蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№704 じぶんがわるい

別のわれどこか遠くで泣いておりちりちりと胸が痛い真夜中  干場しおり

 

 

 

 

6月27日 今日のぶん
すごく忙しい一日。朝からオンラインセッション、いつもながら刺激的な対話をさせてもらえる。

自己とは?自我とは?意識とは?
「私」とはなんなのか?そしてこの自分はいったいなにものなのか。
恐怖とはなに?お金がないと怖いのはなぜ?
Yogaが教える煩悩のひとつ・生命欲への執着とは? 

深い。
そしていつも「昨日」の私の体験とシンクロする問いを投げかけられる。不思議だ。

アホな私にはちゃんと「次回(来世っていってもいい)」という保険があるので、今生どんなことになってもぜんぜん平気だ。でもできれば今回とことんやっときたい。そうでないと今回から次回までのインターバルで(というようなものがあるとすればだけれど)、絶対者と不可分なことが明確に体感できる「私」が安心安全な境地で振り返りを行いつつ、「あー!もう!なんであそこでもっと攻めんかったんかな?!何回やってもこれ!この臆病者めー!バカ、私!」と地団駄踏むような気がするので、今生はとことんやるぞー。

で、ちゃんと現世で立派に生きて人を圧倒しているのに「私とは?」と問える方を私は尊敬する。慧心師から聞かされたハナシで私も「うんうん」と頷けるのは、Yogaの世界にはなんというか…修行崩れ?みたいな人がいっぱいいるということ。現世的=一般社会通念上お話にならんやつがほんなこてぎょうさんおるんです。これマジなハナシです。これだけの一大産業なのに、こんだけダメなやつが集まってる業界って他にないんじゃないでしょうか。

なのでスワミ・ヨーゲシバラナンダ大師さまも、世のなかでちゃんと仕事や役目をはたしていない人は決して弟子としなかったそうである。「ちゃんと社会で働いて、自分で自分を養えるようにしてからもう一度おいで」と諭してお返しになられたそうだ。

ダメってどんなん?と思われるでしょう。時間や約束守れんとか、そういうレベル。お前こどもか?いや、こどもも約束は守れるよ?って言いたくなるような。さすがに認定ヨーガ療法士クラスになるとそういう人はいない。そもそも時間が守れんとか宿題出せんとか言う人は、3年間毎月毎月勉強に通えないから。問題はわりあい簡単になれる「インストラクター」ってひとたちよね。「Yogaあるある」でよく先輩や同輩と話してる。

が、しかし。どんな先生に当たるかは自分が決めている。自分に相応しい先生が現れる。自分に相応しい弟子に巡り合う。だからやっぱり文句を言う筋合いはなくて、どんな自称「先生」がおってもただ「あらまぁ」って感じである。修行して人間としての器を磨く&大きくし、優れた師や先達に出会って愛いっぱいの人生を生きたーい!


さて忙しい1日の続きは、車で40分走って松江のCAFFE VITAへ出勤。長女ぶーちーのコーヒーを東京へ発送するついでに、自分の出張用荷物もここから送ってもらう。他にもVITAモカマタリ信者への豆発送やお中元の手配も。門脇師匠としげにいちゃんの話をして、泣かされた。

その後、近所のカレー屋さんSpiceにて全部乗せランチターリ×チーズナン+レモンライスを食しながらランチセッション。転職をして逞しく日焼けした豊満な男子とチーズナンを分け合って食べながら、今月のテーマとなった「嫉妬とは何だろうか」ということについて二人であれこれ考える。

こういう対話をしていると、毎日「生きる」っていう以上の修行ってないんだなと思える。「今がこうじゃなかったらいいのによう」という愚痴はそのまま言葉通りで、愚か者が使っちゃう恥ずかしいセリフなんだろう。「今ここで」これでいいんじゃん、と言えるようになるためには、いったいどうしたらいいんだろう?ということを真剣に語り合うのはいつもながら本当に実り多いし、こちらが多くを教えられる。

慌てて松江から帰って、JK剣士の今後の相談。また海外に行きたいと思ってるJK剣士。いっちゃえ!と煽っているハハをはじめとする周辺の大人。フリーズする父。根性はかなり必要だが、お金と英語力はあんまり要らないところへ行こうと画策している。はてさてどうなることやら。

その後、ヨレヨレの私を哀れんだ鍼の先生が治療をして下さった。昨夜ヘナをつけたまま寝るしかなかったわけだが、「内臓がすごく冷えてるけど、いったいなにしたの?!」と驚かれた。もともと疲労やストレスが消化器系に出るわたしは、ヘナつけたまま×お風呂入れない×足痛い、という三重苦で粗雑体がヨレヨレになってしまい、心臓あたりやその裏側が締め付けられるような心地がする。私のストレスセンサーはここあたりにあるらしい。アーユルヴェーダ・マスターSちゃんの教えどおり、ヘナは1時間で切り上げないとダメということが身に沁みてわかった。

でもさ、昨日のことは私のせいじゃないよね?いやそれともすべて私のせいか?
人のせい、自分以外の何かのせいにして生きたら隷属の人生だって云うもんね。私は、たとえ何にであっても(家庭でも家族でも土地でも金でも仕事でもこの世でも)縛り付けられるのはまっぴらごめんである。

ということは給湯器は悪くなくて、全部私が悪い。それなら粗雑体も自分で治せるはずだ。がんばれ私、泣くな森の子りす!