蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№644 Happyを探すちから

見たこともないのに思い出せそうなきみの泣き顔 躑躅の道に  大森静佳


 

4月27日
数日後にまた出発なので美容院に行ってきた。行きつけの店はマスターマリコビル(スカイ米子)にあり、このビルが誕生して以来その美容院にお世話になっている。思えばマスターマリコとはご縁が深いのだった。人と人の結びつきは実に深遠だ。

マイ専属スタイリスト・M本さんのお姉さんは剣道の猛者だった。JK剣士も幼少時からこの方にカットしてもらっているが、きっかけは剣道とは関係ない。とにかくこの二人はウマが合うようだ。昨年から公式戦がサッパリなのでカット回数が激減しているが、通常であれば公式戦や遠征のたびにここで気合を入れてもらっている。トップシーズンなどは「え、また行くの?」という感じで、いつかハゲになっちゃうんじゃないかと心配した。

これから向かう”場”に対する意気込みがM本さんとJK剣士のあいだで共有された結果として、そういうセメセメの髪型になっちゃったわけね…というヘアスタイルがなかなか見られないのは寂しいものである。全中のときなんてほとんど刈りあがってた。防具つけたら見えなくなるとはいえ。


実のところ(話に聞くところによると)M本さんもかつてマスターマリコを頼って?渡米なさったとのこと。マスターマリコがいなければこの店もないですよ、と仰る。そして時を経て今JK剣士がお世話になり、いつかきっと私も行くことになるだろう。そう遠くない将来。マスターマリコ、ほんとにすごいよな。オープンハートで。

いつでもオープンなドアをどんどんと叩いて「たのもー!」と入っていけるひとって、実はあんまりいない。Yogaでは色んな名言があるんだけど(いま、Yogaネタはべつにいいんだけどなーと思ったひと、我慢して聴いてください)これは名言だよ?

「至人は心を鏡のようにつかう」

すごくないですか?素晴らしいよね、実に。
鏡のように、という表現はよく聞くところだけどこの解釈が難しいんだよね。下手すると「こんな目に遭うのは私が悪いってか?!」みたいな罪悪感モリモリの捉えになるから。

だからこの言葉をよく理解するためには、世界を客観的に見る視点や、ものごとを二極に分けて見ない「ジャッジしない」姿勢が必要になる。もしかしてちょっと難しいですか?ここのところは私のレッスンを受けた方には「うんうん」と思ってもらえるところなので、それ以外の方は遠慮なくスルーしてください。

ああ、こういうものが写った。
ただそれだけでよくて、写るものを変えたいのならば厳に自分のアタマの中身を見つめていなくてはならない。

今日初めて髪を洗ってくれた新人の方が実に聞き上手で、めったにM本さん以外と口を利かない森の子リス的シャイガールの私が、「日記を使った内省はすごく大事なんだよ」などということを初対面の人に語っていた。自分にちょっと驚いた。自分が生きる世界(左象限)が少しずつ変わりつつある。

 

 

こんな私もたまにはSMAP(なつかしの)を聴くことがあるのだが、彼らの曲は色んな意味の“財”がふんだんに投入されているよね。私にとっては特に”コトバ“というものがとても重要な意味を持つので、歌詞を大事に聴いている。

20代そこそこのときは、毎朝「がんばりましょう」を絶叫(絶唱ですらない)しながら出勤していた。だって毎日つらかったんだもん。「どんなときもくじけずに、かっこわるい朝もがんばりましょう」って、若さには大事な感覚だなと思う。

今は多少大人(暦年齢でなくて中身のはなし)になっているから、もう少し違うものにフックが掛かる。クリスマスソングの「『ホントは愛してる』と 言えなくても よりそえば愛の灯がともる」というのもいい。でも「Happy Train」これがとにかくいい。

ここ最近、からまわって愚痴ふえてまずい。こんなときには僕のあのおまじないを、
とはじまるこの曲は、疲れて帰る電車のなかでHappyを探すというもの。

世界をどんな風に見るかの恐ろしいほどの自由を、私たちは担っている。この見方がどのように決まってしまうかは非常に繊細なはなしなので、信頼できる誰かと手をとり合って取り組むのがいい。そこにあったドアを勇気をもって開け、愛情あふれる誰かの胸に飛び込めたとき、世界がこんなに美しいところだったと初めて気付くだろう。


次の駅までに あの人を好きになろう

苦手だけど どっかしらネ いいところがあるから

また次の駅まで 今度はあの人のこと

気がつけば心が ほら軽いよ