蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№868  収縮期Now

 

久々の出張。
1−3月は出張をお休みにしてゆっくりしようと思っていたのですが、結局のところアメリカにまで行ってしまい、家にじっとしていることはできなかったのでした。

 

Blogもサボっているし、年明けの体調不良もあって私を案じてくださる方がおいでになるのですが、人間存在は拡張と収縮を繰り返すものなのであって、今は収縮期に必要なことを粛々と行っています。もじもじする気持ちは確かにあり、これから芽が出る木の実を土から掘り起こしたくなって身悶えしますが、そんなことをしてしまっては元も子もないのでこりすの可愛いおててをギュッ!と握り締めて、なんくるないサーと嘯いて過ごしています。

 

こういう収縮機は数年おきに必ずやってきますが、仕事のやり方や方向性を改めて考え直す大事な時間になります。対外的には動いておらずしょぼくれているように見えるのかもしれませんが、この間の取り組みに必要な方と定期的に連絡をとりながら、今でなければ決して顕すことのできなかったものが生じてくる様を、じっと見つめています。こういうのももう何回目かなので多少慣れてきた感があり、これは成長かなあと感じます。

 

年明けの体調不良に関してY平先生から「修行が足らん!」とお叱りを受けましたが、B・ブレナンの著作を読んでいましたら、ヒーリングの過程で風邪のような体調不良に見舞われることはよく観察されることだそうで、何やらという名称が付与されていましたが失念してしまいました。復習しておきます。ま、言い訳っちゃ言い訳ですが、IHヒーリング合宿を経験したことのある方は「無理ないやろなあ」と思っておられると信じます。

 

鍼灸の主治医の先生によりますと「肝虚」の状態はめでたく完全に脱したとのことで、確かに内から力が湧くのを感じます。Yogaを行じる者として森羅万象はすべてわかちがたく結びつき(緻密で美しい織物のように)、なにかがなにかに絶えず影響を与え合いながらこの世界は顕現していることを薄々は感じていましたが、最近ようやくその感覚が明確になってきました。

あ、やっぱりそうやったんやな、という感じです。ここに至るにYogaはやってきたけれど、他のアプローチや体験も必要だったんだろうなあと思います。ま、もちろんもっと先がある訳ですが。

 

12月にアメリカで学んできたIHヒーリングを、他者や自分自身に対して可能な限り活用しているところですが、先日は突然哀しくなり涙が出て止まらず、友達に交換セッションをしてもらったり自らセルフセッションをしたりしました。映画を見ていてなにかにフックがかかったらしく、これという理由もないのに突然噴き出した感情でしたが、近頃はこうして感情は湧き上がるものであることを許し、湧き上がるものを押し止めお利口さんでいようとすることこそが人間の大きな病理であることを知り、リアルな感情を抱き留め味わい尽くすことが以前より段違いに上手になりました。そうすることで見出されるものの豊かさに、とても驚いています。

 

あ、そうだ!
今月とっても嬉しいことがあったのを思い出しました。


出張を減らしたおかげで、箏曲の稽古に復帰できたのです。
ご療養中の先生も順調にご回復を遂げておいでのことと伺い、もうホントに!!!嬉しいの一言に尽きます。この度、お姉さん弟子がお声をかけて下さったので、お言葉に甘えて代稽古をお願いしたのでした。

 

出張続きの時は何しろ楽器が手元にないわけですから(さすがにお箏を持って出張はできない)稽古する時間が激減してしまい、毎朝とにかく弾くということができていた頃と比べると技量が最低(自分比)になっていましたが、それでも何十年もかけて先生が仕込んでくださったことは体が確かに覚えており、このことが私をとても励ましてくれました。

 

職格を頂戴した以上「辞める」という日はないのでしょうから、またここから少しずつ前に進んでいきます。資格をとった直後に訪れた「暗黒の期間」のお蔭で生まれた「この先何があったとしてもこのまま諦めたくない」という気持ちこそが、ギフトだったのかもしれません。

ちなみに今は「都踊り」と「越後獅子」を稽古しています。歌ってるとほんっとに気持ちいい。頑張るぞ〜