蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

ヨーガ体操の上達は、何をもって測るか

今日は雨の1日でした。春が少し後ずさったような肌寒い日でしたが、鴬は鳴いています。

朝、目を覚ますと、スークシュマ・ヴィヤヤーマやアーサナと呼ばれる体操を行います。
呼吸に合わせ、目を閉じたまま体の感覚を十分に感じ、自らの肉体の今日の様子を見つめていきます。
少しの動きで体の中に感覚が生まれますから、その感覚を見過ごさないようにゆっくり丁寧に動いていきます。

しばらく前から左肩に痛みがあるので、どのような動き、どのような角度で痛みが生じるのかを観察していきます。
自らの手足を押し合うことで、少し負荷を掛けていきます。決して強すぎる負荷にならないように、どこにどのように負荷がかかっているのかをよく感じていきます。
体のなかに、緊張しているところと、脱力しているところが同時に存在しています。必要のないところに緊張が入らないように気をつけて動きます。
動きを止めてしばらく静かにしているだけで、感覚が変わり、体の動きも変わっていきます。

ヨーガの「初めて」はフィットネスで、DVDでした。
体を痛めつけて「やった感」を得るような、雑なアーサナをしていたなあと懐かしく思い出します。
教室に通うようになっても、負荷の高いポーズを好んでいました。
今思うと、自分という存在の中の「微細な感覚」が鈍っていたのだと思います。
分からないからこそ、強い刺激の中で気付こうともがいていたことが分かります。

今のような丁寧な動きができるようになってからは、時に体に生じる痛みと気長く付き合えるようになりましたし、「理由があってこの症状がある」ことを信じていられるようになりました。

「体操ができる」ということは形の問題ではなく、自分に対する感度、それも肉体だけではない感情や感覚をも含めた感度が研ぎ澄まされてくることで、段階的にしか起こらないものだと思います。
また数年を過ごしたときに、今こうして書いている気付きに対してどんな風に感じるでしょうか。
今、私が感じているヨーガの体操に対する気持ちよさや快適さを、沢山の方に知って頂きたいものです。