蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№217 違う道の同志

来月、東京でセミナーをさせて頂く事になり、現在資料を作成中。
「何のためにヨーガという手法を用いるのか」という点についてご理解下さっているクライエント様とのお仕事で、とてもワクワクしている。

昨日は夢から醒める過程で突然思いついたことがあり、朝4時に飛び起きて調べ物をした。
ウィルバーの「統合心理学への道」や「実践インテグラル・ライフ」、ヴィヴェーカナンダ大師の著作なども改めてひっくり返しながら、ああかなこうかなと考えていたら、久々に肩こりになった。

昨日午後からは、畜産を専門とする友人と小旅行に出かけ、真摯なものづくりをする方の下で醸されたお酒を頂いた。そのお酒が生み出された場所で、生み出した人の言葉を伺いながら頂く、とても贅沢な時間だった。

明けた今朝は、細部までこだわり抜かれた、生鮮食品としてのフレッシュなコーヒーを飲みにいった。

コーヒーって、「たかがコーヒー」って思われている。
色んな事情がヨーガとすごく似ている。軽く消費されていて、本物を追及する者は困難な道を逞しく歩いていくしかない。

私の周囲にはこだわりのひとが多い。変人と言っていいかと思う。もちろん自分も含めて。
それぞれがそれぞれの道でとことん穴を掘って、その先で出会った、そんな感じ。
まったく別の分野で、別の用語を使ってるのに、話が通じる。

マイスター・エックハルトの本を読みながら、「『バガヴァット・ギーター』とおんなじこと言ってるわ」と思うのと似ている。
大事なことは、表現方法は違えど、同じなのだ。

「私は、こうした智慧の伝統に存在する本当の違いを過小に見るつもりはないが、少なくとも、ここには深層構造的な相似性があること、それは様々な智慧の伝統における洞察の真に普遍的な性質の雄弁な証言であることを指摘しておきたい。」
と、ウィルバーも言ってる。うん。