蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№878 飲み過ぎだけど

8月1日

 

怖くて行きたくないなあと思っていた場所があって、「次いつ来るの?!」と人に迫られてもむにゃむにゃ言ってゴマかしてきたのですが、ゼミでおともだちになった宇宙人の塾長が会を開いてくれたので、「今しかない!」と思ってどこかから飛び降りるつもりで足を踏み入れてきました。


ありがたいことに自称うっかり八兵衛がお供をしてくれたので、心強かったです。でも八兵衛って誰だっけ?水戸黄門のキャラだっけ?マスターヨーダも知らないし、八兵衛も知らないし、私の世界って狭いね。



せっかく行ったので美人とランチをして、その店のマネージャーが私のために美味しいお酒を準備してくれていたので、ワインをたっぷり呑みました。デザートに合わせてまで呑んじゃった。

 

その後、某所へ移動して宇宙人の会食に参加。そこでも、そりゃあもちろん呑みました。お開きのあと友人宅へ向かって、そこから二次会が始まりました。二次会開始の直後、そんなに飲めないと思うと言っていたのに、0次会のスタートから24時間経過したあたりから振り切れちゃってまたもや楽しくなってきてしまい、気づいたら2時を回ってました。

 

いや、もうさすがに呑みすぎやろ。

 

こういう行為を「悪癖」と呼ぶか否か?
皆さんいかが思われますか?

 

LAの友人との交換セッションで「依存を悪いことと思っているうちはダメだねえ」というメッセージが出ました。

「何か」を「悪い」と思ってるようじゃまだまだだねって。

今の自分はダメだなあと思うのはもういい加減おやめなさいよ、ということです。

 

「ああ、こんな自分ってダメねえ」って心のどこかで自分にダメ出ししてることは、隠していても何気ないセッションの中でポロッと露呈するのです。人間、自分に嘘はつけないんです。

まりもちゃんとの対談でも話していた通り、かつての私は生活を「修行者」的にきっちりデザインしていて、そこから決して逸脱しないように生きてました。肉も食べない(家族と食事が別)、酒も飲まない、宴会とか行かない。早寝早起き、瞑想、実習、勉強、そして仕事。

 

その頃の私、子供らに言わせると「サイテー」だったそうです。厳しくて。
今の私も、あの頃の私とは友達になれないなー。いや、向こうが友達になってくれないか。大事な時期だったですけどね、あの修行の期間って。そういう時も必要だよね。

 

そんな私が変わった要因はいくつかありますが、大きなきっかけは、ある方から「修行はもうおやめ」と言ってもらったことです。そこから少しずつ、ネバネバガチガチライフは変わっていきました。

 

で、今はもうこんななのに、まだ「ほんとは飲んだらいけないんじゃないの?飲まない私の方がイケてるんじゃないの?Yogaの先生なのに飲んでいいの?」と思っていることをセッション中に指摘されて、愕然としました。まだまだ心のなかで、自分のことをディスっているんだ。

 

私はYoga教師なので、たぶんこの飲酒癖がおさまった時、更なるシッディ(超能力)がガツンと開花するのではないだろうか?と思っちゃう。でもそれってほんとかなあ?

いつか自然にいらなくなるかもしれない。お菓子と同じで(昔は甘いものが死ぬほど好きでした)。お酒大好きなお友達もたくさんいるから、ご一緒する時には楽しく飲んじゃうと思う。

 

何かが悪いとか、私のどこかにいけないところがあるとか、そもそもそういう考え自体を超越したい。


この世界に、絶対者じゃない「なにか」なんて存在しない。
なにも否定しない、なにも排除しない。

まるっとぜんぶ「よかよか」って言いたいよねえ。

 

 

 

ぼくは知ってる
ここがどんなにすばらしいところか
だから邪魔しないでください

谷川俊太郎「生まれたよ ぼく」より抜粋)

 

 

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