蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№312 生き残れる人は

長い春休み、子供たちが映画をたくさん見ている。主にホロコースト関連のものだ。フランスのヴェルディブ事件に関するものから始まり、フランクフルト裁判や生き延びた人たちの話へ。それを傍らで見ながら、私は映画の原作や「アイヒマン調書」を読んだ。

ヒトラーを欺いた黄色い星」という映画には、4名のホロコースト・サバイバーの方が登場している。どの方も笑顔が素敵だったのが印象に残っている。
https://eiga.com/movie/88514/

彼等の体験は厳しいものだが、恐怖に満ちた日々の中で「守られている」「生き抜ける」「死にはしない」ということを感じていたことが語られている。
それらの思いにはなんの根拠もなく、日々は綱渡りのようだったのに。

彼等のそのような姿勢は、今、自分が掘り下げて考えていることと共通するので色々と調べてみたところ、2019年1月に配信されたこんな記事に出会った。

ホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)を生き延びた人は、ホロコーストを経験してない同年代の人よりも長生きとみられることが最新の研究で分かったというのだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190119-00010000-clc_teleg-eurp

「生き残った人は他の人よりも遺伝子的・肉体的・感情的に有利な性質があり、より高い回復力を持っている可能性がある」と研究者は指摘しているそうだが、彼らがもともとそういう特性を有していたと考えるよりも、過酷な状況の中でも過度に悲観的にならないよう自分を鼓舞し、ただ淡々と日々目の前のことに向き合っていく中で、結果的にエピジェネティックな変化が生じたという見方もできるのではないか。

俗にいう引き寄せというようなことを、物質的なレベルでは信じないが(水がワインになったというようなことも、否定はしないがごくごく限られた人だけだろう)、懸念事項についてのヒントが向こうから飛び込んでくるというようなことは、頻繁に経験する。

なのでその懸念事項を、「自分はもうダメだな」という方向性で考えるのか、「どうやって生き延びるか」という方向で考えるのかでは、ヒトという物体に対する影響に大きく差は出るだろう。まずは細胞に、そしてエピゲノム変化にも。

ただ、生来”どういった傾向でものを考えるか”という癖のようなものは、簡単には変えることは出来ないので、そういう場合は、本能的な心身の反応を司っている部分(脳幹や迷走神経など)の働きを改変していくようにある種の努力をする(一定量の練習をする)必要があると考えている。

呼吸を伴う身体動作が、その為の鍵となる
実習時には十分に安全な環境で行えるように配慮することが大事だ。

ヨーガのポーズの多くが「動物の真似」であるのも、本能的な神経や脳の働きと関わっているかのように思えてならない。