蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№631 海で暮らすわかめ

さくらばなおとなになればふんわりとわすれてしまふいくつかのこと  中山明

 

 

 

4月14日
昨日部屋清掃のためにJR品川駅ecute2階の書店で延々と立ち読みをして時間潰ししたのに、まさかの掃除は昨日じゃなかったという…部屋に戻って扉に貼られた「明日は清掃日です」という札を見て腰が抜けそうな脱力感を覚えた。しかし仕様がない、人間生きていればこのようなことはなんどだってあるんだ、なんくるないサー。立ち直れ私!

で、今日はちゃんと掃除の日だった。さきほど担当の方がトントンとドアをノックしてくださったので、1階のカフェに移動してこれを書いている。ドリンクバーにリンゴ酢があったよ?これってふつうのことなの?ちょっと甘いけど朝の酸味はとても美味しく感じる。

 

 

昨夜は昔から(っていってもいいよね?)のインテグラルともだちJさんと会った。
築地で待ち合わせだったので本願寺に初めて足を踏み入れてみた。築地駅から本願寺に向かう地下鉄の階段には八重桜のはなびらがそこここに積んでいて、とても美しかった。

インド風と聞いていたがすごいデザインの建物だねえ。しかも宿泊ができるらしい。「信徒様は割引がございます」とのことだったがそれって狭義の信心のことでYogaは無関係よね?東洋の叡智を信じておりますので平たく言うとお仲間かと存じます、って受付で申し上げたらなんて返してこられるのかしら。ちょっと聞いてみたいよね?

 

そんなことを考え、宗教法人ってすごいなあ(色んな意味で)とかボケっと考えていたらJさんがお迎えに来てくれた。近くの大学で体育を教えてこられたそうだ。Jさんハウスはからだにめちゃめちゃいい家だというので拝見ならぬ「体験」をさせて頂きたかったのだが、実はかなり遠いとのことで延期になり、品川で中華を頂きながらたくさんお話をした。

2年前の12月、JさんとSさんがかの有名な(JK剣士ともご縁の深い)体育大学で天真体道のイベントを開催してくれた。寝台列車サンライズ出雲に乗って参加しに来て、せっかくだからリーダーともお目にかかりたかったけれどインフルエンザでぶっ倒れたとのことでお目にかかれず。なつかしいなあ。


そのイベントでは1日かけていろんなことを体験させてくれたけれど、いちばん印象深かったのは「わかめになった」ことだった。どういうことか書いてみるけれど、すごくうっとりしていて記憶が曖昧なのでなにか間違っていたらすみません。

二人一組で行うからだを使った遊びのようであり、靈氣を学んだいまになって振り返るとエネルギーワークだったと思う。ひとりが波、ひとりがわかめになる。海のなかで守られ、波を生じさせるなにかにやさしく導かれ、わかめは波に身を委ねて揺れ動く。そこには作意も個別に分離された意志もなく、あるがままおのずからただそうであるようにそこにいることができる。思い出しただけでも気持ちよくなっちゃうよ。


指導して下さった青木先生もほんとに素晴らしい方。
私はあの時まだ「思考の力」についてよく理解していなかったけれど、無意識の領域でその方面に啓かれるように導いてくださった気がする。

人の行為はどのタイミングで始まるのか、ということを青木先生が実体験させてくださった。私は手を上げて被験者になって実際に青木先生と向き合い、私のなかの「攻撃の意志」が発動する瞬間を捉えてもらった。今、思考の恐ろしいばかりの力を少なくとも顕在意識では(知識として)理解できたように思うから、あのワークの価値を改めて感じている。

ワークが終わろうとするころ、先生のお弟子さん(超イケメン。奥さんは美女)に私は「いったいなにをなさっているのですか?」と問われた。Yoga教師ですとお答えしたが、なぜあのようなことをお訊きになられたのであろうか?自分にはわからない。


昨夜Jさんとはすごく深いおはなしができた。やっぱり“インテグラル×規夫先生”という共通の土台は揺るぎなく偉大だと改めて感じさせられた。また師匠のこと好きになっちゃった。今度はJさんハウスでチャイとカレーを作って食べよう。そして昨日のおはなしの続きをしよう。

 

 

会食のあと、東京タワーが好きだというJさんがまだ一度も行ったことのない私を芝まで連れて行ってくれた。夜の闇の中で光を浴びて浮かび上がる東京タワーは、幻想的で実に美しかった。タワーの足元にたくさん吊るされたこいのぼりは風がないとメザシの干物みたいだったのだが、瞬間風を孕んで泳ぎ出してくれた。風は肉の眼では見えないけれど、こうして粗雑な物体に動きを与えることでそこにいることを教えてくれる(風は5元素=パンチャマハブータのひとつ)。


先日、O先生がエネルギーワークの学びを一緒にとお声がけ下さったのだが、これまで私がYogaや靈氣で時間をかけて学んできたものはガラケーみたいなもので、O先生がこれから取り組まれようとしているのは現代的な云わばスマホのようなものだとマスターマリコからご説明があった。どちらもちゃんと絶対的ブラフマンと通話はできるということか。O先生がエネルギーワークを学ばれたらスマホのように多彩な技がお使いになれるのかもしれない。すごく楽しみ。

私の発する氣について、先日規夫師匠が「等身大で地に足のついた」ものだと評して下さった。なんだか嬉しかった。私が靈氣をさせて頂く方々は“エネルギーワーク”というコトバも知らない方が多いけれど、たしかに間違いなく何らかの身体的な現象(暖かくなった、なにかが流れたなど)をお感じになってくださるのはそういうワケなのかもしれない。とても励まされる。

 

このところ自分にとって少しつらいことが、まったく別の領域でいくつか勃発したように思い込み、完全にそこから身を離すことができなかった。だからこそ久方ぶりにブログ更新もサボる羽目になってしまったのだが、このことについてマスターマリコに示唆を求めたところ、心配したりしただけで“引いてしまう“よとのお言葉があり、そのことを受けて青木先生とさせて頂いたワークのことを想いだしたのだ。

愛と光以外は拒否!とかいうと「何バカなこと言ってんの?」と思う人もいるかもしれないが、思念というのは強い微細エネルギーなのだからどんなに離れていても影響が及ぶ。でもその影響を受けないということも、私は選択できる。悪い影響は受け取らずよい影響を人に及ぼせるよう、いついかなる瞬間も自分のなかに浮かぶ考えを観察していたい。今この瞬間、私が愛をもって心に思い浮かべるあのひとたちに、まちがいなくなにか良い影響が波及していると信じて。