蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№371 吸ってばかりでは

「人が古い衣服を捨て新しい衣服を着るように、肉体に宿った神我は古い肉体を捨て、他の新しい肉体に宿るのだ。」 バガヴァッド・ギーターⅡ-22

 

 

二泊三日の東京出張を終え、昨晩遅く帰宅した。
4カ月ぶりの上京だが、久々にお会いした皆さんがお元気でほんとうに安心した。

オンラインでのやり取りが続いていたけれども、リアルに会って話ができるのは実に嬉しいもの。来月の出張もなにごともなく行けますように。


さて、今日から数回掛けて、健康的な呼吸について語ってみたい。

自分の呼吸を愛しなさい。他者の愛し方を学べるのは、それからだ
と言った人がいるそうだが、そのとおりかもしれない。

普段の生活の中で、身体を意識することなく、呼吸を忘れて仕事に没頭し、あとには疲れ切ったからだが残される、ということに多くの人が苦しんでいるように見える。

年齢が若くても、崩れた姿勢と足を引きずって歩く姿が老人のような人もいる。

作業に集中しすぎて知覚を失うことは珍しいことではなくても、どこか痛い時や苦しい時に、それが呼吸のせいだと考える人はほとんどいないだろう。


4-5世紀頃、聖師パタンジャリによって現在の形に編纂された「ヨーガ・スートラ」では、呼吸についてこんなことが書いてある。

Ⅰ-31 悲しみ、心の悩み、体のふるえ、不規則な呼吸があると、集中を続けることができない。
(集中は、心と体に完全な休息をもたらす。実践のやり方がまちがっていたり、十分に制御されていなかったりすると、このような障害がくる。)

Ⅰ-32 これを癒すには、一つの対象の実践がなされるべきである。
(心をしてしばらくの間ひとつの対象の形をとらしめること、それが、これらの障害を破壊するであろう。)

Ⅰ-34 いき(呼吸)を吐き出し、そして止めることによって。

 


頭痛、筋肉痛、手足の冷え、消化の問題、不安感、胸の痛みなどに悩んでいる場合、それは血中の二酸化炭素濃度が不足することから起こっている可能性がある。

 

呼吸は酸素を取り込み、二酸化炭素を吐き出すものであるのはみな知っている。
酸素は良いもので、二酸化炭素は悪いもの、と考えているかもしれない。

しかし、二極の対立の克服の教えはここでも大事なのであって、現実はもっと複雑だ。

極めて軽い活動にもかかわらず、気持ちが急いているせいで呼吸が多くなっていることが多いのではないだろうか。
頭のなかで想像している未来のことであっても(たとえそれがウキウキしたことであっても)、身体はそれが今ここで実際に起こっているかのように反応する。

そのため血液の酸性度が高くなりすぎて、息切れを感じる。
そうして過呼吸が始まって、さらに吸って吐いてを繰り返されると、二酸化炭素を増やす身体活動が行われないまま、二酸化炭素を失い過ぎてしまう。

過呼吸によって血液はアルカリ性に傾く。
この状態は「呼吸性アルカローシス」と呼ばれていて、鬱から腰痛まで、さまざまな症状を起こす可能性がある


もう一度、スートラの文章を見てみる。
「いき(呼吸)を吐き出し、そして止めることによって(Ⅰ-34)」

吸うことについては、なにも言っていないことを確認して欲しい。

吐くことを徹底的に練習していき、吸うという行為は任せればいい
呼吸という活動の中で私たちにできることは、手放すことだけなのだ。



次回は、「過換気」の状態についてくわしく書いてみよう。