蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№371 吸ってばかりでは

「人が古い衣服を捨て新しい衣服を着るように、肉体に宿った神我は古い肉体を捨て、他の新しい肉体に宿るのだ。」 バガヴァッド・ギーターⅡ-22

 

 

二泊三日の東京出張を終え、昨晩遅く帰宅した。
4カ月ぶりの上京だが、久々にお会いした皆さんがお元気でほんとうに安心した。

オンラインでのやり取りが続いていたけれども、リアルに会って話ができるのは実に嬉しいもの。来月の出張もなにごともなく行けますように。


さて、今日から数回掛けて、健康的な呼吸について語ってみたい。

自分の呼吸を愛しなさい。他者の愛し方を学べるのは、それからだ
と言った人がいるそうだが、そのとおりかもしれない。

普段の生活の中で、身体を意識することなく、呼吸を忘れて仕事に没頭し、あとには疲れ切ったからだが残される、ということに多くの人が苦しんでいるように見える。

年齢が若くても、崩れた姿勢と足を引きずって歩く姿が老人のような人もいる。

作業に集中しすぎて知覚を失うことは珍しいことではなくても、どこか痛い時や苦しい時に、それが呼吸のせいだと考える人はほとんどいないだろう。


4-5世紀頃、聖師パタンジャリによって現在の形に編纂された「ヨーガ・スートラ」では、呼吸についてこんなことが書いてある。

Ⅰ-31 悲しみ、心の悩み、体のふるえ、不規則な呼吸があると、集中を続けることができない。
(集中は、心と体に完全な休息をもたらす。実践のやり方がまちがっていたり、十分に制御されていなかったりすると、このような障害がくる。)

Ⅰ-32 これを癒すには、一つの対象の実践がなされるべきである。
(心をしてしばらくの間ひとつの対象の形をとらしめること、それが、これらの障害を破壊するであろう。)

Ⅰ-34 いき(呼吸)を吐き出し、そして止めることによって。

 


頭痛、筋肉痛、手足の冷え、消化の問題、不安感、胸の痛みなどに悩んでいる場合、それは血中の二酸化炭素濃度が不足することから起こっている可能性がある。

 

呼吸は酸素を取り込み、二酸化炭素を吐き出すものであるのはみな知っている。
酸素は良いもので、二酸化炭素は悪いもの、と考えているかもしれない。

しかし、二極の対立の克服の教えはここでも大事なのであって、現実はもっと複雑だ。

極めて軽い活動にもかかわらず、気持ちが急いているせいで呼吸が多くなっていることが多いのではないだろうか。
頭のなかで想像している未来のことであっても(たとえそれがウキウキしたことであっても)、身体はそれが今ここで実際に起こっているかのように反応する。

そのため血液の酸性度が高くなりすぎて、息切れを感じる。
そうして過呼吸が始まって、さらに吸って吐いてを繰り返されると、二酸化炭素を増やす身体活動が行われないまま、二酸化炭素を失い過ぎてしまう。

過呼吸によって血液はアルカリ性に傾く。
この状態は「呼吸性アルカローシス」と呼ばれていて、鬱から腰痛まで、さまざまな症状を起こす可能性がある


もう一度、スートラの文章を見てみる。
「いき(呼吸)を吐き出し、そして止めることによって(Ⅰ-34)」

吸うことについては、なにも言っていないことを確認して欲しい。

吐くことを徹底的に練習していき、吸うという行為は任せればいい
呼吸という活動の中で私たちにできることは、手放すことだけなのだ。



次回は、「過換気」の状態についてくわしく書いてみよう。


№370 どちらに揺れても

久々の出張。始発列車で出発し、東京へ向かっている。

先程まで岡山に向かう特急列車に乗っていたが、これはかなり揺れる。以前、福岡から大分に向かう特急にのったが(スーパーソニック)これもひどく揺れた。

揺れる列車の座席で、昨晩の睡眠不足を解消しようと、まず数珠を使ったマントラ瞑想を行い、その後仮眠を取った。

数珠を使用する瞑想は、集中しやすくおススメだ。
108個の玉を数える行為に、心をつなぎ留めておくことができる。
マントラを何回数えたかもカウントすることができる。

私が所有しているものは、聖名(瑜伽名)を拝受した際に師匠から下されたものだけれど、ネットでも購入できると思う。日本の数珠ほど高価でもないはずだ。

 

仮眠を取りながら揺れる車内で感じていたことは、こんな環境(状況)で「揺れまい」と努力しても無駄だし、この揺れに身を委ねているのが一番楽だということ。

からだが左右に揺れるとして、右を好きなこと、左を嫌いなことだとしたら、右にばかり揺れようとしたら体は痛み出すだろうが、身を任せてさえいれば、左に揺れたとしても大きな振れ幅にはならず、中庸を保とうとする。

人が努力をして良いことばかりを体験しようと欲し、ものごとを十全に体験する前に「悪い」と決めてかかって逃れようとしたら、とても不自然な動きになって無理が出る。
ただ、ああしたい、こうなって欲しいという「考え」を手放して、明け渡していさえすればいいのではないかなと、そんなことを思っていた。

少し前まで、私はヨーガのYama・Nyama(禁戒・勧戒)も単なる戒律と思っていた。
体操実習に入る前になぜ戒律学ぶのかと思っていたのだが、この戒に従うことは心身に変化をもたらすのだと理解できた。

例えば、人に親切にするとオキシトシンが分泌されて、心臓に良いのだという(血管拡張の作用があるらしい)。

戒の筆頭にあるのは「非暴力」。
これらの戒は身口意にわたって行じられなければならないので、自分を責めることもいけないということになる。

これまで自分のことを「こんなんじゃダメだ!」といつも思っていた人が、その行為を戒に従ってやめることができれば、思いや内的な言葉が心身に与えていた悪影響が解消され、血圧が下がったり痛みが軽減したりしてもなんら不思議はないと思われる。

「揺れてもいいのだ。どんな体験も、どんな感情もあっていいのだ」と思い定めて、揺れていることを恩寵と感じることができたら、それは「知足」ということなのかもしれない。

ヨーガの体操の修練を積んでいくと、ほんのちょっとしたことで感覚は容易に変わり、呼吸が美味しいこと、身体が気持ち良いことに気付くことができるようになる。

日々を生きる中で課題は常にあり、毎日を悶々と悩んでいたとしても、体操を終えた瞬間には「気持ちよい」と感じることができるというその事実をなんども体感すれば、私の言っていることも嘘ではないと、理解してもらえる日が来るだろう。

 

 

№369 寝ることについて

「だがしかし、未顕現なるものに専念する者たちの労苦は実に大きい。というのも未顕現なるものを見極めることは、肉体にこだわる者たちにとっては達成しがたいからである。」バガヴァッド・ギーターⅩⅡ-5


3日前の6月20日は「天赦日」と「一粒万倍日」が重なる最強開運の日だったそうだ。
またその翌日の21日は夏至であり、国際ヨーガデイだった。
この二日間、深い意味のありそうな夢を見て、示唆を与えられた。

この週末はたくさん本を読んだが、そのなかに“ロルフィング”に関するものがあった。
「感じることを通じて心身が変容する」という視点はヨーガそのものであり、単にポーズをキメることにこだわるストレスフルなフィットネス・ヨガとは異なる、古来のヨーガの智慧と同じような取り組みが、様々に名を変え伝わっていることを心強く思う。

 

先週は、友人から“レイキ”のレッスンを受けた。
「気」という言葉自体が、変えられてしまったものなのだと教えられた。元来、「氣」という字だったそうだ。
毎日有難いという思いを持ってお米を食べて豊かな「」を養い、それを人にお返ししつつ生きたいと思う。

昨年末”マトリクス・エナジェティクス“に関する本を読んで感激したが、レイキ講習はその実践編のようだった。実習以来、クラスで出会う生徒さんにお許しを頂いて触らせてもらっているが、私の掌は非常に熱く感じられるそうだ。
今週は久々の東京出張なので、数カ月ぶりに会う仲間たちにも掌を当ててみたい。


さて、今日は「毎晩休むことについて」
要するに”寝る“という行為について書いておきたい。

快眠術のようなものはたくさんあるが、そのなかでもなかなかいいなと思ったものをヨーガ流に修正してここで紹介しようと思う。

【素晴らしい睡眠のために】


・ベストな睡眠時間は自分で決めよう

・朝、自然に目が醒めるまで眠ろう

心身を酷使する人は10時間でも足りないくらい。運動をした日やアスリートの方は十分な睡眠を心掛けてほしい。精神的なストレスの場合は、まずストレス対処に取り組むこと。

・日中に自然光(人工の照明でない光)を浴びよう

・運動しよう
激しい運動である必要はない。もちろんヨーガがイチオシ

 

・カフェインの摂取に注意
個人差があるが、眠れなくなるひとは午後以降の摂取は控える。
コーヒーもお茶も“劣化”したものはカフェイン以上に体に悪いので、生鮮食品と思って選び、早めに消費しよう
インスタントコーヒーなどもっての外(酸化しているため)。
浅煎りより深煎りの方が焙煎時間が長く、カフェインが焼失しているらしい。
(*ページの最後に、高品質の豆が入手できるお店を紹介しておきます)

・普段から、ベッドで仕事したり、食事したりしないようにしよう

 就寝前に紙の本を読むのはOK。

・就寝直前までアルコールを飲まない
自律神経が乱れ、睡眠の質が低下する。

・日中からブルーライト対策をしっかりやっておこう

・夕食後は、心身共に負担の大きい仕事をしないようにしよう

・あれこれ考えて眠れない時は“数息観”にトライ
息を吐くたびに「1、2、3…」と数えていく。わからなくなったら1に戻る、雑念が浮かんでも1に戻る。息を数えることに集中してみる。

・ウトウトしたらやりかけのことを諦めて、寝る

・寝室はできるだけ暗くする
暗いのが怖い人は、電気をつけてアイマスクを。

・寝室にスマホを持ち込むなら「フライトモード」に設定

・睡眠のアプリを使って、眠りの質を可視化してみよう
Sleep Cycleなどのアプリを活用

・日中にクタクタになったら、ヨーガの休息のポーズ”シャーバアーサナ“を。
15分ほどで心身共にスッキリするので、習って体得して欲しい。

 

 

心身にかかる負荷は毎日異なるし、あなたがどのようにその負荷を処理しているかも違う。

1日何時間寝るのが良い、などという紋切り型のアドバイスに従うのは危険だと思っている。

翌日が仕事だと自然に目が醒めるまで眠るなんてできないかもしれないが、長期的な視点で確かな健康を確立するためには、クタクタなら病欠で休んでとことん寝て欲しい
あとから、大きな病気に苦しんで欲しくないからだ。

思うに、今一つ調子が悪い方に「寝る」という養生法ができない方が多いようだ。
家庭内で「とことん寝る」文化を確立して家族の健康を守って欲しい。
(もうひとつ付け加えると、元気がない時には栄養を摂らないことも大事)

苦しい時にすぐ病院に行ったり、薬を飲んだり、マッサージに行ったりして人の手を求めるのではなく、「とにかくただ寝る」というのが養生法の根本になる。
うっかり不健康な人に触れられたら、もっと具合が悪くなってしまう可能性がある。
それが「氣」というものだから。

 

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№368 自分と調和する

アルジュナよ。常に我を思念するヨーガ行者にとっては、我が境地に達することは容易なのである。」 バガヴァッド・ギーターⅧ-14

 

 

ストレスによる心身摩耗の影響は大きい。
いつでもどこにいても常時つながっている今の時代は、絶え間ない危機感を人工的に生み出している。

 

哺乳動物が絶えず危機にさらされると、アドレナリンが放出され「闘うか・逃げるか」の闘争・逃走反応が起きる。(そして結果的に、血圧が上がったり、血糖値が上がったりする。)

この反応はトラに追われた時には役立つが、メール等に返信することは命に関わる緊急事態ではない。

 

注意力断片化の問題に関する科学的研究が進み、最小限の効果しかないとわかっているのに、人は相変わらず無理をして一度に多くのことをやろうとする。
(そして「時間が無いからヨーガはできない」と思ったりする)

「常時オン」の状態は解決策ではないし、優れた人ほど休息の重要性を十分認識し、積極的に“休むこと・やめること・減らすこと・厳選すること”を実行している。

よく考えると、クラスでアサナを行う時も、半分は休んでいる
ある姿勢を取りそこで数呼吸過ごしたあと、必ず休めのポーズを取る。
初心の方に自宅実習を勧めないのは、ポーズを取ることがヨーガだと誤解しているからだ。

長年頑張ってきた私たちは、何もしないことの効能をほとんど知らない。
ヨーガで「休めの姿勢」を排除し、ポーズを取っている時間のほうが上回ってしまったら、健康に対する有用な効果のほとんどは失われてしまうだろう。

ヨーガでは呼吸を疎かにしない。
呼吸はそのまま、あなた自身の生命のリズムなのだから、呼吸と調和して活動できるように練習をしてあげて欲しい。

体操を行うとき心はそぞろになり、ここぞとばかりに「この後やらなければならないこと」や「自分ができていないダメな点」などについて考えだす。
それに気付いたら、呼吸に、必死になって集中すると決めて欲しい。
そしてそっと意識を呼吸に向ける。そのことを何度も繰り返すだけでいい。

なんの練習も無しに、日常生活の中で“集中の達人”になるのは至難の業だと思う。
ヨーガは毎日の実践を「タパス」と呼ぶ。情熱のことだ。
ヨーガを実践することを大事にしている人たちは、肉体面の効能だけで続けている訳ではない。
精神面の効能のことを理解できるようになると、身体的な効能はおまけに過ぎないし、放っておいても自然についてくるものだと気づくだろう。

静かな場所で瞑想するのは確かに気持ちよいが、条件が整わないと心身を調えられないのでは片手落ちだ。
アサナをやってみると、からだは自分の思うようにならないこと、呼吸も難しいものであることに気付く。
だからこそ、自分のからだを使うアサナは有用な実践となる。

思うようにならないもの(=自分自身)と共同作業を行うなかで、努力だけでは何ともならないものがあることに気付くし、結果や効率に対するこだわりを捨てて、その時々の調和を求めていくことが大事なのだと腹の底で感じるだろう。

“呼吸と調和し、ゆっくり動く”
この練習は、あなたに計り知れない恩恵をもたらすはずだ。

 

 

№367 そんなに焦らずに

アルジュナよ。我は太陽の如くに熱を放ち雨を溜めて放ち、我は生であり死でもあり、真実在のものであり非実在のものでもある。」 バガヴァッド・ギーターⅨ-19

 

 

ロンドン大学の研究によると、携帯端末で常にメールやメッセージを送受信していると知能指数が平均10ポイント低下(女性だと5ポイント、男性では15ポイント低下)するという。女性の方がポイント低めなのは、家事活動で常にマルチタスクを求められているからかもしれない。

 

世界中の働き手は、長年にわたってマルチタスクをこなすよう求められてきた。
その結果生じるのは、激しい慢性疲労である。

皆、1日のほとんどの時間を座って過ごしているにもかかわらずクタクタに疲れており、「だるい」という感覚に苦しんでいる。

 

では逆に、超多忙な毎日を鮮やかに生き抜き、多方面で活躍している人はどんなやりかたをしているのだろうか?

 

シングルタスクに徹底的にこだわり、一度に一つのことにしか取り組まず、なおかつその活動に全力で集中するよう努めているという。

 

 

さて昨日は、月に三度の稽古日(お茶)だった。
もうずいぶんと長いこと稽古をさせてもらっているが、自分自身の点前における初心の頃との差を自覚できるようになった。

何が違うかと言うと、以前は動作を流して行っていた。
いや、流して行うことしかできなかった。(自分では丁寧にやっているつもり)

当時の師匠に「動きが大きすぎるなあ」とご注意を受けたことを今でも覚えている。

「あなたは体が大きい(身長169㎝。先生は150㎝台?)から、そんなにおおきな身ぶりだとビックリして心臓が止まりそうになるわ~」とにこやかに仰られた。
所作が雑だということを暗に教えて下さっていたわけだが、この言葉の真意を理解し実際の行為に落とし込めるようになるのに、約20年という時間がかかった。


では今はどうかと言うと、一歩を進める、立つ、座る、礼をする、物を移動させる、という動作において、常に今行っていることそのものに心が留まっており、次のことを考えながら何かをするということがない


これまでの年月の中でただ点前の稽古をしてきただけでなく、日々を生きる中で、泣き、笑い、思うように稽古ができなかった悔しい期間も含んだ結果として生まれ出たものだと思っている。稽古以外のことでも、どれだけ師匠にお助け頂いたことか。


ということを書くと「そんな時間はかけられんわ!」と思われる方もあるだろうが、茶道も筝曲も人を急いで育てる気はまったくなく「ある日突然驚くほど伸びる瞬間が来ることを確信し、どっしり腰を据えて待つ」スタイルの教育法なので、これでいいのである。


人生の中になにかひとつ、「成長が早いことは善でも正しくもないし、道は長いのだから焦る必要はまったくない」ということを腹の底から確信している活動を確保しておくことは想像以上にだいじなことだと考えている。
こういった活動が、仕事などを底支えしてくれるのではないだろうか。。


いつも救われる師の言葉「まあ、気いせらんと(焦っても仕様がないのよ)」は名言である。
それでも、茶会や講習会などここぞという場面では大いに負荷を掛けられ鍛えられる瞬間があることも、ここに申し添えておく。

 

ちなみに、私が指導者として活動するとき胸に留めている師の名言。
「先生の仕事とは待つことである。待てなければ弟子を潰す。」

 

さて、ヨーガはもっとわかりやすく「今に集中する方法」を教えてくれているので、次回はそれについて。

 

 

№366 ひとことだけ言うとすれば

「何時の敵は汝の力を侮り、聞くに堪えぬ悪口雑言で罵るだろう。これほどつらいことが他にあろうか。」バガヴァッド・ギーターⅡ-36

 

 

自分が感じていることを“観察者”が冷静に見ているのは、感情を抑えることとは違う。

 

ネガティブな情動経験の抑制を試みると、大失敗に終わる。
大脳辺縁系が興奮するからだ。

 

なにかを感じないようにしても効果はなく、それが裏目に出る場合さえある。
自分に対するいら立ちを抑えようとしても、かえって不安を感じるだけなのだ。

情動の表出を抑えようとすると、出来事を記憶する能力が低下する。
抑えることに必死で、今この瞬間に注意を払うリソースが減ってしまうからだ。

また、感情を抑えて表さないようにしようという努力は他者を不快にさせる
感情抑制は受動喫煙のように他人に影響を及ぼす。
心地よくさせたい相手を、逆に不快にさせてしまうことになってしまうことになり、結果的に関係性に影響が出ることも考えられる。
良かれと思って堪えたのに、自分が不利益を被る結果になるなんて悲しすぎる。

 

実はヨーガの体操は、こういったことの対処訓練にもなるのだ。

体操をあれこれやっていくと、自分が想像するようにはからだが動かないことに気付く。
そういった場合、初心者の方はどう反応するかというと、
・周りを見る(人と自分を比べる)

・できない自分を笑う

・声に出して何か言う(「なんでー」「できないー」など)

 

練習を重ねてこういう自分をそっと受け容れて頂き、「できない」という状態を十分に感じ切ること、そしてこれを言語化することを通じて、プレッシャー下でも冷静を保つ能力が育つ

からだを支配的に使うことに多くの人が慣れてしまっているが、肉体は存在のひとつの部分として、協調して動いてもらうべき大事なパートナーであることを忘れないで欲しい。

からだを動かすと、その動きがいったん止まる(つかえる)ところがある。
つかえるのを感じて、素直に止まる。
静かに呼吸しながらじっとしていれば、必ず緩む。
緩んだらさらに動く。
力を入れて押さえつけていく行為とはまったくちがう。

何度もこれを繰り返していくと、心身の可動域が大幅に広がっていく
こころの側も、「しばし待つ」ことに耐えられるようになるからだ。

ヨーガの体操をからだのことだけと思って行っている人は、実にもったいないことをしている。

「この部分が伸び切らない」「難しい」「つらい」などという感情を喚起させる動きを時々に取り入れてアサナ(座法・体操のこと)を行い、終えた後は内省をして、体験を言語化する。

ヨーガ歴が進んでいくと、この身体感覚の言語表現が実に豊かに、そして的確になっていく。


そこに到達した方々は「どうしたらいいですか?」という問いを必要としない。
「私の心身が、いま、何を望んでいるか」を聞き取ることができるので、自らに対する深い愛情と確信をもってそのことに取り組みさえすればよいからだ。

これこそがヨーガのもたらす智慧である。
自分のなかから湧き上がる洞察。

情動の感覚を特定する適切な言葉を見つけようとすることで、前頭前皮質大脳辺縁系の興奮を鎮めることができる。
言葉にして語ろうとするとき、扁桃体の活動が少なくなり、右腹外側前頭前皮質が活性化する。ここは脳のブレーキ機能の中心となる部位であり、あらゆる種類の抑制を司る。

自分の感情を口にすると、感情をさらに悪化させるという誤った予測によって、多くの人々が自分の感情を語らずにいる。
これは人間性に関する誤った思い込みだ。

興奮を和らげるには、情動を少ない言葉で言い表す必要がある。
象徴的な表現を使うほうがよい。間接的な比喩、単純化した言葉で。

クラスでは、実習のあとに自分の内的な変化を一言で表現することを必ず求める。

「気持ちよかったです」という表現はNGである。
今日、あなたは、どんな風に気持ちよかったのか、それを尋ねる。
これに抵抗感を示す初心者の方は多いが、非常に重要な訓練だということを理解して欲しい。

ヨーガの体操とは「姿勢」に他ならない。
ある姿勢でじっと佇み、内面で蠢くものすべてに光を与えようとする行為である。
そこにあなただけの洞察が生まれる。

私たちの内面は実に深く広いので、生きているかぎりこの行為に終わりはない。
ヨーガとは生き方である。

№365 観ているひとを育てる

「もしも汝がこの義務に基づく戦いを行わなければ、自己の義務と名誉を捨てた罪に問われるであろう。」 バガヴァッド・ギーターⅡ-33

 

 

ヨーガの世界は実に広く、様々な面を私たちに見せてくれる。

どのような入り口から入るかによって人がヨーガに求めるものは違ってくるだろうが、せっかく縁をもらったのなら他の部屋でなにが行われているかも覗いてみて欲しい。

 

なんらかの不調をきっかけとして実践を始める人が最も多いと思うが、その場合は緊張と興奮に満ちた心身を鎮めるところから始めていくことになる。

こういったアプローチは実のところ「ヨーガ療法」と呼ばれるべきで、たぶん世界じゅうでセラピー的にヨーガを用いている人がほとんどだと思われる。

 

耳の少し上に、扁桃体という器官がある。
扁桃とはそのままアーモンドを意味し、アーモンドの形をしたセンサーが頭のなかにあるよということ。

このセンサーが過剰反応している人がかなり多い。

過剰反応の結果として起こる体の反応としては、血圧が上がる、呼吸が浅くなる、自律神経の働きが乱れることなどで、ストレスの波に巻き込まれている状態だ。

呼吸と動作を同調させ、息を吐くときにはハミングをしながら、吸う息よりも吐く息を長くするようにしていくと、この扁桃体は落ち着いてくれる。

自分のやっていることをしっかり意識して行う“意識化”練習を積むと、脳の前頭前皮質という部分が扁桃体の過敏反応を抑えてくれるようになる。
結果として、生きていると生じる感情の高まりに落ち着いて対処できるようになる。

「ああ、いま私は怒ってるな」と気付きつつ、怒れるようになるのだ。
他の感情も然り。
喜怒哀楽すべての感情を“観ているひと”が育ち始めるのだ。
(*ヨーガの目的は、観る者たる自分を確立すること)
(*喜びすぎると心臓が弱るらしい。漢方の教え)

これがもう少し上手になると「私、怒ってるなー」と思いつつそっと首筋で脈を測り、その脈がだんだん速くなっていくことを観察できるようになる。
怒っているとテンションが上がってきて、身のうちから力が湧いてくることに気付く(アドレナリンが出ている)。
怒っているはずなのに、気分が高揚して気持ちよくなることがわかる。

怒りがもたらす陶酔に酔い始めている自分に対して、「お前は今ヤバい状態にある」とツッコミを入れられるところまで前頭前皮質が発達していたら、観る者たる自分が「これ以上やるとマズいよ」と、脈が速くなりつつあるタイミングで物理的に怒りの対象と離れることを勧めてくれるので、別室に移動して心身が鎮まる活動に移ることができる。

こういう場面では、怒りの感情をしっかり感じつつ、息を長く吐くことに努めると良い。

対象のことを考えず呼吸に集中することも大事。
その場から去れるほど観る者が育っていれば、集中はかなりできるようになっているはずなので、難なく呼吸に向き合えるはず。

前頭前皮質は、周囲の世界との意識的な関わりを司る中心部分である。
日常生活を送る中での「自動操縦」状態ではなく、ものごとを深く考え抜くときに要となる脳の領域だ。

役に立つ一方で、前頭前皮質には大きな限界がある。
すべてが適度である必要があるのだ。

静かな場所でルーティンをこなし、日々心身が落ち着いていることを喜びとするヨーガも気持ちいいが、それは入り口のひとつに過ぎない。
毎日適度に生きて深い洞察が得られるとは思い難いし、想定外のストレスに対する抵抗力もつかないだろう。

マインドフルネスの簡易な練習だけをしていて迷子になっている人は多いと感じている。
そういう場合はどうしたら良いか。

果敢にストレスと向き合っていくようなヨーガの用い方をすればよい。
次回は、アサナ(体操)の別の側面についてお話しよう。