蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№642 すごく寂しい

過ぎゆきてふたたびかえらざるものを、なのはなばたけ なのはなの はな  村木道彦

 

 

 

4月25日

昨日は愛するオタク(敬称略)とランチセッションだった。このオタクはそもそも私の弟分(茶道)なんだけれども、弟っていうかときどきハハのような気持になるときがある。なのでよく叱ったりしている(そんなにたくさん食べるんじゃありません!)。
先日「4㎏体重が増えた」と聞かされたときは、目の前が真っ暗になってへなへなと倒れ込みそうになった。ダイエットしたいといいながら、アドバイスはさっぱり聴いてくれない。気分的には長女ぶーちー、JK剣士、その下にいる弟って感じだが年はけっこう上です。

須山先生の茶陶を拝見し終えたオタクと近所の今井書店で合流。珍しくジャケットにネクタイなんてしてるからビックリして、思わずハラ(前方に力強くせり出している)をたたいて「カッコいいなあ!」と声をかける。こういう行動は時と場合によってはセクハラに認定されるかもしれないがここでは問題ない。姉弟愛だから。お道具拝見のためにちゃんとした服装をしてきたというオタク。さすが茶人。私とは違う。

そしてランチのため萬龍軒へ。道すがらずっと先生の作品のはなし。お茶は好みがだいじで、それぞれの「好き」で空間を創り上げたり熱く語ったりする、そういうマニアックな対話である。あの茶碗がどうとか、僕の好きだったのはとか、あの桜の建水はどんな棚に合わせるか?とか、月の茶碗は夜咄にいいへんかなどと対話しながら席に着き、それぞれニラ炒め定食と酢豚定食を注文したあと突然「お、今日はバッチリメイクですね」って、今、初めて顔見たんかい?!

萬龍軒ランチの白ご飯を半分食べてもらうことにして(いつもならJK剣士の役割)、飯田橋の回鍋肉や神楽坂・五十番のネタで盛り上がる。ちなみにこれはランチセッションで、ちゃんと仕事です。
先日M社長が韓国料理店のお母さん(女将)にわたしのことをご紹介して下さったのだが、どんなYogaなのかという問いかけに「ほら、はなししたりさあ」という甚だ意味不明な感じで困惑の空気が流れた…正にそのとおりなのでお気の毒である。っていうか、私もうまく説明できん。なので自分の営業は捨てて、人様のエイギョウ活動ばかりしている。

さてお腹いっぱいになったら今井書店内のカフェに場所を移してデザートを頂く。ランチからはしごしてカフェに行くのもオタク・セッションのお約束である。でも今日はなかなか大事な、節目のセッションだった。

数か月前、悩みに悩んで「〇〇(←苗字)動きます」という決意を発したオタク。いよいよその決意が現実になる日がやってくる。たくさんの生徒さんの転機や節目の場面を見せてもらってきて、その都度とても感動する。この節目を迎えるために絶対者が私たち二人にYoga(ほぼダルシャナだけ)をさせたんじゃないかと思ったりする。


今日は月一の講座日だったが、今日の大事な学びは「思うことの精妙で強い力」をどう制御するかというものだった。無駄で役に立たない思考なら思考停止の方がなんぼか安全である。
人間の過去の記憶は感情となって肉体に宿る。とある出来事がトリガーとなって瞬間的に自分のなかに湧きあがる感情を客観視しつつ、その強大な力を抱き止めてジタバタせずにただそこにいるには体力と精神力がいる。そのためにはどうしても心身を調えることが必要。Yogaってうまくできとるやん、としみじみ思う。

 

外部からどーん!とぶつかってくる事象にも、こけずに踏みとどまって「痛いなあ」「ちょっと辛いわあ」と思いつつも、関わる人に意識を向けるのではなくただ内面に目を向けてそこにいる。物事が鎮まっていくのをじっと待つこと。これがとても大事だと感じている今日。

しかし時折フッとさみしくなる。そして私は今猛烈に寂しい。
なぜこうも寂しくなるものだろうか。わたしたちはつねに一緒にいていちどもわかれたことなどないから、寂しいはずがないのだと思い出したときの大きな喜びを感じたくて、こうして時折寂しくなるのだろうか?

それとも存在するということが、そもそも寂しいのだろうか?

 

 そう、そして、昨日は月命日だった。半年が経った。