蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№901 いじわるの連鎖

B・ブレナンの著作を順次読み返し、三部作の3つ目に辿り着きました。

最初に手にした時から3年半。品川駅の本屋さんで悩みに悩んで買ったあの日が懐かしい。

 

えー、オーラってなんなん?すごくあやしい、ちょっと意味わからんし、と思いながらどうしても読まないといけない気がして、買って帰ってホテルで読んでだらやっぱり意味わからん。そこから3年寝かせた間に驚くことが起きてスラスラ読めるようになっていた、そんな感覚です。

 

ここまでの間に、現世的結果はともかくしっかり「生きて」きたんだなあと思えました。以前はちんぷんかんぷんだったことが、クリアに、そして身に迫るものとして理解できます。

 

もしかしてもしかすると、この本を買うか否か逡巡したときから、私の奥底は今日この日、自分がこの知識を強く求めることを知っていたのかもしれないと思うほどです。

 

昨年あまりにもつらいことが多かったのですが、靈氣マスター真理子をはじめいろんな人に散々ヒーリングセッションをしてもらった1年でした。そんな素晴らしいことをすっかり都合よく忘れて、しんどかったことばかりをこねくり回してきた私。生きるのが下手ねえ、としみじみ思います。

 

ヒーリングは統合するまでに時間がかかる(らしい)。そりゃそうですよね。人間存在の全ての層・全次元に働きかけて、三次元的実体感として感じられるのは最後の最後なんだから。

 

IHヒーリングではお題(どんな悩みに対してヒーリングを施すか)も私だけでは決められない。この場合の「私」というのは、私が私と思い込んでいるところの表面的な意識のことです。

 

しかしそもそも「私」、そしてもちろん「あなた」も複雑にして深遠な存在なので、表面の波立つところで思ってることと深いレベルで思ってることがかなりズレてる。ズレてるから生きにくさが生じるんでしょうが、どんな老師やグルであっても、ズレてない人なんてほとんどいないらしいです。

 

これまでの間にやってもらったヒーリングの、複雑な存在としての自分の悩み、そしてそれが癒えたときの結果。この世界しか見えていない私にはいったいなにがどうなってるのかわからない(たまにわかることもある)。でもヒーリングは完了しているのです。

 

謎ばかりでしたが、最近ようやく、これまでの一連のヒーリングが統合しつつあるのかなあと思います。特に夜から朝にかけて「もしや?」と気付きが降ってくることが多々あり、この「もしや」は自分の越し方・その選択や信念及びそれから生じる行動についてです。

 

あれ?と思えるとき、その傷はたぶんもう癒えている。

 

その痛みから生じた諸々の現象は残滓としてまだそこにあり、それに向き合っていくのは私の仕事。でも私の真の部分はきっと、もう癒えている。だからこそ「あれ?」と思える。そんな気がします。

 

今朝の「あれ?」は、自分はどれほど自分を虐め抜いてきたのか、ということでした。

 

常々セッションのなかで、人間関係の悩みを取り上げます。そこでよく出る話は、いじわるな人は寂しい人なんじゃないかな?ということ。そしてそういういじわるな人に遭遇してしまう私自身がそもそも、自分に意地悪してるのかもしれない。

 

生体エネルギーは「類は友を呼ぶ」法則に従っていますから。罰などではなく「意地悪しないで」という私自身の嘆きと懇願のこだまが、外の世界から響いてくるように思えているだけのではないか?ということ。


じゃあどうする?というとき、自分は自分をどう扱っているんだろうか、ということに引き戻す。

 

悲しい、苦しいという感情をちゃんと感じてあげられるだろうか?

人ってネガティブな感情を避けようとする癖がついていて、それをちゃんと抱き止めてあげることができない。そうするとその嘆きは、人を介して「抱きしめてくれ」と言ってくるんだと思います。

 

人を赦せないとき、意地悪なことを言ってしまうとき、優しくできなくて切り離してしまうとき、きっとその人も苦しんでいる。それを目の当たりにする私も苦しんでいる。

 

もうやめたい。哀しみから生じた苦しみを、意地悪で発露させる循環は。私がこんなに哀しいなら、あなたもきっと哀しい。本当に自分を赦し受け入れているとき、人はきっと赦すことができるはずだから。

 

私も自分を赦してやりたい。そしてどんな意地悪をされても、たくさん泣いて、哀しんで、それを自らのうちに引き戻していきたい。自分を癒すことでしか、誰かの苦しみや哀しみを癒すことはできない。

 

自他は分離していないんです。私の中には真我がいて、絶対者と繋がっている。そして絶対者を介して万物と繋がっている。苦しみを感じることが、そのつながりが確かにあることの証拠なのかもしれません。

 

こんなことを考えていると、少し心があたたかくなる気がします。思うだけではいけなくて、これからもずっと練習を続けなければいけないと思うけれど、いつかもっと上手にできるようになるはずです、きっと。

 

 

 

 


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