蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№641 生きる力を増やそう

あなたとは遠くの場所を指す言葉ゆうぐれ赤い鳥居を渡る  松村正直

 

 

 

4月24日
昨晩は飲み過ぎた…。
M社長と差し向かいで参鶏湯を頂きながら、泡から赤ワインへと順調にビンは空になっていった挙句、Marujinにまで参戦してしまった。いくらなんでも飲み過ぎだって。飲み過ぎの証拠に「マスター、何か甘いものを、ロングで」という超弱気オーダーをしてしまった。でもさすがに今回はカルーアミルクは踏みとどまった。前回相当恥ずかしかったからね…

M社長といい某所のあの方といい、くいしんぼうの社長にまともにぶつかって行ったら気もカラダも弱い私は大変なことになってしまう。案の定昨晩(朝?)も4時まで床に転がっていたし、酔ってアイスを食べたみたいだし(夢の彼方の記憶なれど、テーブルにチョコがこびりついてた)、酔ってアイスを食べながら送ったメッセージの内容を朝7時に思い出せなくて焦った。とんでもない間抜けなメッセージを送っていたらどうしようとかガラにもなく思ったが、まあたとえそうであってもだいじょうぶなはずだ!

 

しかしこれだけ飲んでも絶好調。別に頭も痛くないし、プラーナーヤーマをしてシャワーを浴びて、大量のはちみつレモンを飲めば後はふつうどおりである。アルコールは鼻の穴と毛穴と尿から出ていくんだよ? 近頃、心身の調子がいい。しみじみ思う。

自分がお酒に弱いと思ったことはこの年になるまでついぞなかったのだが、最近よくご一緒するお二方にはとてもじゃないが敵わない。いったいどんな肝臓してるの。いったいどんな酵素出してるの。それって社長にしか出ない酵素なの?いいなあ社長って。
しかもこの方々との対話って、たまらなく楽しい。やっぱり肚が坐ってらっしゃるからかしら。そしてまた飲み過ぎて、〆チョコか〆アイスまで食べちゃって正体もなく眠りに落ちてしまう。懲りずに「またやろう」となって…エンドレス。

7月にマスターマリコが帰国されると聞いた。マスターマリコも社長である。M社長と三人で飲んで、私はマスターマリコビル(SKY米子)で気を失うっていうことになるんだろうな。飲めば飲むほどエネルギー的にはバカになるらしいから(バーバラ・ブレナンさんが言っておられました)、一歩ずつバカボンのパパに近付いて行っているんだと思っていよう。こんな酒飲みは優れたヒーラーとかにはなれないらしいが、たぶんそれは私の路線とはズレてる。我が人生に悔いなし。これでいいんじゃい、うん。

 

 

さて昨日、渡米以来初となるLINEによる長々としたやりとりがJK剣士との間に交わされた。感想を一言で述べると「なんとまあ、成長したなあ」、更にもう一つ付け加えると「マスターマリコの教育はすごい」、そしてありがたい。行かせてほんとによかった。

アメリカは住みやすいと言い、山陰にいるときの閉塞感を感じずに済んでいるようだ。「ママも来たらいい」と言う。理由は「マリコさんやママのような人が東京よりもいっぱいいるんだよ」と。これはあれよね、絶対にほめてくれてるのよね?ありがとう、JK剣士。でもママは自称森の子リスだからね?

自分で稼いで使う感覚を、マスターマリコはJK剣士に養わせようとしているらしい。渡米まで「欲しい、行きたい、やりたい……お金ちょうだい」だったのが、言うことが完全に変化した。具体的にここに書くことはしないが、彼女が自分のまえに立ち込めていると思っていた(思い込んでいた)暗雲が無いことに気付いたのだろうか。

生まれてこの方不幸だったことなんて一度もない、という。なになに、Veda聖典智慧を米国西海岸で体得しちゃったのか。でもそれはホントのことだから。
自分で作った妄想が、自分を救えるように生きよう。自分に力を与えてくれて、人と自分を同じように大事にできる妄想を採用しよう。

JK剣士はいつ帰って来るのか、留年なのか退学なのか、それともインハイ予選に出場するのか。もうハハはどの路線でもかまわない。いつも言うように、生きていてくれるだけでじゅうぶん。愛してるよ、大好きだよ。ぶーちーと同じように、ふたりともハハの宝物だよ。

 

 

大人のみなさんは、加齢がみじめで寂しいもんだっていう妄想も採用しないように。
「歳だから」っていうわかりやすい表現でなく、なんとはなしに加齢に暗い影が差しているような思い込みが言葉の端々に匂う人がたくさんいるけど、それいらんやつですよ。
先日の鍼灸治療でなぜかバイアグラの話になってさ、センセイが「飲むだけじゃなくて治療しないと治るわけないよね」っていう。「えー!やっぱりそれって治るんだ?!」と聞き返すと「治ります」って断言なさったよ。

だって精力減退ってイコール生きる力の低下だから、YogaでいうところのPranaが不足してること、漢方でいうと人の生命力を司る腎という働きがうまくいってないことに起因する症状に過ぎないから、元の腎の働きを本来の状態に戻せばいいんだからさ、っていうことだった。ちなみにこの腎の働きは、西洋医学的な「腎臓の働き」なんて言う狭い了見のはなしじゃないですからね。そこに腎臓の狭義の機能も含まれるけれど、それを含んで超えている生命の働きのことですからね。


人間の健康も病気もどこか一部分ってことはない。存在の一部だけが病むことはない。全部まとめて健やかな私のどこかがすこし不調和を起こしたりすることがあるのが、生きるということ。過去の記憶や無意識に保持している信念から精査して、心の健やかさを獲得し、生きるということを満喫していきたい。

せっかくここにきたんだから、ね。