるけど、Yogaで恩恵を受けたかったらまずは意識化・客観視。慣れ親しんだ感情や思考による心身への悪影響を断固拒否!これゼッタイ必要。まずここからです。

目を閉じて「あなた」を感じて。すべての鍵を「あなた」がきっと握っている。ぜんぶがこれでいいとは言い切るつもりはまったくありません。しかし、鍵はあなたが握っている。それは確かだよ。