蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№693 ここに確かに

ざらしで吹きっさらしの肺である戦って勝つために生まれた  服部真理子

 

 

 

 

6月16日
いつもふらふらしている私であるが、今日はめずらしく、とてもまじめな気分である。神妙な気分といってもよい。
規夫師匠の書籍原稿を拝読させてもらいながら、すべてを通読してなにかを申し上げられなかったことを激しく悔やんでいる私。そこに絶対者ブラフマンの采配ともいえるチャンスが与えられた。「書籍の出版準備をしているから原稿を読んで」というど真ん中ストライクのオファー到来。深いワケがあって、誰のとか、なんに関しての、ということはいまは言えない。絶対ナイショである。カヨコよ、規夫師匠本における痛恨の思いを今ここに激しくぶつけるべし!


幸いなことに、当該書籍原稿の対象読者さまが規夫師匠ものとはちょっと違って読みやすく助かった。オレンジ色のフリクションを手に線を引き引き読む。今回はデータでないことも幸いした。そもそもイナカ者でアナログで明るい電気も苦手な私なので、紙に印字されている文字だとほんとに助かる。自分が専門とする領域とは異なっているので、お知り合いの方が書いた本でなかったら手にとらなかったかもしれない。でも大きく「健康」という括りではYogaとおなじ領域だから、そこに書かれている細部に引っかかって「電解質はどう理解する?!」「石灰化の原因とは?!」と疑問が湧いて色々調べて、ああでもないこうでもないと考えたりした。結局なにがどうなって健康を損なうかも、私たち人間は知らないのだ。

ナンチャッテYoga教師として生きている私は、確かにYogaに命を救われたと思い、また病んだ状態から社会復帰の道筋をつけてくれたのがYogaだという大きな恩もある。インテグラル理論などを背伸びして学ぶ過程でも「自分の専門性をちゃんと持って、それを通じて理解していくことが絶対に必要だ」と規夫師匠に言われたので、そのためもあってYogaに血道をあげた部分も否定できない。要するにYogaと私は切っても切れない関係にあり、私がYogaを教えているのはJK剣士風の表現でいうところの「あーね」というやつと一緒で、なんの不思議もないのだった。

 


ところが今回の原稿をお書きになった方は、そのテーマとされている領域と明確にわかりやすい関りは無いのである。ちょっと乱暴な表現をすると「なぜあなたが?」ということにもなろうと思う。しかしながらこの方のおはなしをこれまで伺う機会のあった私からすると、もうこれはズバリ絶対者ブラフマンの采配なのである。間違いない。

ご存じのとおり私はYogaにも絶対者ブラフマンにもかぶれているので、思わずこの方に申し上げたことがある。「あなたにその仕事をさせているのは絶対者ブラフマンであって、あなたは(ウィルバー風に言うと)親方に使い回されているのであるからNOは言えないのです」と。個我の欲するところよりももっと深いところから今ここに導かれてきたこと、その布石はうんと早い時期から在ったこと。なによりもこれが避けがたいミッションであることを、この方は存在の核の部分で十全に理解しておられる。

 

「おまえがやれ」とブラフマンが仰ったその仕事を成し遂げるのはきっとうんとつらいことで、でも同時にしあわせも大きくてそれは歓喜や至福のレベルに達し、そのダイナミズムのなかで時に翻弄されながらも絶対に必要な助けはすでに常に与えられていると思う。そう信じている。身の内にアートマンを宿し生きていくことを、私は地獄のなかで生きているようだとは考えていないから(師匠、ごめんなさい)。この世はMaya(迷妄)であるとは思う。でもどんな夢を見るかはきっと決められる。だって私たちはアートマンで、それは当然ブラフマンであることだから。

 


昨日の晩から、プラシーボ効果についてものすごい熱量で語っている本を読んでいるのだが、すべての病は心から始まっており、人の思考ほど恐ろしいものはないというYogaの教えとバッチリ同じなので、これもまた「あーね」(JK剣士風)という感じである。
Yogaを行じるということを人はどんな風に捉えているのかわからないが、その究極の目的は解脱・悟りであって、それを「観る者たる自分を確立する」ことで行う。私が観るものであるならば、どんな夢を見るかも私が決めていい。いや、決めさせろ。なにがなんでも自分で決めてやる!そういう気分である(そういう性格である)。

 


だからこの原稿をお書きになった方に申し上げたい。
あなたは、あなたの見たいと思う未来をきっとご覧になられるでしょうと。
とか言ったら笑われて、「未来じゃないよ、じきにやってくる現実なんだよ」と言われちゃうような気がする。


書籍ってすごいと改めて思った。文章だってすごいが、書籍はもっとすごい。ここにいるよ、あなたのことを想っているよ、この言葉が届くことを信じているよ。あなたはもっとしあわせになれるよ。そういう想いが言葉に乗せられて届く。そういう想いが詰まったモノ(紙であり、本になるもの)が私の掌のなかに確かに、在る。

今この文章を書きながら、強いエネルギー(Prana)がわたしのなかで動いている。愛には種類も区別もないから、この方が誰かに向けた愛が私の身体をも満たしてあたたかくしてくれる。

素敵な原稿を読ませてもらった。
確かに私がここにいるよと伝える力強い声。
揺るぎない愛。