蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№657 本から本

わが鹿の水飲むところ眠るところ誰にも告げぬ美しき谷  松村由利子

 

 

 

5月10日

母の日だから、ということで昨日は長女ぶーちーが来てくれた。まずは一緒に品川駅に行って美味しいものを調達。昼から部屋でビールを飲もうということで、そういうチョイスでいろいろ選んでみた。焼き鳥屋さんで買ったレンコンのはさみ揚げが秀逸。美味しいよね、レンコン。美しい花は咲かせるし、泥にまみれた根っこのお蔭で悟りに導かれるし、おまけに美味しいっていうことないよね。

そして今朝はJK剣士から「母の日おめでとう」というLINE、そして「おめでとうなのか?」というツッコミも一緒に送られてきた。おめでたいのは君たちのハハになれたママのことなんだろう。だからありがとね、と返しておいた。


昨日JK剣士は「オオタニを見に行く」と言っていた。インスタには動画も上がっていたそうだ。渡米すると決まったときハハは「ニコ!(注・当然ニコラス・ケイジのこと)」と叫んだし、当時の担任えんちゃんは「オオタニ!」と叫んだ。

えんちゃんは、高校球児だった時代に悔しい思いをいっぱいしたのであろうと思われる。なので「努力は才能には勝てないんだぁ!」というトラウマ発言をして、伸び盛りの若いモンにトラウマを刻み込むようなことをしている。しかしえんちゃんもハハに比べればうんと若いんだから、才能か努力かについて今持っている信念をひっくり返すようなことをして「俺も昔はかくかくしかじかと思ってそう口に出していたのだが、ほんとうは違う!みんな思うように生きろ!」とか言って欲しい。この「思うように生きろ」というワードはJK剣士がハハに言ってくれることばである。ときどき名言を繰り出すJK剣士だが、渡米経験が彼女のボキャブラリーにどのような変化をもたらしているものか。ワクワクドキドキである。

さて、心優しいJK剣士はハハの叫びもえんちゃんの叫びもちゃんと心に留めていてくれたんだな、と思う。「オオタニ見に行く」と聞いたとき、「なんで野球なん?」と思ったくらい我が家は野球に縁がない。ぶーちーが高校生の頃、通っている学校が甲子園に出場したのが一番ホットな野球ネタで、他には全然。我が子らはテレビで野球の試合すら見たことないと思う。そもそもテレビっていうものが過去10年我が家に存在していないし。

だからこの「オオタニ」はえんちゃんのためなんじゃないかと思った。しばらく前にハリウッド観光に行ったときもわざわざニコの手形足型を見つけ出して写真に収め、ハハに送ってくれた。きっとこうやって誰かがJK剣士に言った「なにか」をひとつひとつ押さえながら、旅をしているんだろうなと思う。ここしばらく必要最低限の事務的なやりとりのみで、いったいなにをしているのかもサッパリ知らない(ハハはインスタも見ない)。しかしなにやら胸が躍る。いったいどんな変化を遂げて帰って来るんだろう?

できれば高校は卒業して欲しいな、コウコウセイでないとできないという決まりになっていることは経験して欲しいなあとは思っているが、たぶんもう誰もJK剣士が思うように生きることを止められないし、止めたらダメだろうと思う。個人的なことには打たれ弱い森の子りす的ハハだが、子を前にすると強い。こどもが一緒にいるときは地震も雷も怖くない。内心「ええぇ?!」と思うようなことをJK剣士に切り出されても「…………………うむ」と静かに応えられるように日々精進せねば。

 

 

今回の東京滞在はリハビリのようである。これまで人生でいろいろ置き去りにしてきたことを、改めて内的に体験していっているような気持がする。こんな風に心持ちが変わると以前書いた企画書が時代遅れなものに見えてきて、今は企画書の練り直し中。先だって御徒町で行われた会食時に「書けないヤツはどうしても書けない」的な発言を敬愛する方々がなさったのを聴いて、その場で床をのた打ち回って悔しがりたい気分だったが、子リス的小心モノの私はようせんかった。くそう、くやしい、負けるもんかー。

そしてリハビリ中の私は読書をして、疲れたらまた読書をする。今のところA,B,C三冊の本をそこに置いておいて、Aに疲れたらB、Bに辟易したらCでひとやすみ、という読書である。とてもじゃないが通しで読み進められない本というのが、この世にはあるから。

例を挙げると村上春樹の「アンダーグラウンド」、F・ジンバルドー「ルシファー・エフェクト ふつうの人が悪魔に変わるとき」、クリストファー・R・ブラウニング「普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊」などである。もちろんもっと他にもたくさんあるが、私にとってはこの三冊は相当にキツイ本だった。

本の疲れを本で癒す、ということを初めて覚えたのは春樹の「アンダーグラウンド」。それまではどんなに大きくて厚い本でもどこにでも持ち歩いて没頭して読み切ってきた。S・モームの「人間の絆」全集版を手に、岐阜から長崎まで青春18きっぷで移動したことがある。さすがモーム、実に読み応えがあった。しかし「アンダーグラウンド」ではそんなことはできなかった。ご存知の方も当然おられるだろうが、地下鉄サリン事件被害者の方のルポルタージュである。大袈裟な、と笑われるかもしれないが読んでいる私までなにかの匂いを嗅いで頭が痛くなるような、そんなエネルギーを持った本だった。

そんな風に、読書体験が心身を巻き込む経験であることを思い知らせてくれる本がある。素晴らしいことだと思う。そして今私は「アンダーグラウンド」ほどではないが少しキツメめの本の世界に飛び込んでいる。戦前の日本と、三人の女の人生に。休み休み、本から本へと旅をしていると自分が文字を書くことが億劫になりそうになって、ちょっと反省しているところ。まあでもなにごともタイミングだろうから、今日もまたこれを書き終えたら本のなかの世界へ没入していく。

 

 

 

三人の女たちの抗えない欲望

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