蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№206 どう思われてもかまわない

そういえば先週末はバタバタしていたので、YouTube投稿が出来なかった。
頭を使うことが続くと、その後は疲労困憊する。

今日の夜のレッスンで、数年前から実習を続けて下さっている方が、「からだは元気なのだが、頭のなかでぐるぐる考えが回るのが止まらない」と言っておられた。その方は以前は腰痛を始めとした体調不良に悩んでおられたので、食物鞘(肉体)の調子が良くなってきてようやく、内面のことに取り組める準備が出来たのだろうか。

私自身は、さすがに常時ものを考えるようなことは無いが、普段の静かな生活が乱されると、睡眠中に夢をたくさん見ているような気がするし、その夢の内容も奇妙なものになり、朝目を覚ましたあとに、「あー、このまま何もせず、なにも見ず、まどろんでいたい…」と思うのだった。

そして暗い本が読みたくなる。
子供の頃から怖い話がたまらなく好きだった。今もそう。
アニメの「日本昔ばなし」でも怖い話が好きだった。今もYouTubeで見てしまうことがある。
そして一昨日から、創元推理文庫の「怪奇小説傑作集」などを読み返していた。

今日はたまたま、近所の書店カフェで人と会う約束があったので、そのついでに「自殺会議」という本を見つけて購入してきた。
暗いテーマではあるが、読むうちになんだか元気が出てくる本だった。

人間、死ぬ勇気があるなら、なんとかそれをひっくり返して「人になんて思われても構うもんか、この世でどうなっても大したことないわ!」という気概を持って、自分にしか出来ない独創的な生き方を貫きたいものだ。

私も自衛隊を退職して以来、のらりくらりと自分のやりたいことだけして生きてきたので、世間で真っ当とされる生き方にお戻りなさい、という声が周囲から聴こえてくることがたまにあるが、「その真っ当ってどういういこと?聖典にそんなの書いてないし」などという過激な思想でこれからも生きていくのかなあと思う。
せっかくなので、死ぬときに「ほら~、やっぱり大丈夫だったやん!」と言い切って死ねるように、私流で頑張りたいと思う。

ところで、先週末に「5分だけ時間あるか」と、筝曲の師匠から呼び出された。
台風の風の中、師匠宅に走って出向いたところ、仲間と二人で「お床の間にお座りなさい」と言われる。改まって何だろうか…と思ったら、(筝曲での)称号のお免状を授与された。

お免状を頂くには費用が掛かるのだが、お金があるだけではお免状は貰えない。
このお免状を頂くためにやり続けてきたこと、掛けてきた時間、師匠が自分に掛けてくれたお心が、この1枚の許状にギュッと凝縮されて詰まっている。
「貰って嬉しいのは、お免状」と心の底から思う。
30代の頃、死にたくてたまらない時期があったが、死ななくて本当によかった。
今後どんなに辛いことがあっても、踏みとどまって、1人でも多くヨーガをお教えして、1曲でも多く曲を覚えよう。
 

自殺会議

自殺会議