蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№824 すべて完璧

今日は月一度の講座の日でした。少数精鋭?の超こじんまりとしたリアルセッションです。

 

私は営業活動をほぼ夢でしか行わないので、秘密結社の集まりのようになっていますが、参加している方々のここ数年の内的な変化と、それに伴う現実の変化を見るととても感慨深い。

 

特に、参加者の日々の生活の中で起きる事象が、大きな意味合いでシンクロしていくのが非常に興味深いです。

 

 

最近の私は激しい苦悩(私的、内的に)のなかに生きていたのですが、今は大きな変化の中に身を置いています。また泣いちゃったけど、みんなが助け起こして涙を拭いて、慰めて話を聞いてくれるので、最後にはエヘヘと泣き笑いをしながら「ありがとう」とお礼を言えました。

 

 

この道を選び生きはじめてから、自分に嘘をつくことがどうしてもできなくなりました。これは世俗的な決まりとかそういうことに従うということではなくて、私にとって座りの悪いことはできないとか、きれいだと思えないことはできないという感覚です。

 

私にとっては座りが悪くても、そこでばっちり座れちゃう人もいます。でも私は座り心地が悪い上に、それがすごくストレスになっちゃうということになる。その感覚を大事にするということが、自分に嘘をつかないということです。私にとってはね。

 

そこを曲げちゃうとチャクラがズレるっていうか? そんな感じです。

友達のよっちゃんの造語に「もやもやステイ」という名言があるのですが、まさにそんな感じで、もやもやしながら「待て!」と言われてもう泣きそうな感じでした。いや、マジで泣いてました。

 

それで一生懸命ちょっと違う座り心地で頑張ってきたのですが、頭がおかしくなりました(当社比)。ホルモンがおかしいっていうか? 扁桃体暴走モードで、鍼の先生には「肝の脈がどうしても調わん」とよく言われていました。

 

が、しかし。


絶対者のお仕事はいつも申し上げている通り、常に緻密にして完璧。

私に起きたことも、受講生の皆さまの身に起きたことも、絶対的必要体験だったのです。

 

 

そもそも変化・変容というものは、今のマジちっちぇえ!!自分にとっての「不幸的体験」を通じてしか起こり得ません。インド5000年の智慧・Yogaの教える通りです。

 

この不幸的体験に関係者がいたとすると、それはすごいご縁で、ありがとうを何千回言っても足りないくらい。

 

”リアル私”をご存知の方は、(言いたくないけど)私のエネルギーと圧の強さと、声の大きさと口の達者なことはよくご承知のことと思いますが、かなりひどいことも平気で言っちゃう悪いヤツなので、自分のやらかしたこと、言っちゃったことを思うと穴があっても入らせてはもらえないだろうと思うくらいなのですが、

 

でもしかし。

 

ここのところの私は、マスターマリコのご支援の賜物か、こんな自分でも容易に許せちゃうのでした。ダメな自分でもOKと思えると、許せない人はこの世に誰もいない。自分が一番ひどいから。

 

だからありがとう、ごめんね。一緒に体験をしてくれてありがとうねって、いつも私に関わってくれているみなさんに、申し上げたいと思います。

 

ありがとう。ごめんね。
あなたはいつも揺るぎなく、あなたの最高最善を求めてね!