蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

No.713 皆、良かれかし

幾千もの星のひかりに切られゐし冷たき頬へシーツをあてる   筒井宏之

 

 

 

7月8日 

年に一度恋人同士が邂逅するという夜、曇っていて星は見えなかった。
長女のために七夕に因んだ可愛らしいパッケージの菓子を買ったので、遅ればせながら渡さなければ。

 

 

山陰では大変な雨とのことで、何人もの方からご心配頂きありがたかった。
JK剣士は警報発令のため休校となり、強い雨の音で朝早く目を覚ましたと言いつつも元気にしていた。我が家の猫たちは外に出たそうな顔をしつつも、窓を開けてやると雨に慄いてその場に蹲るという。

 

 

 

一連の変化が私には訪れていて、私のことを気遣ってくれる方々からいくつかの助言をもらった。
このBlogは規夫師匠に強く勧められ、洋平先生に背を押されて始めたのだが、この取り組みは一定の変化を私にもたらし、同時に少し厄介な事態にもなっているのだった。

ここで私は意図的に美しく形造った世界(=森のヒグマ的世界)をお見せしていて、それは本当の私とは違う。このことをわかった上で面白がってくれる粋な人もいるかと思えば、虚構を真にうけている方も現れてきて困惑している。どんなふうに読んでもらっても結構なのだが、遠くから響いてくる木霊を聴くたびに徒労感が増す。言わば森のヒグマ対森のこりすの仁義なき戦いが今始まっているのだが、闘っているのはどちらも私なのだ。

なのでこのBlogとの付き合い方を、これから少し変えると決めた。

ごく親しい信頼する方々のお声を掬い上げると「すっぱりやめろ」というお声が八割、「のんびりやんなさい」というのが二割というように認識している。

ただここでこうやって言葉を綴ることは私にとって洋平先生とのお約束であるし、年がら年中ふらふらしている母の安否確認を大事な娘がしてくれていることでもあるので、何年か前にこのBlogを始めた時のように「洋平先生とS子さんしか読んでないし」という心持ちでのゆるやかな継続をしようと今は思っている。これは「森のこりす保護活動」であり、いつまでもここにエネルギーを投入していたら書くべきものが書けないし、今のままでは私の何か(こりす的実存)が壊れる。

 

 

ちなみに七夕の昨日は表参道にいた。
数年間愛用してきたPCについて、狂信的なMac信者から「DELLなんて使ってんじゃねーよ!」と罵倒(ご指導?)され、あれよあれという間に生まれて初めてのMac Storeに立っていて、Mac Bookを手にしていた。以前のDELLは元Panasonic社員に勧められたもので、身近には元富士通社員もいたりしてずっとMacから遥か遠い場所に生きてきたのだが、まずJK剣士が信者になったことから世界が変わっちゃったし、そういえば春樹(*私は筋金入りの村上主義者だった)もずっとMac信者だったんだよな。

 


七夕だから短冊にお願い事を書いたよ、という人がいて、その人の願い事をお聞きしたらやっぱり自分以外の人のことだった。この人のことだからきっとそうだろうなと思ったけれど、やっぱりそうだったとわかった時、心の中は満天の星空になった気がした。私が書くとしたら何がいいかなあと思い、「誰しも皆良かれかし。幸いであれかし」と書きたいとふと思ったそのことが、その人のお心と触れ合った気がした。

「良かれかし」と祈るその”誰か”のなかに、あらぬ妄想を抱く人も、自分のことも含んでいたい。