蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№248 実践と能力

 今朝、娘が夜行バスで東京から帰宅するのを迎えに出た。
大きな夜行バスに3人しか乗っていなかったらしい。眠れなかったらしく、憔悴した顔をしていた。

昨日ふと思ったのだが、実は、毎日のブログ更新にかなりの能力を割いてきたと思う。ネタがないということは無いのだが、ああしてこうして…などと考えるとあっという間に時間が過ぎ去っていたりする。

こんなことを思った理由は、「最近の自分は能力が低い」と感じたからだった。
以前当たり前に出来ていたことが保留になったりすることもあり、理由を考えていた。

昨年、私は、人生二度目の挫折の期間を経験した。「自分はダメだ」ということを毎日考えていたら、普段縁のない風邪を引き、そこから合併症を併発し、約一か月寝たり起きたりの生活をした。
「やっぱり自分はダメだ」と思っていたが、同時に、なんだか生徒さんの気持ちがリアルにわかるようになった気がした。

実践は人を変えると思っているが、「なんでやらないの」という無言の圧力を与えてきたのかもしれない。自分はそれを乗り越えて実践してきたからだ。変に自信があり、今思うと嫌なやつである。

この1年で、人を実践に導くものは意思の力だけではないと、ようやく思えるようになった。
改めてこれまでの自分を、実践に向けて突き動かしてきたものは何だろうと考えた時、嫌だと思っている状況や葛藤のある人間関係であると思えた。

泥が蓮の根を育てるように、嫌だ嫌だと思っている状況が自分を育ててくれたことがわかる。「いい・わるい」で物事をジャッジしてはならない理由がここにある。バガヴァット・ギーターの教え通り。

新しい活動を自分のなかに完全に定着させるのは、時を要するし、限られた能力を使うということなのだと思う。
毎日が、自分を調べる実験のよう。

ブログの更新が毎日出来るようになったので、次は何しよう。
ブログの定時更新? YouTubeの毎日更新? 
うーん…考えるだけで能力が下がりそう。でも、
規夫先生にも「一定期間、情報発信に力を傾注せよ」とのアドバイスを頂いたので、取り組みを始めなくてはね。頑張れ自分!

ところで、ゼミナールから生まれた新しいチームがある。
懇親会の翌日から今日まで、メッセンジャーでの意見交換を密に行ってきて、本日初めてのZOOMミーティングを行う。
”医療の分野の殻を破りたい!”という志を胸に、まったく違う専門性を持った3名で何ができるか未知数だが、患者さんのQOLの向上には間違いなく貢献できると確信している。

ゼミナールを受けていなかったら、こういうチームはできていない。
きっと先生も喜ぶだろう。

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からやぶりキューピーさん