蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№621 すべて愛の行為

とほく聴く四声のカノンいづこよりまじりきたれる一声ありき   中山明

 

 

 

4月4日
マスターマリコから二枚の画像が送られてきた。JK剣士が写っている。
数日前にハハがJK剣士に送ったスタンプにはいまだに既読がついていない。よしよし、あっぱれである。その調子でいこう。

さて写真には、肩に白い鳥を乗せたJK剣士が写っている。ハリーポッター?いや、フクロウみたいに大きい鳥じゃないんだけど。その数時間後、メチャカッコいい髪型(ハハの脳内で浮かび上がったのはChaka Khan)をした可愛い女の子と一緒の写真が送られてきた。インコ二羽と先程の白いのはどうやらオウム? えーと、この女の子はマスターマリコのお嬢さま・Aちゃんじゃないよな…。

さすが、マスターマリコ。画像のみで他の情報は一切なしである。送り込んだこちらも「どうぞよろしくですー」という旨のLINEを二回送っただけで他は一切JK剣士任せ。JK剣士のまわりのおとなはみんなこんな感じ。そもそも一緒にいるときは接触が過剰すぎるらしいから、これくらいでちょうどいい。なにごともメリハリが大事ってことで。

 


昨日からとあるネガティブ感情が湧き上がっているので、鼻の調子がイマ一つ。このままいくと肺に症状がおりてしまうので用心しなくては。テンション低めだし一日部屋に籠ってVITAコーヒーだけ飲む断食をしようかと思っていたのだが、さすがにそれもちょっとどうなん?!と自分で自分にツッコミを入れて、品川アトレにある高級スーパーに行くことにした。もうさすがに近所のコンビニのお弁当はイヤっていうか…。昨日は仕事着(Easy Yogaの上っ張り)で泉岳寺にもおまいりしたのだがさすがにそれはちょっとな、とちゃんと着替えて行った。

いや、すごいね、トウキョウってホントに。我が家で愛用の井上醤油店(島根)の古式醤油もあるし、最近米子では手に入りにくい木次乳業のバターまである。くっそう、ないと思ったらこんなところに来ておったかと思わず買いそうになったが、「いやいや350gものバターを買ってどうする気なんだ?!」と内的葛藤の末グッと堪えた。でもここに白バラはなかった。今日はどうしても白バラ牛乳でミルクティーが飲みたかったのに、残念である。

 


参考文献は何冊も事前に送り付けてあったが(12冊)、入浴がてらや就寝前に読む本がない。どうやら出発時の荷物から抜けてしまったらしい。ヤレヤレである。仕様がないので昨晩は「正法眼蔵随聞記」とS・ヴィヴェーカナンダの「ラージャ・ヨーガ」を再読していたが、やはりこの二つの本は含むものが実に多い。いつ手にとっても新しい発見がある。しかしこの本では入浴時でも鉛筆片手、手の届くところに付箋紙を置いておかねばならないので落ち着かない。もうちょっと軽い本を入手するためにJR品川駅の書店に向かった。そこで見つけたのはバーバラ・ブレナンの本(上下巻)とエピジェネティクスに関する本である。いやどっちも娯楽本じゃないけど、これ買わなかったら後からゼッタイ後悔すると思い購入。娯楽本は悩みに悩んで多和田葉子の文庫にした。

部屋に戻り軽食を摂りながら先程入手したエピジェネティクスに関する本を読む。とても重要な情報を含んでいると思い速攻読了。すごく大事なことなのでメチャメチャかいつまんで書いてみます。

この本に紹介されている研究事例では、子育て上手なママ・ラットに愛され舐められ育てられた子は好奇心旺盛で自信のある子に育つ。このことに脳内の報酬系とかホルモンとかが関わっていて、その根幹に遺伝子が環境によって変化するという知見がある。ちなみに子育て下手で舐めてくれないママ・ラットから生まれた子も、養育が愛に溢れていれば生みの親のようにはならない。氏より育ち、遺伝子変化には環境が重要らしい。


遺伝子、って言われるとひっくり返せないような気がするがところがどっこいそんなことない。Yogaを適切に行うとエピジェネティックな変化が起こるという研究は既にあり、数年前の学会でインド人の研究者による発表があった。Yogaのセンパイ方って年齢不詳の魔女みたいな人がたくさんいるし、Yoga行者は世俗にまみれなかったら300年は生きられるっていうけれど、その秘密はこのエピジェネティクスにあるっていうことらしいよ。

うちの慧心師はもう70代だけど年々「それウソやろ」という気持ちにさせられ、毎年その思いを更新されているので「こんな単純なことの継続でそんなになるならYogaってホントに安いよな」としみじみ思う。私自身もいまの方が若いというご意見を頂くことがある。まー、リップサービスだとしてもうれしいよね。

じゃあどうしたらいいのってことですよね。手っ取り早いのは誰かと仲良くすることだと思う。インテグラル理論でも関係性やセクシャリティは大事だと言われているけれども、要するに人が生きるにあたっての健やかさに「誰かと仲良くできて、愛され、大事にされている感覚」が想像以上に関わっているということなのだろう。ところがこの、誰かに愛されるというのが実に複雑で高度な能力を要求することなので、ハナシはそうそう簡単じゃない。

では私からご提案。あなたのなかの、あなたが生きるうえでもっとも大きなちからを与えてくれるものとのつながりをとりもどして、「ああ!しあわせ!!」といつでも思えるように生体を造り変えちゃおう。すこし時間はかかるかもしれないけど、みんなやってきたから誰にでもできる。これが伝統的Yogaの道のはず。Yogaや瞑想も最終的にここにたどり付きたいのだと思う。そうじゃないと、やってるイミがない。


今日、高輪ゲートウェイ駅から宿に戻る道すがら、ネガティブな感情を感じることすらも絶対者の腕のなかで生きるにあたっては愛の行為でしかないよなと考えていた。
治癒よりもっと奥深いところに生きるということがある。私がどんなに愚かでも、ここにいていいんだよという声が心臓の鼓動となって絶え間なく聴こえてくる。この世を去るその瞬間まで聴こえてくるこの声に耳を澄まし、信じること。きっとこれが大事。