蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№342 がんばるのは禁止

「そうした苦悩との関係の断ち切り方がヨーガと呼ばれるものであると知れ。」
バガヴァット・ギーター Ⅵ-23

 

東京・田端の透析専門クリニックが発行しているニューズレターに寄稿させて頂くことになった。初めての打ち合わせを可愛いお嬢さんとさせて頂いたのだが、やはり「ヨガ」に対する根強い固定的なイメージがあることがわかる。

はっきり認めよう。私たちはこの業界における少数民族である。
主流は間違いなく欧米経由でやってきたフィットネス・ヨーガ。
カッコよくポーズをキメるために素敵なウェアや、機能性が高いヨガ・マットが必要だ。鏡に映った自分に惚れ惚れできるようになるために、努力して自己改善に取り組んでほしい。

方や私たちはウェアも要らない。目を瞑ってひとりでこっそりできるようになるために一時的に練習は必要だが、基本的には誰も見ていないのだから布団の上でパジャマでやればよい。そこに市場は生まれず、誰も儲からない。

しかし少数民族にも主張はある。なのでこういう場で訴え続けることにする。


さて、冒頭の引用文から、インドから直輸入された伝統的なヨーガが何を目指しているのかがぼんやりと理解していただけるだろうか。

人生でこれまで採用してきた「生き方のパターン」がうまく機能しなくなっていることに気付いて、それを自分で変えていく、いや、むしろ変えていく力が自分自身の内奥に既に備わっていたことを思い出す。
意識的に、改めて自分の人生を生き直す必要があることを、ヨーガやそのほかの伝統的な実践法は教えているのだと思う。

これまで出会ってきた生徒さん方は、間違いなくまじめな方々だった。
自分になにか悪いところがあるなら改善しようという意志を持ち、人のために自らの許容量を超えて尽くしてしまう。尽くすことが喜びから生じているならまだしも、耐えて頑張り抜かなければ生きているのが許されないとでも思っているかのような強迫観念がある。

そんなことをしていると、心身は全体性を取り戻すために悲鳴を上げてくれる。
「おーい、ちょっと待って。もう無理だからやり方変えようよ」と教えてくれるのである。
それが体の不調となって現れることで、ようやく本来の自分のニーズに気付くことができるのだ。

だから症状や病気が悪いわけではない。不幸ですら、本来のあなた自身に立ち返らせてくれる偉大なる教師だと言われる。

では本来の自分というものに帰っていくために、さらなる努力が必要なのか?
今、既にこんなに苦しいのに?

そこに勘違いがある。
グッと握った掌を開いて、力を解放してやるだけでいい。
生きるために努力が必要だという刷り込みを捨てること。

今、息をしているでしょう?
次の息が吐かれまた吸い込まれるその時に、世界があなたに「ここにいてほしい」と語りかけている。

根深い刷り込みの影響を解くには、あたまで考えるだけでは無理なので、からだの反応を変えていく必要がある。だからポーズや調気法がある。
ヨガ歴が即ち、だんだん楽に生きられるようになった期間となるような実践だけ、やって欲しい。
がんばらないようにしてください。気持ちよさを基準にして下さい。