蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№630 健やかの指標

竜骨という名なつかしいずれの世に舟と呼ばれて海にかえらむ  井辻朱美

 

 

 

4月13日
今日はお部屋の掃除の日、だと思っていた。長期滞在のコンドミニアムみたいな宿だから、毎日清掃は入らない。掃除の時間にいったいどこにいるのかで相当頭を悩ますので、このシステムはすごく便利。だから数時間どこかに行っておかないと、と思ってテクテク歩いて品川まで行った。お部屋に遊びに来てくれた方が「あれはプリンスホテルだね」と窓から見える高い建物のことを教えてくれたので、そうかそういう距離感かと理解できた。子供たちが小さい頃、なんどか品川プリンスには泊まりにきた。東京と言えば品川しかわかりません、という日々があったことが懐かしい。

 


国営企業のとき、ご存じのとおり機動性が高い組織だから、1日で愛知(小牧)~北海道(千歳)~青森(三沢)~埼玉(入間)という空路による移動をしたことがある。岐阜から入間へ行くのに北海道経由。豪気だな。ワレワレはヘイタイであったからして、時はカネなりじゃなかった。とにかく今日中に着けよっていうただそれだけ。なにかを載せて飛ぶヒコウキに、ついでに人を乗せて運んだほうが効率いいわけです。ワレワレも乗客じゃなくて貨物扱い。

それでね、輸送機に乗るときにね、首から懸けるネックレス渡されるわけ。戦争映画で見たことあるでしょ?ネームタグってやつなんだけど、ふだん飛行機に乗る仕事をしてない人は自前の(自分の固有名詞が刻印された)タグなんて持ってないからさ、番号が書いてあった。万が一何かがあったら「8番いたぞー」みたいな探し方されたんだろう。

 


かつてあんな場所にいたから私が航空機に詳しいと思ってる人がいるようですが、ブッブーおおまちがいです。私はモノ屋さんだったからです。専門的には「補給員」という。
マーチン・ファン・クレフェルトっていう人が書いた「補給戦」っていう素晴らしい本が中公文庫から出てるんだけど、戦争といえどヒト・モノ・カネだよ? 文庫の帯には「補給なしに戦争は継続できない」ってハッキリ書いてあるんだけど、わかってない奴がホントに多いんだから。もうさ、八甲田死の雪中行軍とかインパール作戦の牟田口のアホのこととか、飲まずに語れないよね。補給ナメやがってって感じよね。

補給ってなんだかカッコ悪い印象で、実をいうと「特技・補給」って任命されたとき悲しすぎて泣いた。だってほらもっとカッコいい仕事したかった。「要撃管制」とか?暗闇でレーダー覗き込んでるやつね。まあ、アタマも目も悪いからそういう高度なやつムリなんだけどさ。

でもですよ、実際働き始めると補給って強いわけ。そこに確かに在る「モノ」と、モノを買う「カネ」を動かすから。
戦闘機ってカッコいいですよね。あれは国有財産なんだけど、超の付く精密機械だからひとつ部品がアウトになったらフライトキャンセル、任務遂行ができない。だから「モノ」をたくさん保管しているところに、各地の航空機部隊のひとがご挨拶に来てた。「どうぞよしなに」って。

で、今その仕事を辞めてうんと時間が経って思うのは、そのモノ・カネを動かせることを個人の権力みたいに思って態度がでかいやつがいっぱいいたなーということ。そもそもなんで頭下げに行かないといけないのか?すばりモノを動かすのがヒトだからです。このモノはあとひとつしかないが二か所が同時に欲しがってる、どっちにあげよっかなーと思うときに、「あ、そうだこの前ズワイガニもらったんだっけか」ということで物事が決められたりするのって本当はヘンだよね。

 


昨日、秘境田端の今月の仕事の最終日に上野でお蕎麦をご馳走になりながら、メンバーで色々とお話をした。Yogaの強みはなにかというと「人が健康であること」に対する絶対的な基準をもってることだと思うわけです。Yogaでは絶対だと思っているけれどほかの分野の方は否定する基準かもしれない。でもそれはそれでいいんです。ほんとのところ絶対的なものはないからね。
でも私たちは「どうなったら壊れてて、どこに戻すと健康なのか」という健やかさの指標をちゃんと持ちながら人に向き合ってる。そこが違う。で、ここでもっとYogaネタで語ろうとすると「それいらんやつー」と米国からテレパシーが飛んできそうなのでやめておこう。

すごくシンプルに。
すべてのひとを大事にすること、不幸だと感じている人に慈悲の思いをもつこと、幸福なひととともに喜び、悪い人々には無関心であること。
こういうことを実践していると、私たちを苦しめるこころの働きは鎮まっていく。

理由もなくしあわせだ、と瞑想のときのような心持で生きることが少しずつうまくなっていったときに出会えたひとがいる。そのひとと、そのひとの広いお心が私は大好き。お師匠様方もそんなお心をお持ちだと思うが、たぶん以前は理解できていなかった。
世界は私の心がそうであるように生じている。遠くから不穏な声が伝わってくるときもたまにはあるが、すべてのひとに対する愛を忘れぬようにここにいたい。
もし私が誰かに激しく打たれることになっても、その人に対する愛を失わぬように生きたい。