蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№529 ひとり、ここに

現世まず縁にしたがうほかなくて人に逢うため坂上りゆく   大下一真

 

 

 

新年2日、仕事始めである。
元旦の昨日は、アルコールが入って常以上にぼんやりした頭で企画書をこねくり回していた。
息抜きにリフレクション・ジャーナルを書いたり、小高賢編著「現代の歌人140」を読んだりしていたのだが、どうやらこの小高さんとは一緒にお酒を飲んでも盛り上がらないような気がしてならない。
普段から気に入って愛誦している歌人が幾人もとり上げられていながら、「えー、なんで私の大好きなあの歌は入ってないんだよう」と憤懣やるかたない。特に塚本邦夫と藤井常世。基本的に掲載歌は自選のようなので、逆に小高さんとはウマが合うのかもしれない。「なんであの歌を選んでくれないんだよう」と思っておられるかも。
まあしかし、140人×30首もの掲載は実にありがたい。読み込むのには当分かかりそうで至福である。

 

今年は自宅以外のところで新年を迎えている。
これが自宅であったら、元旦の昼に一応家族全員で卓を囲み、家長ということになっている者に一言口上を述べさせ、子供たちに玉を落とし、一通り食事を終えたら解散という流れになる。
その後三々五々勝手に過ごすのはいつも通りだが、間違いなくJK剣士と一緒に書店とCAFFE VITAには行っている。また、2日には事初めとして、簡易ながら濃茶を練って服しているであろうことと、筝曲・三絃を弾いているかと思う。今年はこの我が家の初釜と稽古始は、4日以降ということになる。

 

お茶のお稽古に上がったときには、先生に口上を述べご挨拶申し上げる。
それがなんとなく我が家では当たり前になってしまっていて、娘二人も頼み事やおねだり事があるときには、「ちょっといいですか」と断って改まった風で話を始めるのだが、これって堅苦しいのかな?
お稽古を通じて、親子共々改まった「ご挨拶」ができるようになったのはとてもよかったと思っているのである。

 

たとえば、先だって師匠83歳のお誕生日があったけれども、その直後の稽古日には、“この度ご無事にお誕生日をお迎えになられてほんとうにおめでとう存じますこれからもますますお元気でどうか末永く私共をお導き下さいますように…”ということをつらつら申し上げるわけだが、こういうことは、少なくとも私は20代の頃にはこっぱずかしくてできなかった。加齢は祝福である。

 

 

さて、今年は専門家の下でシャドウワークにしっかり取り組もうと思っている。
ほんとうは2005年からずっとお世話になってきた中野先生の下でのワークを再開したいのだが、諸々事情があり先生のリアル・セッションはお休み中なのである。自分にとって適切と思えるタイミングで継続的に先生とのワークを行ってきたので、新しい修練の時が訪れていると思う。

この瞬間想起されるあれこれについて、ワークを通じて取り組めなかったこともブラフマンの采配とは思っているが、辛いものがあった。
このところ、修行は自ら求めていくものではなくなっており、向こうからやってきて避けがたいものや、ただ時や状況を耐えるだけのものになっているように感じる。自ら選んで取り組んでいく修行なんて、きっと大したことはないのだ。

 

本音を言うと、すべて捨てて逃げ出してしまいたくなることがある。
元旦早々「三次元はもういいや」という某師匠のお言葉を思い返し、頷いていた。
しかしどこに逃げても一緒である。人生にダイナミクスが必要なこともわかっている。

この世はマーヤー(迷妄)の世界。
この世で最も素晴らしい恋人がいるとしたら、それは目を閉じたわたしの感覚のなかに存在する絶対者ブラフマンに他ならない。この存在と私は一瞬の間も離れることがなく常に一体であり、よろこびそのものである。

 昨年の私は現象世界に心動かされ過ぎた。もう懲り懲りであるとも思い、このダイナミクスがもたらすものに驚嘆もした。


かつて夢で「戦争ですよ」と言われたことがある。この夢のあと、現実世界で親と対峙して戦争の如き様相を経験し、悲惨なダメージを被ったがまったく後悔していない。間違いなく、私は強く逞しくなった。
今年は、家族に「ある部品を運んできてくれ」と頼まれたが拒否するという初夢を見た。家に帰ろうとする飛行機が雪で欠航になって、ホッとしていた。

以前ある方に、あなたは家から離れて暮らすことのほうがよいと強く勧められたことがある。ちなみにこの「家」という言葉は、子供を含む家族をも示している。

だからといって、家族以外の誰かと一緒にいたいと欲するのは嫌である。
孤独という豊かさを味わって、ひとりここにいたい。
人はいつだって常にひとり。
でも常に、自らのうちに他者を抱き留めている。
あなたと私は一度たりとも別れたことはないのだから、触れることすら必要ないのかもしれない。



<2021年の課題>

・専門家と取り組むシャドウワークの再開

・エネルギーワークを深めること

・芸道への淡々とした取り組みの継続。教授申請に向けて準備?

・書籍執筆

・ブログ更新の継続

・指導者として、実践やセルフケアの徹底

・発達測定を受け、実践の資とすること

・生のダイナミクスから逃げないこと