蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№167 生徒さんに育てられる

昨夜遅く神戸から帰宅。
神戸も猛烈な暑さだったが、米子も暑い…
台風が近付いているからだろうか、心地よい風と、山陰には珍しい青空。

先程まで、東海地方にお住いの生徒さんとのセッションを行っていた。
この方は9月初めにとある合宿にご参加されたのだが、この機会をまたとない成長と変容のチャンスにするために、私とも準備を重ねられた。言わば、更なる学びのための「予習」をなさった訳だ。

ヨーガ療法のレッスン以外に、「瞑想講座」としてのご指導を始めさせて頂いたのが昨年の4月。1年5カ月となったが、この講座開講を通じて、私自身多くの経験と学びを積ませて頂いた。

今振り返ると、「一般的な」と思ってきたヨーガ療法の指導に関しても、世の多くの「ヨガ・クラス」とは全く異なるものだったようだ。

私自身がヨーガ療法学会からのオファーを受けて仕事をさせて頂く事も多かったため、理論に基づいた実践指導や、指導による症状改善へのコミットということを強く意識しており、このことが差を生んでいるのではと思う。

学会から頂いた仕事では必ず講義も行うし、実習前後の聞き取り(問診)や心理テスト等を用いた評価も行う。ヨーガも「療法」として用いられる以上、その効果が「なんだかいい!」といった感覚的なものであってはならない。

現在、個人のレッスンで心理テストや計測まで行うことはほとんどないが、それでも「どういった根拠でこういう指導をしているのか」について、もし尋ねられた際には明確に語れるようにしておきたいと思うので、これからも私の指導はこの通りだ。

さて、講座開講から約1年半、私も新しい課題に直面して退行を経験し、そのなかで多くのものを新たに積み上げたと思う。
講師としての自信の根拠は、生徒さんの変容しかないとしみじみ感じた。

この度、別の場面での「修行」を終えてこられた生徒さんに、「壺井さんとワークして臨んだことで、得るものがとても多かったです」との言葉を頂き、心の底から嬉しかった。

学ぶ人も、講師としての立ち位置を貰っている私も、同じ同志だ。
私たちは皆、自分の経験や得てきた知識を、自分の世話以外に使っていくことができる。自分の悩みを通して、誰かに貢献できる喜び。
退行を経験したからこそ、分かることがあると感じる。

頭頂部から、確かに天の気を貰って生きてるんだなあと、久々に思い出した今日。
色んなことがあるが「なんか文句あるか」の精神で、逞しくそれぞれの生を生き、満喫していこうではありませんか。