蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№656 ハハの日

ここよりは深き森なり精(しょう)となるものたちのために道は続けり  佐藤よしみ

 

 

 

5月9日
今日は母の日らしい。長女ぶーちーから昨晩連絡があった。LINEで「母の日」という言葉が出ると茶色いクマがカーネーションをもって現れる。びっくりして「ハハノヒ!」とカタカナで入力したら出てこない。クマは漢字対応だった。

ということで数日前から「日曜の予定は?」と訊ねられていたのだが、母の日のお祝いをしてくれようと思ってのことだったときいて感激した。なので今日はここにぶーちーがやってくる。例年「何が欲しい?」と聞いてくれるので何年にもわたって「スリッパ」と言い続けて今日に至る。ちなみに今自宅で愛用しているのもぶーちーからもらったスリッパで、”たーちゃん”という猫の絵が描いてある。



私はお祝いをされるのが苦手である。誕生日のお祝いなどは家族にはするが自分はやらない。JK剣士と1週間も違わないということもあり、そんな短期間のうちに二回もケーキを食べたりしたくないし(顔が老ける)、この家の家事取締役は自分なのに祝ってもらって片付けしてって、バーベキューで散々飲んだ後の後片付けに近い虚しさを覚える。なので公式見解としては「永遠の28歳なので、誕生日は打ち止めになっております」ということでお祝いは辞退している。ただしバーMarujinと誕生日が一緒なので、Marujinの誕生日祝いに行くとマスターが祝って下さるからそれは素直に受ける。

この永遠の28歳というのに対して昨年(の誕生日の時)JK剣士から「痛い、痛すぎる」と憐れまれた。そうかなあ?28歳と言えばぶーちーを生んだ年である。そもそもなぜ28歳で打ち止めなのであろうか?ということを今朝ふと考えた。別に25でも33でもいいはずであるのに。

28歳というのはかわいいこどもを授かった年であると同時に、自分にとって長い暗黒の年月のはじまりだった。厳密にいうとその1年前の27歳から。


一か月前、JK剣士の出国前にふたりで話をしていて、子供の頃にやらされた計算ドリルが大嫌いだったよなというネタになった。「~しなさい」という命令口調が心底嫌い。「お前がやれや!!」という気持ちになったと、6歳の頃を思い出して語るとJK剣士も「それな!」と同意してくれた。
人生にトラウマともいえる思い出は(人が聴けばくだらないものであっても)あれこれあるけれども、この「ドリル案件」は間違いなくそのひとつ。6歳のある時突然やってみろと言われてできなくて、「どうせできるわけないよな、ははは!」と嘲笑されたという記憶。事実はそんなものではなくもっとほのぼのしたものだったのかもしれないが、記憶という心素の内容物×私という意識(自我意識)という掛け算が起こるからこそ過去は厄介なのである。

そして「なんだこのやろう、文句あるか」と思いながらずっと生きてきたが、あちこちでそんなことを言い散らかしても疲れるばかりなので、基本的には色んなことがどうでもよかった。どうでもよくなかったのは読書だけ。

ここでよく某国営企業のことを書くのは、たぶん18歳からの10年間がすごく楽しかったから。みんな初めてのことをフラットな状態でやって、じょうずにできれば褒められて素直にうれしかった。ルールが明快なわかりやすい世界で、合意できる未来が提示されていた。色んなところにも行かせてもらえて土地土地で価値観が違うことを知ったし、どこで生きるかを選ぶことが許される。自分にとって価値があると思えるものごとを追求することができ、そこに多様な報酬が伴うという世界。

28歳からの暗黒の年月はたぶん、絶望的な闇のなかの第1期と薄暮の第2期に10年ごとにわかれていて、今がその20年目の終わりにあたる。第1期の終わりはお兄ちゃんや規夫師匠の登場(インテグラル理論に象徴される新しい世界の到来)。第2期はなんだかんだで東京にもちょくちょく来ながら暗黒の世界の残滓を濯ごうとする期間だったように思う。

今はもう暗黒じゃない。去年とうとうそこから抜けたんだ(第2期の終焉)と、今になってわかる。ただし哀しい別れがあった。世の中では「世帯主」と呼ばれる人にもできない相談をしながら暗黒期をサポートしてもらったのに、今こんな風に楽にいられることを報告できないのが哀しくてしょうがない。

 


私の幼少期、家庭という場所ではルールが明確でなかった。なにをすればOKでなにをしなければNGなのかはよくわからず、時折地雷を踏んで吹っ飛び精神の手足がもがれた。基準のようなものがあったとしてもそれは時々に変わって「なぜ?」と思うことがよくあった。今、知識をもって振り返ると、このような曖昧な基準のなかで適応を求められることがどれだけ人の精神を苛むかわかるから、えらい修行をしてきたもんやなと思える。

でも今、すべて愛であったと思う。私が思うような形でなかっただけで、それもまた愛であった。暗黒と自分が思って来た年月にもそばにこどもたちがいてくれた。このことをどれだけ有難く思うか知れない。ママの宝物、闇を照らす光、憧れた美しい花のような我が子が、今日は私が母であることを祝ってくれるという。

しかし私が母になったのはあなたたちゆえであるから、ほんとうは母が感謝をしなくてはならない日なんだよ。ありがとう。