蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№74 わからないことを言い訳にしたくない

昨日は名古屋での講座でした。
名古屋に伺うようになってからちょうど一年が経ちます。
以前10年近く岐阜県に住んでいたこともあり、東海地方には強い愛着があります。なので名古屋で講座をしたいとずっと思ってきました。
昨日は参加者の活発な対話が非常に刺激的で、このような会を主宰させて頂けることに大きな喜びを感じました。

ヨーガを専門としていますが、その基礎に「苦しみから逃れるためにどうしたらいいのか」という問題意識があります。その答えが得られることがまさに悟りであり、解脱であると理解しています。

ヨーガを学び始める前からケン・ウィルバーの著作に触れてきました。
いつかはインテグラル理論について話せる場を作りたいと思いながら、10年近く経ちましたが、昨日漸くそのことについて、少しだけですが話すことができました。
私のお教えするヨーガの土台になるものは、インテグラル理論なのかなと思います。この理論に関してはまだまだ勉強不足ですが、私は私の専門性を通した視点で、この理論と向きあっっていきたいと思いますし、その専門性という視点を明確に構築するためのこれまでの10年だったのかなとも思います。

ヨーガは、既存のイメージがしっかりとあり過ぎることが、お伝えするに当たって有難くもあり難しくもあります。実践と言う視点から見た時、やはりヨーガは非常に優れています。成長に身体的実践は必須だと思っていますので、実践法としてヨーガを手にできたことは大いなる恵みでした。

今回の出張のお供である書籍は、佐藤優氏の「先生と私」だったのですが、ライフワークとして神学に取り組まれるこの方の著作が、私はとても好きです。佐藤さんも神学をご自身の専門とし教壇に立たれたり、専門的な著作を記されたりするために大きな代償を払わねばなりませんでした。「国家の罠」という著作の中では、拘置所という厳しい環境の中でも凛としてご自身を貫き、検察官による取り調べの最中にも決して揺らがない佐藤氏の姿が描かれています。「なんて賢い人なんだろう」と思ったものですが、何冊も著作を読むうちに、その基礎に信仰と神学と言う智慧の土台があることを知りました。
インテグラル理論の研究会で、間接的に佐藤氏をご存知の方がおいでで、その方からお話を伺ったことがきっかけで著作を手に取りました。お蔭で私の読書体験に新たな要素が加わったことを今でも感謝しています。

成人発達理論の師に勧められて、私にとっては大変難解な本にも挑戦することを覚えましたが、その時師が仰られたことの意味が、この度読んだ「先生と私」の中に答えとして現れました。
今わからないことをわかるには大変な努力が必要ですし、時間も要ります。「わからない」ということを諦める理由にはせず、新しい自分に出会った行きたいと思いますし、これまで私が教わってきたことを少しでも多く人にお伝えしてから、この世を去ることができたらと思います。賢くなるのを待っていたら、死ぬのが先になってしまいますものね。