蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№296 微細な動きってなんだ

痛みの原因についてお話する前に、”微細な”動きについてもう少し語っておきたい。

Sukshma Vyayama スークシュマ・ヴィヤヤーマ というヨーガの体操があることを以前書いた。ヨーガの動きと言えば、”Asana アーサナ”というものを聞いたことがある方も多いと思うが、これは「姿勢」を意味する言葉だ。長時間じっとしておくことのできる体をつくる運動、と思ってもらえれば間違いないと思う。瞑想は1時間ほど座っていたりする訳だが、まずその為に肉体的な準備が出来ていなければ、心という力の大きなものは扱えないと言われている。 
 
このスークシュマ・ヴィヤヤーマを直訳すると、「微細な運動」ということになる。 微細な、という言葉は日常ではあまり使われない言葉なので、ピンとこない人もいると思うが、意識というものが3つのステージを持つことをご存知の方にとっては理解できるだろう。  微細ではない動きはどんな動きかというと、“粗雑な”動きである。 あなたの腕を、ただ振り回してみて下さい、とお願いして、振り回してもらってそれで完了するのが「粗雑な動き」なのだが、これは何もあなたの動作が雑ですよ、と言っている訳ではない。
 
肉体というものは目に見えるものだが、「目の玉」という物体で捉えられるものを「粗雑体」という。では呼吸などはどうだろうか。とても寒い日などに吐く息が白く見えることはあるが、基本的には息は見えない。神経の働きなどもそのままでは見ることはできない。そういう目に見えない働きのことを「微細な働き」という。
 
では微細な動きというのはどういったものか。
目を瞑って、腕を動かしてみる。そこには「感覚」というものが生じると思う。 この感覚を感じつつ動くことを、微細な運動という。 強いストレスを抱えている場合や、平素から意識が外部に向いてしまっている場合は、この自分の感覚というものを感じることができない。感覚がわからないので、無理な動きをしたり、休むべきタイミングがわからなくなったりしている。もちろん、こういう状態では、自分の腹の声も聴こえなくなっている可能性が高い。 
 
ヨーガとはどんなものか、ということを私の生徒さんに伺うと、「自分の感覚を研ぎ澄まし、自分の事をよりよく理解するためのものです」と仰る。
こういうことを言って下さる方は、特に感覚の優れた方かとお思いになるかもしれないが、そんなことは無い。普通の教室に来てくださっている、普通の兼業主婦の方だ。しかしこの方は、16歳から50代まで続いていた腰痛を克服された。手術も一度なさっておられる。大いに期待して行った手術で、彼女は期待した結果を得られなかった。痛みは去らず、更に神経痛が加わった。ならばと思って、整体やマッサージに通い詰めたが痛みは無くならなかったという。一生この痛みと共に生きていくしかないのだと諦めの心を決めた時、友人の勧めでヨーガに出会う。痛みもあるので、始めた頃はよくレッスンをサボっていました、と今は笑いながら話す。実習を始めて2年後くらいだったろうか、「田植えの手伝いができた」と報告してくれた。何気なくしゃがんで苗箱を洗っている自分に気付き、こんなことはずっとできていなかったんだと思い至ったという。それくらい自然に痛みは消え去っていたのだった。 
 
彼女はヨーガで治したのか?違うと思う。
彼女は自分で自分の感覚を研ぎ澄ますことで、自分の体の使い方を変え、結果として腰痛と縁を切ったのだ。 
 
こういう動きを伝統的なヨーガは静かに伝えてきたのだが、欧米にもこういう動きの智慧は伝わっており、フェルデンクライス・メソッドやニューロ・ムーブメントと呼ばれている。私たちは既にヨーガという手法を手にしているのだから、どこかから新しいメソッドを学ぶのではなく、ヨーガの持つ神経可塑的な動きであるスークシュマ・ヴィヤヤーマをより一層活用していくべきだ。