蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№705 それ、不採用

6月29日
ここ二日ほどやたらと忙しく、まるでふつうの人のような生活をしていた。おかげでふらふら不足でもう大変である。

今、新幹線のなか。静岡には止まらないのぞみ20号。先程岡山駅伯備線特急やくも号から乗り換えたところである。先月はゴーストタウンのようだった岡山駅の新幹線ホームも人がけっこういるし、お土産屋さんもちゃんと開いていた。例の大会のためなのかいつのまにか海の日も日付変更になっているし、もう「なにそれ?」って感じである。19日は休みだから、というつもりでいろいろ調整してたのに平日になってるやんか!もう~

これから会うひとになにかおみやげを、と思ってふらふら~と新幹線のりばの“おみやげ街道”に入った。牡蠣のオイル漬けとかかまどパイ(香川のお菓子)とか、備前焼のグッズなどを手にとってあれこれ悩んだが、瀬戸内銘菓・母恵夢、季節限定レモン味と蒜山の山ぶどう?で作ったとかいうグラッパである。いつかどこかでグラッパを誰かと飲んだような…あれはいったいどこだったのかなあ。グラッパに手を出すからには既に相当酔っ払っていたのだろうし、覚えていないくらい酔っていたということはよほど気心の置けない方とのお酒だったのか、それとも美女だったのか。心当たりのある方はお声がけ下さい。「僕だよ(もしく、私よ)」と。私を飲ませて潰すひとといったら、あの人かあの人のどっちかだよなあ。

 

 

さて、今回9日間しか家にいなかったので、その間にいろいろ用事をぶっこんだら大変なことになっていた。ほとんどハラ時計で動いている私なのに、たまにこういうことがあるとふらふらしている人間存在がちょっとはピシッ!とするような気がするが、たぶん気のせいだろう。なんだか西明石でナニゴトかがあったとかで、新幹線がチョッピリ遅れているそうな。その遅れ、2分。2分…?もうええやんか、それくらい。なんくるナイサー2分くらい、と思わないひともきっとおいでになるのであろうが、この2分の遅れにご立腹なさる方とは一緒にお酒飲みたくないなあ。

「ええ大人が怒るのもうやめようや」という話が各クラスで頻発した。とは言え生きていればムカつくこともたくさんあるのは認める。Yogaクラスに参加するひとはどちらかというとワリ食ってババ引いて「とほほ…」と嘆くタイプの方が多いようなので、人にはひどい目に遭わされている率が高いようだ。それでもどっこい自分で選んでるという立場を採用しているわけだから(=ツボイのクラスに来るということは!)、あきらめてこころ清らかに生きていって欲しいものである。

昨日伺ったのは「なぜかほかの人の仕事の不備にいつも気付いてしまってしりぬぐいをする羽目になり、ババを引いたと感じている」Sさんのおはなし。いちおうふんふんと聞いてから、「私、いろいろと気付いてしまうんです、ほほほ」と言って超越しとれとアドバイスした。私は真剣に話しているのだが、ほほほとか言って見せたところで皆様がゲラゲラ笑いだすのでこっちもつられて笑いだし、Asanaのまえにハラがつりそうである。

蓮という花は泥のなかで育つ。泥のなかでしか育たたない。良かれと思って(見た目がきれいだからといって)清水で育てると枯れてしまうそうだ。ドロドロした汚泥のなかを這いずり回って、それでもなお清らかな花を咲かせたいと願うのがYogaを行じる心だろう。


あともうひとつ今日書いておきたいのは、肉体の経年劣化のようなものを嘆くこころは要らんやつである。月に数時間のクラスでそれをなんとかしようとして救われるのは、はじめて1年くらいまでの初心者のかただけ。もう何年ものつき合いになる生徒さんが「膝が痛い」とか言っちゃった日には!!!、という説教がこの前の日曜の晩にあった。

クラスは意識化の質を高めるためにある。クラスで磨いた意識化力をつかって日常動作のなかのからだの使い方をより精妙なものに進化させて、経年劣化なんてなんぼのもんじゃい!という次元に達したい。「年とった=膝痛い」などというロジックを私は採用しない。「膝痛い=運動不足」というのも同様である。カラダなんて思うとおりにしてしまいたい。そのために、一瞬も途切れることのないYogaの境地に安らいでいよう。

 

って、なんだかカッコいいけど、自分は足が痛くて文句言っている森の子りす。次はそのネタで。