№622 逆らわない
逆らえぬ感情には従うがいい
それが束の間のものであろうとも 谷川俊太郎
4月5日
海の向こうで元気にしているであろうJK剣士のことを、ハハは一応考えている。
昨日送られてきた画像を見ると顔がフクれてきていたので、デブ化が進行していることは間違いない。出発前にこの宿のこの部屋で「することないけん」といって超キツめの体幹トレ(私がクライアントさんにやらせたら、即認定資格取り消されそうな拷問系ナーヴァ・アーサナ=舟のポーズ)を行っていたが、ウキウキワクワクLAライフではすることがいっぱいで体幹トレが入り込む隙間はないだろうし、そもそも稽古をやっていないのだから昨年の「感染症で稽古禁止」期間のアゴのラインが曖昧なはちきれんばかりのJK剣士をもう一度拝めるかもしれない。帰国時迎えたとき、思わず「うわっ!デブったなあ~」と言ってしまわないように今から心しておかねば。
そういえば京成線で成田に向かっているとき「日本の電車はいかん」と言っていた。「なぜに?」と問うと、列車の最後尾のドアの部分が出っ張っていないからという。
はい、ここでピーンときた人、あなたはさすがです。そうです、まさにそのとおり。
007が飛び乗るのに困るからだそうであります。ちょっとステップつけて、手すりを設置しておけばそれでいいらしい。ドアの開閉はJR境線のようにボタン式で行うのですか?と聞くと、「いや、銃でぶち割って乗るので窓さえあれば問題ない」とのことでありました。ステップ、手すり、防弾や強化ではないガラスの窓。乗客の皆様の安全のため、ガラス飛散時の対策については御社で十分に討議を重ねておいてください。007が巨悪と闘う以外の些末な事故は未然に防ぐことが、ミッションコンプリートには重要であります。がんばれボンド!
ハハはこの話を聞いていたら、成田に向かうのどかな風景を見ながらマティーニを飲みたくなった。ノットステアで。
今朝はどうしても谷川俊太郎の詩、「水脈」が読みたくなった。
昨日本屋さんで詩集が三冊も文庫になって並んでいるのを見たからか、それともここ数日の心持がそれを望んだのか。谷川は超有名な詩人なので、ちゃんとネットの世界で全文がすぐに読める。この詩が収められている詩集「手紙」は1984年に出版され、今は思いっきり絶版である。なんと私が小学生のときに出版されていて、手に取ったのは高校生のとき。今でもその本は大事に本棚の奥にしまわれていて、そんな昔の本だとは思えない。
昨夜はバーバラ・ブレナンの本を遅くまで読んでいた。昨年、マスターマリコから靈氣を伝授され、Hさんにエネルギーワークをして頂くようになって初めてこの世界に足を踏み入れたように思って来たが、ブレナンの本を読むことで、私がYogaの世界で親しんできたものとエネルギーの世界に橋をかけてもらえたような気がした。けっきょくのところそれしかなくて、大事なものはひとつなのだから当然と言えば当然である。
だれもがみな子供時代に傷ついた心をもってここにいる。そして世界が見せてくれることに、過去に起因する、多くは無意識の恐怖と共に“反応”することになる。
「こわい」と思うことは悪いことじゃない。でもせっかくこの世界に生きているならば「こわくないよ」と言ってくれるひとに出会って、そっと手をにぎって欲しいと思う。私も自分に与えられた役割を通じて、そっと誰かの手をにぎりたい。ほんとうは仕事ってそういうシンプルなものなんじゃないかな。
「逆らえぬ感情には従うがいい」と語り、「ときとしてみつめあう」ことしかできないという。でも、心は最も深い水脈へと流れ込みいつか花となって、大気のぬくもりと溶けあうだろうと。なんという深い慰めだろう。
私はいつも自分の思うところに従ってきたから、そのせいで多くのひとを傷つけてきた。傷付いたと思う以上にひとを傷つけてきたと思う。「あなたはがまんができない」と言われて来たけれど、私にそれを言いがまんを勧める人の心身の悲惨な状態を目の当たりにして、魂を押し込めるようながまんのリスクがどれほど深いかを教えてもらった。
人間が人間の都合で勝手に決め、誰かを隷属させることで表面的なものごとをうまく回そうというルールには従いたくない。
今以上に未熟な私が傷付けてきひとたちに償いはできないかもしれないが、これから出会っていくひと、今ともに生きているひとの目のなかを覗いて、私がいまこの瞬間どうするのがいちばんいいのかを絶対者に訊ね、そのことでどんな不利益をこの世で被ってもいいと、思い定めて生きたい。
こんな私であっても、きっとそっと手を握り、目を覗いてくれるひとがいる。そういう存在をもつことはだれにでも許されていて、難しいことじゃないんだということを、だれかにそっと囁き続けるような、そんな仕事がしたい。
「水脈」 谷川俊太郎
逆らえぬ感情には従うがいい
それが束の間のものであろうとも
手をとらずにいられぬときには手をとり
目の前のひとの目の中に覗くがいい
哀しみと呼ぶことで一層深まるひとつの謎
生れ落ちてからこのかたの日々のしこり
そのひとしか憶えていない黄昏の一刻の
闇に溶けこむ暗がりにうつるあなた自身を
一人がひとりでしかありえぬとしても
私たちの間にはふるえる網が張りめぐらされていて
魂はとらわれてもがく哀れな蝶
だからときとしてみつめあうしかないのだが
どんな行動も封じられているその瞬間に
かえって私たちは自由ではないのか
慰めの言葉ひとつ浮かんでこないからこそ
心はもっとも深い水脈へと流れこみ
いつか見知らぬ野に開く花の色に染まって
大気のぬくもりと溶けあうだろう
~詩集『手紙』より