蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№462 ことばをつかって

わがこころ環(たまき)の如くめぐりては 君をおもひし初めに帰る  川田順



本日再度上京して、奥さまにお会いする。ちょうど1週間前に「また必ず」と言って別れたのが嘘のようだ。旅の準備のなかに、常には持ち歩かないものを忍ばせなくてはならないことが、ひとりの人の不在を際立たせ寂しさがつのる。まだ、信じられない。

ふだんとは違う日々を過ごして、毎日のルーティンができなくなっていた。
人に指導させて頂いている自分にとって必須のこととして、日々行っている一連の行法に取り組むことが疎かになった。ふりかえると、こういうときにこそあたりまえのことをあたりまえにやり抜くことが重要と思える(利休さんが自刃の朝も茶を点てて飲んだように)。こういうときにこそ、修行が試されると。

  

この間に頂いた心遣いを通じて、愛情とは気遣うこと、言葉をかけることだと感じている。

先週末に帰宅して今は山陰にいるわけだが、ここにも故人と繋がっている人がたくさんいる。そういう方のお心遣いをひしひしと感じるし、離れて暮らしていてなかなか会えない方々もお声をかけて下さる。とうぜんながら、故人のことをご存じでない方もおられるわけだが、私を通じてつながっていたと思って下さっているようにお声をかけて下さる。

 

こころのなかでどんなに思っていても、残念ながら、伝えなければなにも伝わらない。

伝統的ヨーガの瞑想実習では、必ず師と弟子の対話を行う。このことをダルシャナという。
この対話の行法は直接のこともあるし、書面やメールによるやり取りもある(実に現代的)。資格取得の過程では主に書面での対話指導を受けた。

この対話の行は非常に重要だと私は(そしてヨーガは)考えていて、こんなに自分のことをとり上げて語りつくさねばならないことは人生でもないことと思う。私の指導ではこのダルシャナを最も重視しているが故に、人によっては体操指導をほとんど行わないこともある。

意識化の要件さえお伝えして理解して頂けば、ご自身の既存の活動の中にヨーガの要素を取り入れることはじゅうぶん可能である。ヨーガを習うということは、体操を習うということなのではなく、自分自身についての理解を深めるということ。この自分自身というのは100年足らずで五元素に還る肉体のことではなく、本来のあなた自身のことであって、このいわゆる「真我」の視点を確立させることが、指導においてなによりも重要だ。当然ながら体操指導においても、意識化の促しを通じてこの視点確立を行っているわけであって、エクササイズをしてもらっているわけではない。

 

10数年の指導の中でひしひしと感じるのは、みな、自分の話を聞いてもらう機会をもたないということ。人間は自分の話をすると気分が良くなり、からだの調子が良くなる。しかしこれを家族や友人相手に行うと、関係がややこしくなる。


ヨーガは歴史の検証に耐えた優れた道具であり、非常に便利だと思っているが、それよりもなによりも私は人が好きだ。だからこの仕事を続けていられるのだと思う。

教室で、その方の個人的なお話を伺うのがたまらなく好きだ。
毎回伺っていると登場人物が増えていき、「健康教室」と歌われている場所で、お父さんの好きな食べ物の話を聞いていたりする。その方のおうちの物置の前に、危険な隙間があることも知っている。猫のために2階の窓を開けておく必要があることや、その猫が子供を産んだことを知っている。

そんな話をなさるとき、自分のからだのどこが痛いとか悪いとか、そんな話題は消えてしまっている。毎日の生活の中にしあわせが在ること、知足の思いが、確かに浮かび上がってくる(村上春樹の言う「小確幸」である)。

おもしろいな、と思ったことが心に残っていて、その方のお顔を拝見するとふとまた浮かんでくる。「そういえばあれはどうなったの?」と訊ねると対話は更に深まっていき、無駄話のように見えることのなかに、そのひとが最も大事にしているものや、求めていることがありありと浮かび上がってくる。その方の主訴や痛みに対して、何が必要なのかも見えてくるように思う。
まずヨーガありきではないからこそ、こういう対話がなによりも重要になる。

 

目の前の方に対する尽きぬ興味をもってその方の瞳を覗き込むとき、私たちは根っこでつながっていると確信する。この根っこでつながっている感じを、目の前の方に伝わる言葉で表現する、そのための訓練をヨーガはダルシャナを通じて私に施してくれた。

 

行法が重要でないとは、私はまったく考えていない。だからこそ毎日自分に行法を課し、その優れた効能を体感し続けている。しかし行法が前面に出てはいけない。

ここで生きているひとりひとりの人、その方にとって意味があり助けになるからこそ、行法に価値が生まれる。

 

あなたにどのような道具や支えが必要なのかは、私があなたを理解することで見えてくる。そういう作業を、手を携えて行いたい。できれば時間をかけて行いたい、何年も。いったんセッションを終了してもいつまでも心にかかる、私にとってヨーガ指導とはそういうもの。