蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№638 ふたり一緒に

映すものの意味もわからずいつの日か蒸発してゆくすべての水たまり   井辻朱美

 

 

 

4月21日
早暁目が覚めて水を飲みに立つと、我が家の飼い猫ういろが窓外から「あけておくれ」とせがむ。寝室に戻るとあとをついてきたがなにやら様子がおかしい。なんとまあびしょ濡れである。いったいなにがあったかしれないが、ともあれ濡れた被毛を拭いてやった。
ういろはエアコンの風が当たるところに座って自分の毛並みをひとしきり舐めたあと、本を読んでいた私のもとへ寄ってきたので準備していたバスタオル(猫用)に包んで抱いてやった。そしてそのまま二人で二度寝してしまった。目覚めたときには濡れた感覚も和らいでいたのか、つい、と立ってふとんの足元で寝そべり直した。ハハウエありがとう存じました、とでも言えば可愛いものをねえ。


さて昨日TVドラマ「和宮様御留」1991年版(斉藤由貴バージョン)も発見してしまい、早速視聴。高校生の時に見て衝撃を受け、そのまま有吉佐和子作品を読みふけるきっかけとなった作品だが、当時はまだ原作も読んではいなかったのでこんなに作り変えられているとは思ってもみなかった。久しぶりに会った昔の恋人は、かつての自分のバカさ加減を証明するような人だった気分である。えー、こんなひとだったの、夢中になってた私っていったいなんだったの…。

この衝撃度大な作品が、男女の恋愛ものにされちゃってるところがまずもってなんだかなあ。フキは身よりもない孤児だからこそ身代わりに抜擢されたんであって、こんなラブラブな恋人いたらムリに決まってるっしょ。勧行院さんもそこまで愚か者じゃあらしゃりまへんで。

1881年大竹しのぶバージョンが「おお!」と感心するくらい原作に忠実であったので、尚更ガッカリ気分。しかもこの古いバージョンにおける御所コトバがすごい。見ていると言葉が乗り移ってきて、だれかとお話したとき「御すこやかにあらしゃってごきげんようおめでとう」とか言いたくなっちゃう。今日からハハのことは「おたあさま」とお呼びなされってJK剣士に言ったら、完全にムシされるだろうな。

今日はいくつか用を済ませに外出した。私も籠ってばかりではないのだよ。でもこのことについては明日ゆっくり書くことにしよう。
そして夜は久々に洋平先生にお目にかかった(Zoomで)。

このBlogは洋平センセイ(inフローニンゲン)への狼煙の役割があるので、忘れないうちに思ったことを書いておきたい。ほんとうは直接お聴きしたかったが、夢でお返事頂ければと思います。

1.Raja Yogaの世界において「不幸と病気は偉大なる教師である」という言葉があります。
このふたつを通じた成長のことをPTG(Posttraumatic Growth:心的外傷後成長)というのだと理解していますが、これは相当に過酷な学びであり成長であると思います。
「発達必ずしも善ならず」ということを先生方は常に言ってくださいますが、インテグラル理論が普及しつつあるなかでそのことへの理解は不足しているように感じます。私自身はしんどい目に遭うのは今も昔も避けて通りたいタイプですが、ただ自分が今体験していることをジャッジせず、すべてを恩寵として味わう強さを身に付けたいものです。

2.何年にもわたり、洋平先生の下で断続的に学びを続けさせて頂いていることに深く感謝申し上げます。最近の自分は「A Course in Miracles」と「正法眼蔵」とVeda聖典に記載されている異なった表現が、あたまのなかでは繋がって同じ意味を帯びて理解できるように思い、同時にそこで得られた気付きが自分自身をより開放に導いてくれているように感じます。このことはたぶん(きっと)、先生の下でさせて頂いてきた学びの恩恵なのであろうと思います。
エリオット・ジャックスの時間の概念は重要な示唆であり、資料を探して読んでみようと思います。


同行二人(真言宗の教えで、常にお大師様がご一緒して下さっていることを示すことば)。絶対者とともに歩む道は様々なことがあるけれども、小さなわたしの狭い視野で物事を決めつけないように、他者のなかに生きるわたしそのものを助け生かすために、この命を使えますように。

ひとりじゃなかった!と度々思い出しながら、道を歩むことができますように。
経験を回避するのではなく、乗り越える智慧と勇気をお与えください。