蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№158 この1年 そして新しい名前

新しいクライエントさんに出会っていくために、いろんな形での教室展開を検討している。

ヨーガをお教えすることのもう一歩先に進む、「変容のためのヨーガ・実践活用法」を、私はお伝えしたい。多くの方にとって、ヨーガは問題解決のための一ツールであり、目的ではないはずだからだ。
ヨーガを目的とする人ももちろんおられるだろうが、そういう方は別の先生と出会っていかれることだろう。

この1年様々な事があって、足がすくんで動けなくなったりもしたのだが、ではこの1年は何にもしない冬眠期間であったかというと、そうでもなかったのだと改めて自分を慰めてみる。

振り返ってみると、茶道では5年間の教授者講習を無事満了したことであるし、本年の呈茶席では、他の先輩・同輩と共に、師のお手を煩わせぬお席の運営ができるようになったと感じた。
師から、お席の道具組について意見を求められたり、大事なお道具の扱いを許されたこと、そして「わが弟子たちがよく成長し、安心して任せられる」というお言葉を頂戴した時は、たまらなく嬉しかった。師匠もますますお年を重ねられるので、よりご安心な中で物事がなされるよう、引き続き弟子として努力したい。

次には、何よりも筝曲で準師範を取得した。
これについては、あまりにもヨーガが忙しかったら、「準備が間に合わないから、また来年!」という顛末になっていた可能性大なので、残り短い人生、1年でも早く資格取得出来て良かったとするべきだろう。

本業であるところのヨーガでイジイジしていたせいで、資格取得に伴う(私にとっては)莫大な費用の捻出に苦悩している最中ではあるが、蔭ながら支えてくれる家族の存在に助けられ、深く感謝している。

今月、無事「称号」の申請を行った。
今後一生、筝曲の世界ではこの称号で呼ばれることになる。

茶道の世界で茶名で呼ばれることはほとんどない。(ちなみに「宗妙」という)
先生にお礼等を差し上げる際の熨斗袋の表書きには、茶名を記す。
ヨーガの聖名で呼ばれることもない。(Moksha Priya Devi という)
年に一度、ヒマラヤのヨーガ・ニケタンから頂くお手紙では聖名で呼びかけられる。

しかしお箏の世界では「〇〇さん」と称号で呼ばれることになるので、「なんにしよう…」とそれはそれは悩んだ。

茶名は、入門をお許し頂いた高橋妙泉先生から一字を賜った。
それに倣って筝曲でも、並々ならぬお世話を頂いている菊洋晶子師匠からお許しを頂き、一字を賜った。他の先生とお名前が被るといけないので、その一字を用いたいくつかの候補を挙げ、師匠に選んで頂きたい旨お願い申し上げたのだが、最終的にはご宗家にお決め頂いたとのことで、大変光栄なことと恐縮している。

この称号が公になるのは年末近く、本部からの会報に記載された時になる。
その記載を受けて、流儀のうちでお披露目をさせて頂く事になるようだ。(まだまだ知らないことばかり…)

来年3月、正式にこの称号で定期演奏会に出演する。
定演での演目はお目出度い「越後獅子」。
演奏や歌の稽古も、出演に当たって必要な諸々の物の準備も、必死で頑張っていかねばね。

この生で、こんな経験をさせて頂けることと、導いて下さる師匠の存在に、深い感謝を捧げたい。一所懸命やっていれば、思うに任せず辛いことも困難もたくさんあるが、なんとしてもやり抜きたいと思えることがあることが、有難いではないか。