蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№625 重いアタマ

予備のもの何も持たずに行くとする この先、未踏 この先、未明   早坂類

 

 

 

4月8日

JK剣士の通うガッコウで感染者が出たらしい。新学期早々、早速休校。留年すれすれ超低空飛行で渡米しているJK剣士にとっては、たった5日とはいえ猶予が生まれるのはラッキー。しかしこのご時世、たったひとりのセンセイが罹患したからってドーン!と全校(中高とも)休校にして、他の教職員はみんな陰性だったから安心してね!という反応はすごく過激なものに見えてしまうのは、私がこうして毎日フラフラと生きているからなんだろうか?かかったらいろいろ困るけど、安心して「かかった」といえて、堂々と養生できる世界になって欲しいなと思ってしまう。


JK剣士の渡米から1週間。フラフラ気ままに生きているのはいいが、都内ホテルひとり暮らしに陰りが見えてきた今日この頃である。数日前の晩猛烈に寂しくなり、しかもこのホテルの立地のまずさにより近所のビミョーなコンビニの食事しか入手できず「いったい私はなにをしとるんやろうか」という泣きそうな心持ちになってしまった。ぐすん…。

っていうかこれまでが贅沢すぎたんや。
毎日自分の作ったものしか食べないし、調味料の質は高すぎるし、野菜・果物も旬のものがガンガンに入手できるし…。今、私はいつも食べている「アボカド×とうふ」がすごく食べたい。しかし井上醤油(島根)のむらさき(商品名)がない。ワサビもない。富士酢(飯尾醸造)で煮た動物性たんぱく質が食べたい。自分たちで仕込んだ味噌で味付けした野菜が食べたい… 
贅沢すぎる食を生きてきたが故に脆弱となっていた私の根性。野山でカレーとバナナと牛乳を食べて走り回っていた頃を思い返し、気持ちを引き締めねば。


ということで誰かと一緒にご飯も食べたいし、ヒマしているというぶーちーと品川駅で待ち合わせて買い物。部屋に戻ってソラマメ(大好物)を食べた。もしここにJK剣士がいたら「またマメ!いっつもイモかマメ!」とツッコまれるところである。

「たまにはビールが飲みたいです」というぶーちーのために昼からビールを開けてしまった。水曜日のネコというビールがありますよね、かわいいからってそれをジャケ買い?しようとするぶーちーに「それはね、普通のビールとちょっと違うよ」と注意喚起したが、全然平気で「うまい」とか言ってた。ハハは某国営企業で「飲んでも吐くな」という教育を受け、ジャンル問わずなんでも飲まれずに飲む修行を積んだが、20歳で「ビールうまい」とは言えなかった。Marujinで施された英才教育の故なのか、はたまた言いたくないけど血筋なのか。大型新人現るって感じ。

 

 

さて、夜はS田さんとサシのみである。生まれて初めてJR田町駅に降り立った。高輪ゲートウェイ駅と比べるとにぎやかすぎてクラクラする。S田さんがブログにコメントしてくれたことについて語らないと、ということでお誘いしたのだが、まずはなにより誰かと一緒に晩御飯を食べられるのがうれしい。一昨日はF井さんとご一緒させて頂いたので連日でうれしい。そして問題のブログネタは出ず、洋平センセイが引っ越しなさったとか門林さんのお仕事はありがたいねえなどという話をした。

S田さんちにはJK剣士と同じ年のお子さんがいて同じくスポーツをしておられるのだが、なんと指の骨が折れてしまわれたという。なんてかわいそうなの…しかも手の指ってめっちゃ痛そう。どうかお大事に養生なさって、1日も早くご本復なさいますように。


飲み話の中で「すぐに頭を下げられるタイプとそうでないタイプがいる」という話になった。ずばり私は後者だよねと仰る。だってそれはさあ!私はナンチャッテでも茶人なので仕様がない。

「茶人の頭は重い」と言われるのをご存じ?
お茶の作法のなかでは、なんどもお辞儀をして頭を下げる場面がある。どこでもかしこでもペコペコしているように傍からは見えるかもしれないが、あのお辞儀の一つひとつに「何に対して頭を下げているか」の明確な理由が存在し、ワケもなく頭を下げることはゼッタイにない。

このことは稽古の中でなんとなく学んでいくことだが、教授者講習を履修した際、宗匠からバシッ!と言い渡された。
「茶人は、無駄に頭を下げることがあってはならん」と。

すべてのお辞儀が、たとえ無言であっても(本来はきちんと口上があり、申し上げるもの。一服差し上げます、どうぞお楽に等)明確な意図があり、ただ下げることはしないし、してはならんと。
例えばふつうの生活のなかでもお別れする際にお辞儀するが、あれも深々と一回のみでいいんです。ペコペコ何度も上げたり下げたりはしない方がいい。せっかくのお辞儀の重々しさが失われてしまいます。下げるときは迷いなくスッと下げ、戻す(上げる)ときは倍くらいの時間をかけてゆるゆる戻ると優雅で丁寧な所作になる。心もこもる。

ということで私は傍若無人な暴れん坊ではなく「なんに対して」が明確であれば頭は下げられるのです。わかってくださる?


問題は、ひとの心は深遠で多彩であるがゆえに、本人も明確な意図を説明できないことが多々あるという事実だと思う。今朝、私はまたもやさみしくションボリしちゃったのであるが、なにゆえにそうなったのか自分でもよくわかんない。
お辞儀でもなんでも、ワケがわかんないときは保留でじっと待つのがよいと思う。