蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№373 呼吸が先生

「喜ばず憎まず、嘆かず求めず、善悪の思いを捨てて我を信愛するものは我にとっても愛しいのだ。」 バガヴァッド・ギーターⅩⅡ-17

今日の山陰は雨。
雨の朝の空気は実に美味しくて、生命が滋養されていると感じる。


さて、過呼吸が慣れっこになってしまうと、様々な症状が慢性化するということについて昨日書いた。

過呼吸の身体的な原因としては以下のようなことがある。
・慢性痛

・喘息

・心臓病

・肺炎

・糖尿病

・発熱

・長時間の会話

・高地にいること

 

また女性の場合、生理中や妊娠中に過換気症状を体験することがある。
妊娠後期は特に胸でしか呼吸ができなくなっている人が多いため、マタニティ・ヨーガなどの取り組みがどれほど重要か理解して頂けると思う。
ポーズにこだわるものでは、救いにならないことも。

 

身体的なもの以外の原因としては、

・不安感

・鬱

・完全主義

・孤独感

・失業など突然起きた生活の変化

・離婚

・引っ越し など

今の時期に付け加えておきたいのは、マスクを長時間着用すること。

息苦しさが慢性化して、苦しさを感じなくなっていたら要注意だ。

 

息を無意識に止める癖のある人も多い。
ため息やあくびが多ければ、息を止めることと過呼吸が交互に起きている可能性が高い。

ヨーガのアサナと、他のトレーニングを同じように考えて欲しくない理由はここにある。
呼吸が何より優先なのであって、肉体を思いのままに使うことはその後の問題であるということが理解されていないように感じるからだ。

特にマシンを利用するような単純な反復の動きは、機械的になることで心身に対する意識的な気付きを低下させている可能性が高い。
これではますます呼吸は不自然になり、思いもよらない症状を生み出すことにつながっているかもしれない。

息を止めてしまうのは、それがある意味役に立つからである。
呼吸を止めると一瞬世界が止まる。
大事な試験のとき、怒りを抑えようとしているとき、集中するとき。
こんなとき、人は安定感を求める。

でも、息を止めても、よく考えたり理解したり、心を落ち着かせたりすることの助けには全くならない。むしろ脳にいく血液が減り、正反対の結果になる。
「緊急時の呼吸」を小さな緊急事態に使い過ぎると、その癖がカラダの化学反応を変化させてしまう。

身体は、想像しただけのことも現実であるかのように反応する。
それが身体の自然な在りようであるからこそ、瞑想のような取り組みが健康に寄与するのだ。
考えていないときに初めて、身体は安らげる。

ヨーガ・アサナでは、スーリヤ・ナマスカーラ(太陽礼拝)のような連続する動きがあるが、呼吸を意識して動くことで、肉体と意識、そして自分の心(印象)が分かちがたく結びついていることが理解される。

自らの心身を通じて、自分を活かす呼吸を学ぶ。
師は自分自身の内に存在している。