蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№634 意に添うように

バイオリンを顎で押さへて弾く見れば演奏は濃き愛撫に似たり  高野公彦


4月16日
今日がこの宿で過ごす最後の夜。
ここは軽症者の施設に指定されちゃったとのことで、日に日に人がいなくなる。はじめのころ客室清掃のために廊下がしっちゃかめっちゃかだったのに、それがだんだんなくなり廊下の隅にこれから洗いに出されるのであろうバスタオルが数枚ぽつんと打ち捨てられてあったのを見たとき、なんというか…もののあはれを感じた。

ほんとのところ私も最後の二日ほど他の施設に行ってねと言われたのだが、長期滞在で荷物が多いのをようようJK剣士の腕力で運び込んだので、そのことを告げられたとき一瞬目の前が真っ暗になった(大袈裟)。なみだながらに「17日の朝までここにいさせて…」と懇願したところ、寛大なお心をもって特別に?「仕様があるまい」と言ってもらえた。余程悲しみに暮れた有様に見えたのだろう。

あのときのフロントの男性は、カウンター越しに向き合う打ちひしがれた私と、奥の事務所らしき部屋を汗をかきかき往復なさって板挟み感いっぱいだったが、ご対応が実に親切だったので「いいなあ東急」と思った。一度だけ1階のレストランも使用したがここも感じ良かった。おまけに来月の予約も振替しないといけなかったので、その対応をしてくれたちょっとエラいのであろうおじさまもかなりイケてた。いいねえ東急。

来月は青山か五反田か?!と超葛藤したが、結局天のお導きで五反田に戻ることになった。いったん決めたものごとを動かすのは基本的にはしない私(すごいめんどくさがり)。青山でお願い、と伝えたあと長女ぶーちーの「五反田にしてえ~」という声が聴こえてきてハハはこころほだされ、でも変更は申し訳ないなあと珍しくあたまを悩ませたらなんとまあ!翌朝部屋に電話がかかってきた。「青山は某日が全館停電でご宿泊が叶いません。大変申し訳ないのですがどうにかほかの施設にご変更を…」と仰るではないか。天の采配、来た、と思ったね。シンクロニシティっていってもいいんじゃない?


ということで明日いったん東京を出て、30日の夜に戻ってきます。なんだかんだで荷物が多かったので(コーヒーミル持参)その返送の準備などをしている。結局一番多かったのは書籍。しかもあとから買い足したために量が増えている。ヤレヤレとほほ。ちゃんと娯楽本も持ってくるべきだった。次回はもっと工夫せねば。


さてさて、いったん東京を後にする前日は、まずお昼に五反田でぶーちーに会った。ありがたいことに、食べきれなかった食品を譲り受けてくれた。その足で今度は秘境田端へ行き規夫師匠とお話してきた。師匠との対話はいつも実り多いが最近とみに気付きがある。前回も今回も自分の内側にながく押し込めてきたものを発見してしまって涙が出ちゃったよ。まあでも、自分で扱えるようになったからこそ浮上してきたんだともいえる。なんとか日々心素に降り積もる残存印象(アハンカーラ)を処理はできているんだろう。そうでないと昔っからのものなんて出てこないから。

師匠とは10年のお付き合いになるので、これまでの私のどろどろとした恨みつらみみたいなものはどれもこれも聴いてもらってきている。今回の気付きに関しても、年季の入ったものであることを理解して下さっていた。「え、知ってたの?」って感じである。

これは今年ふたつめの、そして私の人生にとってかなりおおきなシャドウワークになるだろう。これも前回と同じように専門家のお力を借りてしっかりと取り組もうと決めた。


自分の人生で起こることはひとつひとつ別個で、ほかの人の身の上に起きることとは関係ない切り離された事象のように思えるが、じつのところすべては関連しあっている。この世界はこの上なく美しい織物のようであり、絶対者ブラフマンのお仕事は緻密にして完璧である。昨年我が身に突然降りかかってきた、呪い(のような医者のことば)に腹を立てて取り組んできたことが、再会した方々の興味とゆるやかにつながっていることを知ったとき、やはりこの世に個人的なことなんてないと思った。

「愚者は不幸を嘆く」という名言を慧心師から与えられたが、自らの身に起きたことにレッテルを貼って個人的な事象として貶めてしまうからこそこんな思いに捕らわれるのだろう。ブラフマンの大きなお仕事のなかでの私の役割は、もしかすると私の希望したものではない可能性もあるけれども、それを同じくするよう我を排して天と我の意が添うように生きることがYoga、すなわちつながりをとりもどすということなのかもしれない。


今晩は京橋で南インド料理を頂きながら豊かな時間を過ごした。明日はそのことについて書いてみよう。