蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№124 師との縁が続くように

日々様々な懸念事項があるものだが、ここのところ気を奪われることが多く、更新が疎かになってしまった。ここまでの懸念はなかなかあるものではなく、ここまで悶々としたのは約10年ぶりかとも感じているが、別段普通に生活できるようになったのは成長と言うべきか。

とはいえ毎日は淡々と過ぎていくものであって、どんなことでも数年も後になって振り返ると、小さな懸念など忘れているものだ。その時のことを想像すると、今でも既に自分の事が笑えてしまえる。ネタも引き出しも多いに越したことはなかろう。

さて、職格試験を終えたちょうど1週間後の6月9日に「都山流尺八楽会・鳥取県支部」の演奏会に出演させて頂いた。
演目は試験曲でもある「末の契り」。江戸時代後期、松浦検校により作曲された古典の名曲。”白波の”という歌のみの導入部も非常に印象的で美しく、弾けば弾くほどその魅力に引き付けられる奥深い曲である。

試験翌日の稽古の際、師匠から「職格を取った者として、これまでとは違う目で人に評価されることを忘れずに励むように」とのお言葉を頂いたせいか、演奏会としてはかつてなく緊張し、途中は手が飛び(どこを弾いているのか分からなくなり)大汗をかいてしまった。何が変わった訳でもないのに、自分の自意識がこんな汗をかかせたかと思うと情けないやら恥ずかしいやら。それでも、我が社中の演奏は、非常によく声が出ており歌が美しかったとの評であったとのことなので、それが救い。

尺八楽会さんの演奏会は8年ぶり。
前回はまだ大先生(師匠の師匠)である菊窓郁子先生がご存命で、乳がんで闘病中のところ、点滴をしたまま病院から駆け付けられて、演奏をして下さった。本当に筝曲を愛しておられる先生だった。初めての演奏会の時「あなたはとても楽しそうに弾くねぇ」とお声を掛けて下さったことが、今でも忘れられない。

その頃の自分は初心者で、ただ弾けるだけで楽しかったのだが、今では、楽しい思いをするためには努力が必要だと分かってしまった。ただし努力が加わると掛け算で楽しさが倍々にもなる。同時に後悔も生まれやすい。理想も高くなるからだろう。

その後、菊窓先生は鬼籍に入られたが、筝曲の世界では先生をお送りするときに演奏をして送るのだという事を、そのとき初めて知った。
まだ資格者でもなかった自分はその席に連なることも出来なかったが、その後のお稽古で「自分に何かがあったときには、この曲を弾いて送ってちょうだい」と師匠が仰り、その曲を稽古したのだった。幸いなことにその機会はまだ来ず、師匠も、先日の私たちの試験の内容をお聞きになり「まだまだ!」と思われたようなので、演奏するのは何十年も先になると期待している。

ヨーガでも、茶道でも、筝曲でも、尊敬する先達の皆様は、突然去ってしまわれるように思われる。引退などしないで、鮮やかに住まう世を変えてしまうように、きれいに去っていかれるのだ。
年末最後のお稽古を済ませた翌日に、という先輩もおられた。
私も最後までとことんお稽古をし尽くして、この世を去っていきたい。
できればまた、違う世で、同じ師と共に、何かができたらいいなと思う。